映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

愛という名の疑惑

2010年09月30日 | 映画(あ行)
女の微笑みの裏にあるもの

愛という名の疑惑 [DVD]
リチャード・ギア
ワーナー・ホーム・ビデオ


             * * * * * * * *

ちょっぴりクラシカルなサスペンスの見本みたいな作品です。
精神分析医アイザック(リチャード・ギア)は
患者の姉ヘザー(キム・ベイシンガー)と恋に落ちます。
魅惑的なその女性は、しかし夫がいる。
また、彼女には病的酩酊症という症状がある。
それはつまり、ほんの少量のアルコールにでも過剰に反応し、
暴力的になり、また、後になってもそのことは全く記憶に残らないというのです。
ある時彼女は夫を殺してしまうのですが、
この病のため、ということで無罪となる。
ところが、これにて一件落着とはならないんですねえ・・・。


女は怖い。
女ながらそう思ってしまいました。
すべてが仕組まれたことなんですね。
事実を知り愛を失ったアイザックは、
そればかりでなく自らの立場さえも危うくなってきます。
まさに“愛”に目がくらんで何もみえなくなってしまっていた。
くわばらくわばら・・・。

若いリチャード・ギアを堪能して、その上ユマ・サーマンもステキ。
でもやはりこの作品で特筆すべきは
キム・ベイシンガーですね。
やや謎めいて、魅惑的。
男を誘惑するその裏側。
その豹変。
実に見事です。
また、灯台の使い方がとてもいい。
始めは二人のロマンチックな場。
後には、始めの時には全く考えられなかった二人の気持ちが逆転した後の場。
スリルたっぷりです。

1992年/アメリカ/125分
監督:フィル・ジョアノー
原作・脚本:ウェズリー・ストリック
出演:リチャード・ギア、キム・ベイシンガー、ユマ・サーマン、エリック・ロバーツ

食べて、祈って、恋をして

2010年09月28日 | 映画(た行)
地に足をつけて、頭ではなく心で見る



         * * * * * * * *

この作品、見る前に渡まちこさんの激辛評を見てしまいました。
なんと25点。
う~ん、見るのは止めようかと思ったのですが、
でもジュリア・ロバーツにハビエル・バルデムと来れば、
やはり見ないで済ますわけにも・・・ね。


この作品、エリザベス・ギルバート著
「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探求の書」
という自らの体験を綴った本が原作。
・・・だからなのか。
フィクションならこんなストーリーは陳腐としかいいようがないけれど、
実話ならしかたないか・・・という感じです。


ニューヨークのジャーナリスト、エリザベス35歳。
離婚に引き続き、若い恋人との失恋で、
自分を見つめ直すために1年の旅に出る。

イタリアで食に魅せられ、
インドで瞑想にふけり、
インドネシア、バリ島で運命的な恋に出会う・・・。



女性誌のグラビアみたいに美しい各地の映像。
まあ、そこは楽しませていただきましたが・・・。
渡氏が「評」というよりは、ほとんど怒りさえもこめている気持ちが解りました。
何だか浮ついている感じがする。
いかにもアメリカの都会女性が異国で感傷に浸っているだけのような。
離婚のこと、年下の恋人との別れのこと・・・、
なんで別れたんだか全然理解できない。
ただ飽きただけとしか・・・。
彼女は、友人の言葉には耳を貸さないけれども、
南の島の歯の抜けた怪しい老人の言葉なら信じるんですよ・・・。
しかしその老人はいみじくも言いました。

「地に足をつけなさい。頭ではなく心の目でものを見るように。」

結局彼女はぜんぜんそうではありません。
「生活」からは遠いし、変に観念的になって人の愛をすぐに受け入れられない。
頭でなくハートで感じたまま行動すればいいだけのこと。
結局何も身についていないじゃないですか。
いかにもお金に困らない人の戯言です。

ああ・・・、どうも私まで辛口になってしまいますね。
残念な作品でした。
というか、なんでこんなものわざわざ映画にしたんでしょ・・・。

2010年/アメリカ/133分
監督:ライアン・マーフィ
出演:ジュリア・ロバーツ、ジェームズ・フランコ、ハビエル・バルデム、リチャード・ジェンキンス

真田家ゆかりの地を訪ねて・・・

2010年09月27日 | インターバル
信州上田の旅





さて、何故突然「真田太平記」なのか、ということでございます。
今「歴女」ブームというのはご存じかと思います。
いえ、私ではありません。
我が家のいい年の娘が「戦国BASARA」にはまり、
真田幸村のゆかりの地、長野県上田市にぜひ行ってみたいと申しまして。
私はそのゲームをしたこともないし、そもそも歴史オンチなので、
真田幸村といわれてもピンと来なかったのですが、
何でもいいから面白そうだからついて行ってみようと思ったわけです。
それにしても、何も解らずに行ってもつまらないので、
予習のつもりで「真田太平記」を読み始めたという次第。
どうでもいい動機でしたね・・・。


ところで、我が北海道から長野までは・・・遠いです。
千歳→信州まつもと空港は一日1便しかなくて、
それはもう満席で取れなかったんですね。
それで、名古屋経由で長野まで。
フリーの旅は気ままでいいですが、ツアーよりも乗り換えが面倒だし、
費用もかかります・・・。
費用はともかく、いろいろな乗り物に乗るのは
それでまた、楽しかったりしますけれど。

