映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

落下の王国

2008年09月30日 | 映画(ら行)

世界遺産13箇所、24カ国以上でロケをしたという、
これこそ劇場の大画面(とはいえ、ミニシアターでしたが・・・)で見たい、
美しく雄大な映像満載です。

映画の舞台は1915年。
映画の歴史ではごく初期の時代です。
当然モノクロで、無声。
この映画の創始期に、青年ロイはスタントマンを務めていました。
ところが、汽車から飛び降りてそのまま馬の背にまたがるというシーンで、
失敗して大怪我。
病院のベッドで身動きできません。
おまけに、恋人が主演男優に心変わりして失恋。
自暴自棄の彼は自殺を夢みる。

そんなところに現れたのが、同じ病院に入院中の5歳の少女アレクサンドリア。
彼女はオレンジの木から落ちて怪我。
ギプスで固めて動かせない腕の先に、
いつも大事そうに彼女の宝物が入った箱を持って歩いているのがかわいらしい。
人懐っこい彼女はロイのところに来てお話をせがむのです。
ロイは何とかこの少女をつかって、薬品庫から自殺のための薬を盗み出させようと、
せがまれるままに物語を紡いでゆきます。
その物語の舞台が、この様々な世界遺産などの遺跡であり、
雄大な自然であるわけなんですね。
それぞれほんの1シーンしか出てこないのが、なんだかもったいないです。
もっと、ずーっと眺めていたかった。
そもそも、ああいった風景は
それ自体がいろいろな物語を想像できてしまう力を持っているような気がします。
ゾウが海を泳ぐという幻想的なシーンがあるのですが、
これは特撮でもなんでもなくて、本当に、ゾウは泳ぐのだそうです。
でも一番撮影が大変だったとか。
苦労した甲斐はありますね。

アレクサンドリアは、物語の登場人物に身の回りの人々のイメージを重ねながら、
物語に没頭していきます。
ロイはいいところで話を切って、
この続きを聞きたければ、この薬を持ってくるようにと、
アレクサンドリアにメモを渡します。
記された字は「モルヒネ」。
そもそも、字を読むのもやっとの5歳。
さて、この守備は・・・・。

純真で人を疑うことのない少女の心に、胸が熱くなってきます。
そしてロイも彼女の心に打たれ、次第に生きる力を取り戻してゆく・・・。
鮮明で美しく際立った物語シーンの映像と、
病院内のほの暗いしっとりした映像の対比が面白い。
欲を言えば物語の登場人物たちに、もうちょっと魅力が欲しかった・・・。
風景に負けてました・・・。

2006年/アメリカ/118分
監督・脚本:ターセム
出演:リー・ペイス、ダニエル・カルタジローン、カティンカ・アンタルー、ジャスティン・ワデル


ユージニア

2008年09月29日 | 本(ミステリ)
ユージニア (角川文庫 お 48-2)
恩田 陸
角川グループパブリッシング

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この物語は過去に起きた一つの大きな事件のことを、
様々な人たちの視点から語っていく、そういう構成になっています。

まず、その事件とは・・・。
ある名家、青澤家のお祝いの日。
当主の還暦祝いとおばあさまの米寿のお祝いという。
近所のたくさんの人々、子どもたちが集まっていた。
そこに届けられた、お酒とジュース。
乾杯の直後、そこは阿鼻叫喚の地獄と変わる。
それには毒が入れられており、結局子ども6人を含む17人が亡くなった。
犯人は、その酒を届けに来た男と思われていたが、
警察の必死の捜査にもかかわらず、誰とも判明しない。
ところが、2ヶ月ほどしたある日、ある男が遺書を残して自殺。
その遺書には、自分が毒殺犯人であるとの告白がなされていた。
事件はあっさりとそこで終止符が打たれる。
しかし、実行犯はその男だとしても、彼をそのように仕向けた真犯人が別にいるのではないか
・・・そのような疑惑を抱いた人がいた。

10年ほど経て、事件当時小学生で関係者でもある女性満喜子は
長じて大学生となっていた。
彼女は事件の関係者にインタビューして回り、
『忘れられた祝祭』という本にまとめ、話題となる。

この本は、さらにまたそれから20年ほどを経て、
事件当時のことと、満喜子のインタビュー当時のことを
さらにインタビューして回った、その記録、という体裁になっています。
結局この文を書いているのは誰なのか、
それはやっと終盤近くになって明かされるのですが・・・。

真犯人との疑惑を持たれたのは、
ずばり、その青澤家のただ一人の生き残り、緋沙子。
美しく聡明。
名家のお嬢様として誰もが慕い敬う。
しかし盲目の彼女。
彼女が真犯人とすれば一体その動機は・・・?
人の心の不可思議さと奥底に潜む闇を語っています。

一つの事件を多方向からの視点で見て、その核心に迫ろうとするのですが、
最後までその核心には届かない。
もどかしくもあるのですが、
結局人の心というのはそこまでくっきりと像を結ぶものではないのだ、
というのも真実のように思えてきます。

恩田陸さんのエッセイの中で、
「物語のあるシーンが何かの折にふと見えてくることがある」
というようなことが書いてあります。
青い部屋。
さるすべりの白い花。
そこにたたずむ少女。
彼女のなかに浮かんだこのようなシーンが、
この物語を生んだのかなあ・・・と、そのように想像してしまう、私です。
これぞ恩田陸の真骨頂という感じの、不思議でちょっとひんやりした作品でした。