2泊3日ではありますが、ほとんど往復で一日ずつ。
自由に動けるのは中1日というところです。
でも、上田市を重点に回るのなら充分。

ということで、長野市に一泊した翌日、電車で30分ほどで上田駅。
駅に降りるとさっそく、このようなものが・・・。

若い人のハートをつかむ工夫たっぷり。
なかなかおしゃれです。





上田城は1583年真田昌幸が築いた平城。
(とは言っても、やや高台に位置しておりました)。
徳川の大軍を二度に渡り退けたという希有なお城でございます。
今は上田城跡公園としてお堀と城郭の一部が残っています。




付近に植えているのは桜の木とお見受けしました。
これは春には見事そうですね。
・・・あ、約1000本の桜があって、4月には「上田城千本桜まつり」がある・・と、
パンフレットにありました。

ほど近い上田市観光会館では、
今様に若い人受けするゲームキャラをあしらったグッズがたっぷり。
私も六文銭にちなんだものをお土産に購入。



マンホールなどもこんな風にオシャレ。


さてところが、非常にショックな出来事が。
ここには、「池波正太郎真田太平記館」というのがあるんですよ。
まさに、今の私にはぴったりな!! 
勇んで行ってみれば、なんと・・・なんと休館日!! 
24日金曜日。
普通金曜には休館しないでしょうがっ!
・・・よく見れば祝日の次が休館日とある。
うう・・・。
せっかく仕事さぼってはるばる北海道から来たのに。
しくしく・・・。
もしかして仕事さぼったバチでしょうか???


まあそんなこともありましたが、
日常を離れ、たっぷりリフレッシュできた3日間でした。


今回ただ通過点だった名古屋では
「名古屋おもてなし武将隊」というイケメン集団が人気ですよね。
他にも仙台などでもあるそうで・・・。
すっかりミーハーになってしまったオバサンは、
また旅してみたいと思います。
上田市も是非、真田十勇士隊をデビューさせるべきでしょう。


ちなみに、他には長野市内松代へも行きましたよ。
こちらには真田宝物館や真田邸がある。




松代藩は徳川側について生き延びたお兄ちゃん、信幸が藩主となり、
以後明治になるまで連綿と真田家が続いたのです。
だから真田家にとって本当に偉大なのは、この信幸さんなんですけどね・・・。
若くして亡くなった幸村ばかりがもてはやされる。
ま、世の中そんなもんです。


それから、上田駅前にはこれもありました。

アニメ「サマーウォーズ」。
これも上田市が舞台だったんですね。
私は興味はありつつ見逃してしまっていましたが、
ぜひ近いうちに見なくては・・・!!



「真田太平記 (二)秘密」 池波正太郎 

2010年09月26日 | 真田太平記
出生の秘密・・・

真田太平記(二)秘密 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


           * * * * * * * *

さて、第2巻は「秘密」ですか。
それというのは、やはりアレですね。
真田家の長男と次男の出生の秘密。・・・もう二巻で解っちゃうんですか。
まあ、そんなことでいつまでも引っ張っていなくても
これからの展開は十分楽しめるということですよ。
そもそも、その秘密が解っていないとこの先の展開が納得できないじゃないですか。
ですね。だからまあ、ここでもばらしちゃいますが、
つまり源三郎信幸は昌幸の正室、山手殿の子供であるけれど、
源二郎幸村は別の女性の子供である・・・と。
しかも実は二人は同じ年だというのです。
この秘密はある夜に幸村自身が佐平次に打ち明けるんですね。
ははあ・・・、けれど昌幸のかわいがりようで解るけれども、
昌幸が本当に好きだったのは、幸村の母親の方、ということなんだね。
でも、その人がどこのどんな人だったかというのはまだ明かされないわけだ。
ウン。でももう亡くなっているのは確かだと思う。
お殿様なんだからこんな話はいくらでもあるんだろうけどね、
この場合、正室の山手殿というのが異常に嫉妬深いわけ。
この本でも、愛人のお徳さんが昌幸の子を身ごもってしまったものだから、
命の危険にさらされたりするんだ。
それにまた、他にも隠し子発見!!
山手殿の妹の子、樋口角兵衛というのがどうも幸昌の子供らしいんだね。
ひゃー、自分の奥さんの妹にまで手をつけちゃったってこと?
やばいよ、この幸昌さん・・・。
はは・・・。それで、その角兵衛は実はまだ13歳というのに、
体がデカくて行動もやや常軌を逸している。
むろん自分の出自は解っていないんだけど、
昌幸のために自分の母も叔母も不幸になっていると思い込んで、家出。
真田家に恨みを抱き、なんと幸村に襲いかかったりもする。
この確執、この後も尾を引きそうなのです・・・。


おっと、そんなことで本筋を話し忘れていますが、
前巻は信長が明智光秀にやられたところまででした。
ここではもう既にその光秀は秀吉に敗れ、
秀吉vs家康、天下を取るのはこのどちらか、という風に状況が固まってきています。
真田家としては、まだどちらに味方するとも考えが煮詰まらないながらも、
まずは新たに城をつくり、守りを固めようとするのですね。
そう、昌幸の悲願。
城は山城ではなくて平地に建てる。
そこに城下町を作り、商業を盛んにして、豊かな経済力をつけようとする。
なんとなればこれからの戦は鉄砲などの武器や、
忍者による情報収集が非常に重要になるけれど、
どちらも、とてもお金がかかることなんだね。
そういう先見の明で、幸昌は上田(長野)にお城を作ります。
自らも作業に加わるという大急ぎの工事だったみたいだね。

そうそう、それから、あの佐平次は“もよ”という女性と結婚します。
幸村は新妻とイチャイチャしている佐平次が気に入らないのだけれど・・・。
あることの後で、すっかり落ち着いてくるんだよね。
うふふ。
笑っちゃいけませんよ~。真田幸村。なんと言ってもまだ若いオトコノコです。

「遺品」 若竹七海

2010年09月25日 | 本(ホラー)
今は亡き女優にまつわるコレクション

遺品 (光文社文庫)
若竹 七海
光文社


             * * * * * * * *

若竹七海氏のミステリ、というよりはホラーです。
失業中の"わたし"に、金沢のホテルから仕事が舞い込んだ。
そのホテルの創業者は、ある伝説的女優にして作家、曾根崎繭子のパトロン。
曾根崎繭子はこのホテルで、最後のひとときを過ごし、
自殺したのですが、
このパトロンは、繭子にまつわる膨大なコレクションを残していたのです。
"わたし"は、この度そのコレクションを整理し、
展示室を作る仕事を任されました。
ところが、実際に見てみると、
そのコレクション、半端な量ではない。
しかも内容は、彼女がまとったドレスはもちろん、
果ては下着や毛髪、彼女が使った割り箸、
これはもう、病的としかいいようがない。
そして彼女がホテルに住み込み、忙しく準備を進めるうちに、
数々の不気味な出来事が・・・。


繭子の幽霊らしき姿も怖いですが、
このホテルの創業者の変質的な行為が何よりも怖いですね。
そうしてまで囲われていた繭子が、幸福であったはずがありません。
しかし、なにやらエキセントリックで孤高の雰囲気の漂う繭子という存在が
とても魅力的で、全体に不思議な雰囲気を漂わせています。


ところで、この"わたし"は、元々学芸員であったわけですが、
このコレクションの整理と展示という仕事におもしろみを感じて、
熱中していくのですが、その面白みが私にもよくわかります。
展示プランの決定、
展示品の選択、
パネルの作成、
パンフレットの原稿書きと印刷発注・・・。
う~ん、こういう仕事、実は私も好きだな・・・。
そんな仕事につきたかったな・・・と、
相当手遅れなんですがそんな風に感じてしまいました。


ラストはまさにミステリではなくホラー風なオチとなりますが、
それもまた良しですね。
私は彼女の弟子的存在となる、ぶっきらぼうで粗野なタケル君がお気に入りでしたが、
ハッピーエンドにはならなくて残念。
読み出したら止められない一冊ではあります。

満足度★★★☆☆

「桐畑家の縁談」中島京子

2010年09月23日 | 本(その他)
ある日突然妹が結婚宣言した相手とは?

桐畑家の縁談 (集英社文庫)
中島 京子
集英社


            * * * * * * * *

先日読んだ「小さなおうち」で、俄然興味が出てきた中島京子さん。
各出版社も、売り込みにソツがありませんね! 
つられて買ってしまいました。


この作品、期せずして先日読んだ「そんなはずない」と設定がよく似ている。
(朝倉かすみ著「そんなはずない」は私にはどうにも好きになれず、
ブログ掲載は見合わせました。
そのうちボツ特集でもやれば載るかも・・・)

二人の姉妹のことが描かれていて、しかも飛んでるのは妹の方。
姉はそんな妹を見て、自分の人生や愛を見つめ直す、という具合。
前者と比べてこの作品はとても入り込みやすくて、
やはり力量の差を感じてしまいます・・・。


ある日突然妹が結婚宣言した相手は、
中華料理店で働く台湾の青年、ウー・ミンゾン。
ちょっと珍しい設定ですが、確かにこれが好青年だ。
日本語は怪しいですが。
この妹、佳子は、引っ込み思案で奥手・・・だったはずなのですが、
いつの間にやら姉露子よりもくっきりとした生き方を身につけている。
日本語学校の事務という堅実でぴったりの仕事をさっさと見つけてくるし、
始めのボーイフレンドはサミュエル・ジョンソンという黒人で、
その次がこの台湾青年。
しかも突然の結婚宣言。
我が道を行き、いい出したらきかない佳子さんのこと。
母親はもうすっかりあきらめてしまっているし、
父、桐畑氏も本当は反対なんだけれども言い出せない。
そんな家族の揺れる感情がよく表されていますね。


実はこの佳子さん、我が家の次女に何だか似ていて、
人ごとではない気がしてしまったのです。
そうです、我が家も二人姉妹・・・。


現在無職で、結婚する気がなくもなさそうな彼氏もいる姉露子は、
思いにまっしぐらな妹のことがまぶしい。
それで我が身を振り返ってしまうわけですが・・・。
仕事なのか、結婚なのか。
中途半端で気持ちが定まりませんね。
27歳。
これくらいの年齢だとそうでしょうね。
このストーリーでは、露子さんが
あえてどちらにもぎらぎらした気持ちにならないのがいいのです。
結局自分は自分、妹は妹。
姉妹でありながら、性格・持ち味はそれぞれということですよね。
また、結婚がすべてではないし、ゴールでも生きる目標でもない。
そういう姉が、妹を見守るというこの風景、
ほんのりとしたユーモアとぬくもり。
いい感じです。


満足度★★★☆☆

悪人

2010年09月22日 | 映画(あ行)
善悪を規定するものは・・・?



          * * * * * * * *

吉田修一原作のこの作品。
今回は原作の方は読まずに直接映画を見ました。


長崎に住む土木作業員の祐一。
仕事をして、家に帰ってシャワーを浴びて、
同居の祖父を祖母と共に病院へ送り迎する・・・そんな地味な日々。
女の子との出会いなどあるわけもない。
そこで出会い系サイトを通じ佐賀に住む女性と知り合います。
その女性光代は、紳士服量販店の店員。
二人ともめだたなくてまじめ。
今まで羽目を外したことがないというタイプなんですね。
だからこそ本気で、サイトで人と知り合いたかった。

・・・ところが問題は、実は祐一は同じくサイトで知り合った佳乃という女性を
殺してしまっていたのです・・・・。
孤独な二人の心が寄りそったとき、絶望的な逃避行が始まります



佳乃という女の子は、こう言ってはなんですが、かわいい顔して嫌な子なんですよ・・・。
だからといって死んでもいいとは言いませんけどね。
自業自得というところもある。
けれど、親にとってはかけがいのない娘だ・・・。
父親は悲しみとと怒りで我をなくし、
佳乃が慕っていたらしい大学生になぐりかかったりする。
また祐一の祖母は、これまで母親代わりに必死で祐一を育ててきた。
いい子だった。
それがいきなり殺人犯として警察に追われているということに茫然自失。

立場は全く逆なのですが、
同じく家族の身に起こってしまったことで失意と悲しみの底に追いやられている、
という、ここの描写が丹念になされていて、胸に迫ります。


テレビなどで報道される事件の犯人は、誰が見ても間違いなく「悪人」なのですが、
この映画では、どう見ても祐一を「悪人」と呼ぶことができません。
人の心は弱く脆い。
「悪人」と呼ばれる行為は、
普通よりもっと心が弱く脆い人のその結果なのかも知れません。
何が悪で、何が善なのか。
そういうことが、混沌としてきます。
表面の事象だけでは解らないこと。
今の世の中は、法律や規則が善悪を規定しているわけですが、
そういうことでは割り切れないことが
たくさんあるのでしょうね。


光代は始め事情を知らなかったので、
仕事をさぼって祐一と出かけた先でこんなことを言います。

「いつもならこの時間はお店で働いているんだよね。
仕事をさぼったのなんて、生まれて初めて。
こんなに簡単なことだとは思わなかった。
何だかすごく贅沢をしているような気がする・・・」

うん、わかりますよ~。
こういう慎ましさ。
このセリフが彼女の性格を端的に表しています。
祐一が自分の罪のことを打ち明けたのはこの時。
この子になら、素直に本当のことを話せると思ったのに違いありません。

モントリオール世界映画祭、最優秀女優賞は深津絵里さんでしたが、
私はこの金髪の妻夫木聡くんも、
これまでのイメージを突き破った名演であったと思います。


2010年/日本/139分

監督:李相日
原作:吉田修一
出演;妻夫木聡、深津理恵、岡田将生、満島ひかり、樹木希林、柄本明

そんな彼なら捨てちゃえば?

2010年09月21日 | 映画(さ行)
彼は君のことなんか何とも思ってない



          * * * * * * * *

豪華な女性キャストのラブコメ。
気になる作品ではありながら、これまで見なかったのはこの題名のせいなのです。
「そんな彼なら捨てちゃえば?」。
そもそも捨てるとか何とか、
相手は人なのだから、お互いの気持ちのありようで別れるなら別れればいい。
でも一方的に『捨てる』という言い方が、どうも私には気に入らない。
モノじゃないんだから。

原題は、”He’s Just Not That into You”
この作品は様々な男女の恋愛模様が描かれる群像劇ですが、
中心的存在が、ジジ。
彼女は一度デートした相手が「電話するよ」といったことをまともに受けて、
ひたすら電話が来るのを待ち続けている。
また、会いたさのあまり、彼が時折立ち寄るというバーに行ってみたりもする。
そんな彼女にある男性が忠告するのです。

「それは何か事情があって電話できないわけじゃない。
ただ、君に興味がないだけだよ。」

何でもかんでも自分のいい方に解釈してしまう女心には、痛烈な一言でした!! 
…ということで、その一言が題名なんですね。
本当は。
まあ確かに、そのままでは邦題にしづらいのですが、
それにしても「そんな彼なら捨てちゃえば」は、ひどい題名だと思います。



それにしても会った男性すべてに、あそこまで物欲しげなそぶりでは、
敬遠されて当たり前だと思うのですけれど…。
まあ、彼女はすべての愚かな女性の代表という役なわけですよね…。
仕方ないか。
その他、同棲7年目なのに結婚する気がない恋人を持つベス。
結婚しているけれども、夫の浮気が発覚し、悩むジャニーン。
結局、人の数だけ恋愛の数もあるということですね。
結婚は必ずしも愛の落ち着く場所というわけでもなくて。
この作品、男の本音が語られているといいながら、
そこはやはり女性好みの結末に帰着していきます。



特に、結婚する気がないのなら別れましょう、と
7年の同棲を打ち切ったベスのストーリーは、
終盤うるっとさせられました。
すごいぞ、ベン・アフレック!



ということで、ラブコメとしては割とできのいい作品なのですが、
返す返すも残念なのはこの邦題なのでした。

2009年/アメリカ/130分
監督:ケン・クワビス
出演:ベン・アフレック、ジェニファー・アニストン、ドリュー・バリモア、ジェニファー・コネリー、ケビン・コノリー、スカーレット・ヨハンソン


「真田太平記(1)天魔の夏」 池波正太郎 

2010年09月20日 | 真田太平記
サナダ・サーガの開幕

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


             * * * * * * * *

えーと、珍しいですね。時代物。
イヤ、私の時代物は宇江佐真理さん専門なんですけど、
これは時代物というよりは歴史物ね。
なぜ今これなのかというと・・・話せば長いことながら、
まあ、近々長野に旅することになりまして。
どうせならその近辺の歴史を知っていたほうが楽しいだろうと思ったわけです。
まあ、詳しい事情はまたそのうちお話しできると思います・・・。
そうなの・・・? でもこれ、すごく長いのでしょう。
はい、全12冊。実はある方から貸していただきました。
それでもって、これ、私たちの"ぴょこぴょこシリーズ"で、いいんでしょうかね?
はは・・・。いいんじゃないですか。
クリント・イーストウッドはもうすぐ終わりそうだし。
グイン・サーガを一冊ずつやってたこともあるのだし。
そうだね。これ言ってみたらサナダ・サーガだよね。
おお、いいね、それ。
ではでは、皆さんお立ち会い。
サナダ・サーガの始まり始まり~!!



さて、まず1巻目。状況説明の部分が多くなってしまうのは仕方ないけどね。
時は天正10年(1582年)。
武田家の滅亡から始まります。
武田勝頼が織田・徳川連合軍に倒されたというところ。
真田家はこの武田家の方に付いていたんだよね。
そうです。真田昌幸試練の時。
戦国時代のこの頃、各地の武将は誰の味方に付けば自分の家を守っていけるのか
・・・そういう判断が非常に重要だったわけだね。
この時は、主家武田が織田に敗れたので、そのまま織田家に従うことになったわけだ。
ところがご存じの通り、明智光秀の裏切りによって織田信長が死去。
・・・という下りまでがこの巻の背景ということですね。
はい。それでいよいよご紹介ですがこの真田昌幸には二人の息子がいまして、
長男、真田源三郎信幸(のぶゆき)17歳と 
次男 真田源二郎信繁(後の幸村)16歳。
何故に長男が源三郎で次男が源二郎なのか・・・、それは後に分かってきますよ。
そして、昌幸の正室、山手殿。
この夫婦関係、親子関係がどうもぎくしゃくなんだよね。
何かある。この巻ではそれを匂わせておいて、答えは次巻にあるのだけれど・・・。
こういうところが面白いよねえ。
昌幸は端から見ても解るくらい次男ばかりをかわいがり、長男を疎んじているんだ。
そして、まあ当時のことだから奥さんとは政略結婚で、これが全然そりが合わない。
こういったところが今後の様々な展開に影を落とすということになりそうなんだね。
そうだね。でも、気持ちがいいのはこの兄弟。
性格は別々だけれどお互いを信頼し合っていて、それぞれ頭も良く魅力的。
これですよ、これ。主人公はやっぱり魅力がないとね。


この本は、武田家に仕える足軽の向井佐平次という青年が、瀕死のところを真田の草の者(忍者)に救われるというところから始まるんですよ。
彼はその後、真田幸村に仕えることになる。
その一番始めの出会いのシーンが印象的なんだな。

傷を癒すために佐平次が温泉につかっている。
すると、気がつかないうちに見知らぬ男が一緒の湯につかっていて、声をかける。
なんとそれが真田幸村で、彼はお供もつれず単身でやって来ていた。
問われるままに、戦いで傷を受けたことなど話すと
「よう生き残れたな。めでたい、めでたい」などという。
実は幸村の方が年下なのですが、身分の高い者にこのように親しくで声をかかられ、
ねぎらいの言葉をかけられたので急に泣けてきてしまう佐平次。
そこで彼は幸村に気に入られて、仕えることになるんだね。
しかも、そのとき感激のあまり、とても長く湯につかっていたので、湯あたりを起こして倒れてしまうというおまけ付き。
うん、いいシーンでした。
こんな風に登場人物が魅力的に書かれているので、長い物語も全然飽きないんだね。
はい、こんなわけで、この先もたっぷり楽しめそうです。
お楽しみに~。

闇の列車、光の旅

2010年09月18日 | 映画(や行)
明日を信じるに足る何かがある



            * * * * * * * *

ホンジュラスの少女サイラが、
父と叔父と共にアメリカ、ニュージャージー州の叔母の元を目指して旅をします。
それは貨物列車の屋根に乗って旅をする不法移民。
ホンジュラスにいても食うや食わず。
そのまま住んでいても何もいいことがありそうにない。
そういった切実な事情ですね。
ほんの少しの荷物とお金を持って・・。
しかしそんな人たちからさらにお金をむしり取ろうとする者がいる。
メキシコの強盗団が列車の屋根へ乗り込んで来たのです。
サイラがそのリーダーに危うく暴行されかけたときに、
助けてくれたのはその強盗団の一人であるカスペル。
彼はあることがあってこのリーダーには失望していて、
もう女の子が傷つくのを見ていられなかったのです。
しかし、カスペルはそのために強盗団から裏切り者として追われる身になってしまう。
身を捨てて助けてくれたカスペルにサイラは心を寄せ、
二人の逃避行が始まります。




なんというか、圧倒的に力を持った作品なのです。
まず、サイラやカスペルの生活環境の厳しさに圧倒されます。
けれども彼らはそういうことに絶望はしていない。
列車の屋根にいても惨めさはなく、明日への希望を皆持っている、
そういうたくましさが基底にある。
でも、そういった人々のたくましさとは裏腹に、
まだ幼い少年までがギャング団に入りたいと思うほどの、
混乱し、希望のない社会が問題ということですね。
このギャング団の規律は半端なものではなくて、規律に背くのは命がけ。
貧しさ故に、強さだけがものをいう闇の集団に入ったけれども、
その中での階級制は外の世界以上に強固。
そこには自分が「自分」でいる余地もない。
しかし、そこから抜けようとすると、待っているのは死の制裁。
抜け忍のカムイとか、
虎の穴を抜けたタイガーマスクとか・・・。
私はそういう系のキャラに弱いのですワ・・・。


物語はひどく理不尽で悲惨ではあるのですが、暗くない。
人々のエネルギッシュな様子が、
それでも明日を信じるに足る何かを予感させてくれます。
第一、この作品の題名にあるように、
これは「光の旅」なのですから。



実のことを言えば、アメリカに住んでも問題はたっぷりあるのですよね。
何しろ不法移民のわけですから、ばれれば強制送還。
そうでなくてもそんなにいい働き口があるとも思えないですし、
言葉の問題も・・・。
ははあ、でも、ここまでの体験があれば、
そんなことは何でもないことに思えちゃいます。

よく映画では、アメリカにたどり着いている移民たちが登場しますが、
そこまでの過程で、こんな様々なドラマがあるとすれば、
そう簡単に追い返してしまうというのもどうなのかと思いますね。

2009年/アメリカ・メキシコ/96分
監督: キャリー・ジョージ・フクナガ
制作総指揮:ガエル・ガルシア・ベルナル、ディエゴ・ルナ
出演:パウリーナ・ガイタン、エドガー・フロレス、クリスティアン・フェレール、テノック・ウエルタ

「ひかりの剣」 海堂尊

2010年09月17日 | 本(その他)
竹刀を構える集中力が・・・

ひかりの剣 (文春文庫)
海堂 尊
文藝春秋


            * * * * * * * *

文庫化を待ちわびていました。
この作品、海堂作品ではお馴染みの登場人物の学生時代のストーリーです。
1人は東城大学の速水晃一(ジェネラル・ルージュの凱旋)。
もう1人は帝華大学の清川吾郎(ジーン・ワルツ)。
二人は医学部剣道部の「医鷲旗大会」における最大のライバル。
さあ、この二人の伝説の戦いとは・・・!!

このストーリーは、やはり前2作を読んで、
二人の人となりを知っておいた方がより楽しく読めると思います。
双方誰もが一目置く天才医師でありながら、
学生時代は勉学そっちのけで剣道に打ち込んでいたようですね。
ここのところは、著者海堂尊の経験そのままのようです。
全く異なる二人の性格、なるほど、このヒトが後にああなるわけね
・・・などと思いながら読み進むのがとても楽しい。
また、今も昔も食えないおっさん、たぬき親父の高階顧問もいいですね。
剣道はしないけれども、速水と同期、麻雀浸りの田口がちょっぴり顔をだすのがうれしい。
(結局私は田口氏が一番好きみたいです。)
剣道のことなどほとんどわからない私ではありますが、
試合の様子など、結構迫力も感じられました。
この竹刀を構えたときの集中力が、
外科手術のメスを握った時の集中力につながるわけですよね。
若くやんちゃな速水と清川の姿を知ることができて存外の幸せ。
剣道はやたら男臭いですが、ちゃんと女性剣士も登場。
むちゃくちゃ強い朝比奈ひかりは、帝華大側。
朝比奈と速水の対決も見物です。


満足度★★★★☆

デストラップ 死の罠

2010年09月16日 | 映画(た行)
二転三転、意表を突くサスペンスドラマ
         ~「100人の映画通が選んだ本当に面白い映画」より~

             * * * * * * * *

アイラ・レビン原作、ブロードウェイで大ヒットした舞台劇の映画化です。
劇作家シドニーはひどいスランプで、新作の劇も酷評を受ける。
そんなところへかつての講座の教え子、クリフが自作の台本を持ってくる。
それは文句のつけようがないミステリの大傑作。
シドニーはクリフを自宅におびき出して殺害し、
その作品を自分の物にしてしまおうとします。
そしてシドニーは妻の制止も振り切って、クリフを殺してしまう。
ところが・・・。

二転三転し、状況が入れ替わり、意表を突く展開となっていきます。
さあ、最後に笑うのは誰なのか・・・!

殺意が本気なのか冗談なのかわからないところ、
くるくると優位性が入れ替わっていくところなど、「スルース」に似ていると思いました。
まあ、非常に興味深く見たわけですが・・・。


でもこれは映画作品としてはどうなのか、
とちょっと思ってしまいました。
みてすぐに、元は舞台作品というのがわかりました。
オーバーなセリフ回しにアクション。
テンポがあまりよろしくないし・・・。
場面がほとんどシドニー宅、というのは仕方ないのですが。
82年作品・・・というよりも
もっと古色蒼然とした感じを受けてしまいました。
映画なら映画なりに、もっと作りようがあったのではないかと思えてきます。
強いて言えば、この作品は映画ではなく、舞台だと思って見ると良いでしょう。
その方が違和感なく楽しめると思います。

デストラップ~死の罠~ [DVD]
マイケル・ケイン,クリストファー・リーヴ,ダイアン・キャノン
ワーナー・ホーム・ビデオ



1982年/アメリカ/117分
監督:シドニー・ルメット
出演:マイケル・ケイン、クリストファー・リーブ、ダイアン・キャノン、アイリーン・ワース

「10センチの空」 浅暮三文

2010年09月15日 | 本(その他)
飛ぶ能力を分かち合いながら人間社会ができた

10センチの空 (徳間文庫)
浅暮三文
徳間書店


            * * * * * * * *

この作品、国語の教科書(『現代の国語2』三省堂)に掲載されているそうです。
今時の教科書に載る作品って?
・・・と若干興味を持って読んでみました。

プロローグとして、原始、空を飛ぶ人々が翼竜を狩るシーンなどがあります。
太古の昔、人々は自由に空を飛ぶことができた。
しかしその能力は次第に失われていって、
今、その能力を継承する者はごくわずか・・・。


さてこの物語では大学生の敏也は、空を飛ぶことができる。
しかし、それは10センチの高さだけ。
10センチ飛べることになんの意味があるのだろう。
なんの役にもたたないじゃないか。
周りの皆は就活に忙しそうにしているけれど、
敏也は自分のやりたいことがわからず、就活自体に取り組む意欲もない。
そんな時、ラジオ番組にそういう悩みを投稿したことをきっかけに、
少年時代のある出会いを思い出すのです。

敏也はそもそもどういうきっかけで、いつから飛べるようになったのか記憶がない。
けれど、少年時代、ある少年との出会いがあって、
その少年から『飛ぶ』能力をわけてもらったのでした。
ところで、飛ぶ能力は人に分けると文字通り半減してしまうのです。
元々その少年は20センチほどの高さを飛ぶことができたのに、
敏也に分けたことによりお互い10センチほどまでしか飛べなくなってしまった。
けれども、敏也は思い出します。
初めてその10センチを飛べたとき、どんなにうれしかったか。
その高揚感。
たった10センチだけれど、気持ちは文字に書けば「高く揚がる」だ。
そしてまた、飛ぶ能力を分かち合うためには、
お互いの信頼感が不可欠ということ。
そんな大事なことをどうして忘れてしまっていたのか・・・。
そこのドラマも大事ですね。


「飛ぶ」というのは、幸福感を表すと思うのです。
または思い切って自らのやりたいことに踏み出すこと。
どうしたら飛べるのか。
それはつまり、どうしたら自分を生かして充実感を得ながら前進できるのか、
そういうことなのだろうなあ。
飛ぶ能力は、人から分けてもらうもの。
必要なのは信頼感。
とすれば、私たちは原始の昔から、
繰り返し人と人との信頼を結び、
飛ぶ能力を分かち合い、
社会を作り上げてきた。
その結果飛翔能力を失ったとも言えますね。
しかしそうなると逆に、人と人とのつながりが、
もうさほど必要でなくなってきてしまっているということか・・・。

けれど、敏也は人と人とのつながりの意味、
飛ぶことの意味をしっかりと思い出すのです。
大事なのは、決して一人では飛べないということなんです。
もちろん飛ぶという行為は一人のものなのですが、
どんなに自分の好きなことをしても、
そのことを認めてくれたり、励ましたり祝福してくれる人がいなければ意味がない。
つまり、そういうことがあれば私たちでも飛べるのかな?
10センチでなくてもいい。
3ミリくらいでも、飛べたらステキですね。

満足度★★★★☆

パリ20区、僕たちのクラス

2010年09月13日 | 映画(は行)
問題児の多い中学校のリアルな日常



            * * * * * * * *

生い立ちも出身国も様々な24人の生徒が集まる
パリ20区にある中学校のクラス。
彼らの担任であり国語教師であるフランソワの授業を通して、
彼らの一年を描いていきます。

まずこの教師役のフランソワは、この作品の原作者であり、実際に教師でもあった方。
さすが教師役が身についていますね。
そして子供たちは、実際パリ20区フランソワーズ・ドルト中学校の子供たちで、
撮影前週一回7ヶ月のワークショップを行い、
通い続けた子の中から選ばれたとのこと。
実際ドキュメンタリーのように感じられるリアルさで、私たちを圧倒します。







人種も、元々の言語もバラバラ・・・というので、
まとまりの無いことは想像が付きますが、
この授業風景は、やはり日本の学校ではほとんど考えられない雰囲気ですね。
なにしろ、子供たちはみな自己主張のかたまり。
思ったことは遠慮無く口にする。
だから授業は活気があるけれども、時には感情のすれ違いも生じる。
日本の子供たちなら、たぶん遠慮して口にしないようなことも・・・。
日本人は目立つことを嫌う傾向があるのだけれど、
彼らはこの様な雑多な人種、個性の中で生きて行くには、
ただおとなしくしていたのではダメなんだろうなあ。
これはもう、それぞれの国の長―い歴史と風土の中で培われてきたことなので、
致し方ない面もあります。
ああ、そういえば先日読んだ米原万里さんの本の中で、
彼女はつまり帰国子女だったわけですが、
日本の学校でヨーロッパの学校と同じように振る舞ったら、
ものすごく嫌な奴と思われてしまったというくだりがありました。
グローバルな未来のために、
私たちはもっと自己主張を身につけなければなりませんねえ。
英語よりはディベートの授業を多くした方がいいのでは?


おっと、だいぶ話がそれました。
この全く手の焼ける子供たちに対して、
フランソワはとても良くがんばっていると思います。
何とか彼らと対等に話をして、良い方向に導きたいと思う。
けれど、時には忍耐にも限度がありキレてしまう。
笑顔の子供たちは天使だけれど、
ほんの些細な言葉の行き違いで悪魔に豹変。
全く教師は因果な職業です。
教員たちの話し合いの場も、結構多く描写されています。
フランソワの悩みはまた教員みんなの悩みでもある。



このストーリーはどこにでもある学校の1クラス、1年を切り取ったものなんですね。
だから、みなで力を合わせて何かに挑戦したり、勝ったり負けたりはなし。
それどころか、退学する子まで出てしまう。
決して甘い作り事で飾られてはいません。
でも、一年たって気がついてみれば、
何となくまとまっていい感じになっていたりする。
子供の成長ってそういうものなのかも知れませんね。
一朝一夕で答えが出るものではない。
やや長い目で見ることも必要だ。
そうは思っていても、目の前の些末なことにはやはりいらいらさせられる。
う~ん、そういうところがやっぱりリアル。



・・・私はちょっぴりフランソワ先生の私生活も見てみたかったです!!

第61回カンヌ国際映画祭 パルムドール(最高賞)受賞


2008年/フランス/128分
監督:ローラン・カンテ
出演:フランソワ・ベゴドー

「ペンギン・ハイウェイ」 森見登美彦 

2010年09月12日 | 本(SF・ファンタジー)
オドロキに満ちた瑞々しい世界

ペンギン・ハイウェイ
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)


           * * * * * * * *

この本は、ちょっと今までの森見ワールドとは趣が異なります。
まずは舞台が京都ではない。
どこかの都市の郊外、新たに区画されてできた住宅街です。
まだそこここに森や草原が残っている。
そして主人公が学生ではない。
小学4年生の男の子、アオヤマくんが語り手となります。
・・・となれば、もうこれはいつもの森見ワールドとは言えないのではないか? 
いえ、そうではありません。
基調はファンタジーなのだと思います。
京都で起こる不思議は、なにやら日本古来のほっこりとした懐かしさがありますが、
この「ペンギン・ハイウェイ」は、まさに、現代のファンタジーといっていいでしょう。
ここで主人公を小学生に据えたのは、
何も目先を変えようというだけではないのです。
ちょうど自意識が目覚めてくる10歳前後の子。
身の回りの世界と自分との関係をはっきり系統立てて理解できてくる年頃なのだと思います。
何もかもを新鮮なオドロキで見つめ、考える。
そういう瑞々しさに満ちた世界を、
私たちもアオヤマくんの視点を借りて体験することになるのです。


ストーリーは、この静かな街にある日突然ペンギンの群れが現れる、
そんなところから始まります。
あるはずのないこと・・・。
アオヤマくんはとても賢くて研究熱心なので、
お父さんにもらったノートに様々なナゾを書き付けて、解明を目指します。
そんなある日、アオヤマくんは
大好きな歯科医院のお姉さんが放ったコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃。
どうやら時々この町に出現するペンギンたちは、
このお姉さんが作り出しているらしい。
でも、どうしてそんなことが起こるのか本人もわかっていない様子。
また、そんな時、
アオヤマくんのクラスメイトのハマモトさんが、
森を抜けた草原に不思議な球体がぽっかり浮かんでいるのを発見。
直径5メートルばかりのそれは、水でできているようにも見えるので、
<海>と命名し、
同じくクラスメイトのウチダくんを交えた3人で、
この<海>を観察し研究することとする。
どうやらペンギンとこの<海>は関係がありそうなのですが。
さあ、アオヤマくんはこのナゾが解けるかな?


アオヤマくんの家族、歯科医院のお姉さん、ウチダくんにハマモトさん。
アオヤマくんはとてもいい人の輪を持っています。
こういう環境は、確かによい子をつくります。
今さらですが、こういう風に子供を育てれば良かった・・・なんて思ったりして。
でも、そこにちゃんと子供にとって理不尽な試練もあるんです。
それがスズキくんの存在。
スズキくんは「スズキ君帝国」の皇帝。
つまりいばりんぼで、いじめっ子なんですよ。
アオヤマくんは彼らにも何とか冷静に対処しようと思うのだけれど、
度重なるいやがらせには我慢できないこともあるようで・・・。
そんなところがこの妙に大人びた少年に少年らしさを呼び戻すところでもあり、
このおかしみもこの物語では重要です。
大人たちが変に介入せず、
とりあえず状況を見守っているという風なのもいいですね。


結局、アオヤマくんの抱えているナゾは、歯科医院のお姉さんに帰結していくようです。
それはまだ恋とも言えないほどの、
アオヤマくんの不可思議な心の動きに、微妙にリンクしているようでもある。
アオヤマくんにとっての最大のナゾはお姉さんであり、
それはこれからの今後の彼の人生の中でも、
もっと大きくなっていくナゾのプロローグである、
ということなのではないでしょうか。

不思議で楽しくて、ちょっぴり切ない。
おすすめの一冊です。



満足度★★★★★