満足度★★★★


ギルバート・グレイプ

2008年09月28日 | 映画(か行)
ギルバート・グレイプ

角川エンタテインメント

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さてやっと、自称ラッセハルストレムシリーズも、とりあえずは終盤です。
この作品は、もう何年も前ですが、映画館で珍しく「ラッセ・ハルストレム特集」という企画を組んでいて、
当時「サイダーハウス・ルール」でこの監督に興味を持った私が、
何の予備知識も持たずに見た作品なのです。
するとなんと、主演がジョニー・デップだし、弟役の知的障害の少年がレオナルド・ディカプリオ。
思わずのけぞってしまいますよね。
私はジョニデ作品では実はこれが一番好きだったりします。
ナイーブで一番普通の青年っぽいところが。
そしてまた、これはラッセ・ハルストレム作品で多い家族・家というテーマが、
最もそのものズバリと、あらわされている作品でもあります。

アイオワ州のエンドーラという寂れた田舎町。
24歳ギルバートはこの町の食料品店で働いています。
退屈なこの町には実はうんざりしているけれども、彼は町を出ることができない。
というのは、父親は17年前に自殺して亡くなっており、
知的障害のある弟アーニーの世話が必要。
そして母は父が亡くなったときのストレスから過食となり、
今では立って歩くこともやっとなくらいに肥満し、ほとんど外に出ることもできない。
妹二人もいますが、彼はこの一家の生活を支えるため家を出ることができない。

そんなところへ、トレーラーで旅をしているベッキーと出会います。
ほんの通過点のはずのこの町に、車の故障のためしばらくの間滞在することになった。
家族を愛し、大切にしているギルバートではありますが、
一方では自分を縛り付けている楔のようにも感じている。
その対極として、身軽に自由に旅そのものを生活としているベッキーがあるわけです。
次第に心引かれていく二人。
けれどやはり町は出られない・・・、
そんな苛立ちのために、初めて弟を殴りつけてしまうギルバート。
ラストにはまた、意外な展開があるのですが、
結局、このストーリーでは、母親=家=家族という構造なのだと思います。
家から出ない母親、土台が腐りかけている古い家。
そして、最後は母親の死=家の消失へとつながっていきます。
そこで、解き放たれるギルバート。

でも、家族や家が重荷だから、捨ててしまう、そういう話でははないのです。
過去から引きずってきたその関係が、今消失した、
というだけで、次に新しい家や家族ができていく。
これはそういう別の再生の物語ということなのでしょう。

このたび、改めてみて思いましたが、
レオナルド・ディカプリオの演技に目を見張ります。
たまにみかけますね。こういう子。
私は特別ファンではありませんが、ちょっとレオ様を見直しました。

結局、「ギルバート・グレイプ」は単に主人公の名前なのですが、
この映画のことを知らない人に教えるのが難しい。
一度言ったくらいでは全く覚えてもらえません。
こういう点で、ちょっと損してますね。この映画。

1993年/アメリカ/117分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイス、メアリー・スティンバージェン、レオナルド・ディカプリオ

 


すきまのおともだちたち

2008年09月27日 | 本(SF・ファンタジー)
すきまのおともだちたち (集英社文庫 え 6-10)
江國 香織
集英社

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この本は何ヶ月か前に表紙のかわいいイラストに惹かれて買ったのですが、
どうも、あまりにもファンタジーっぽいその雰囲気に、気後れがして、
しばらく読まないまま放ってありました。
カット入りで、そうボリュームもないので、意を決して読み出したら、
あっという間に読み終えてしまいました。
というか、面白かったんですよ、これが!

この本の「すきま」とは、現実のほんの少しのすきま、現実ではない場所のことです。

「わたし」はあるとき不意に見たこともない場所に入り込んでしまいます。
そこには「おんなのこ」がいて、彼女を旅人として、泊めてくれる。
「おんなのこ」には、両親がいなくて、
けなげに自分ひとりでレモネードを作って売ったり、針仕事をしたりして自立して生活している。
よくファンタジーにありそうな、ただほんわかとほほ笑んでいるような、
またはか弱く誰かに守ってもらいたいような、そんな存在ではなくて、
たくましく、時には辛辣だったりする。
「おんなのこ」って、本当はそういうものですけど。
また彼女の家には「お皿」がいて、車を運転(!?)したりするし、
町には「豚の紳士」が歩いていたりする。
「わたし」は、年月を経て何度かそこへ迷い込むのですが、
そこでは「おんなのこ」は「おんなのこ」のまま。
変わらず、確固とした世界。
「おんなのこ」からすれば、見るたびに若い女性が、オバサンになり、オバアサンになっていくのを不可解とみる。

「わたし」には、現実世界でステキな恋人がいて、
その後もまずまず幸せな結婚生活を送り・・・、
別に現実を逃避したいと思っているわけでもなんでもないのに、
ある日突然その時が来るのです。
しかし、そのすきまにいる間は現実世界が夢のことのように思われる。
帰るときもそれは不意に訪れるのですが、気がつくとそれは、もといた時の直後、
つまり、現実界では瞬きするほどの間でしかない。

この話が、何を意味するのか・・・などと小難しい話をするのはよしましょう。
いやおうなく流れる現実の時間のすきまに、
そんな世界があると想像するだけで楽しいではありませんか。
時に誰かの恋人であるとか、妻であるとか、母であるとか、
そのような役目をすっかり忘れて、ただの「わたし」としての時間を過ごす、
そういう「すきま」なのかも知れませんね。

この物語に添えられているこみねゆらさんの挿絵がまた、この物語世界をささえています。
この物語に、もう、この人のイラスト以外は考えられない感じです。
いつも読むというわけではないけれど、
物置にしまいこまないで身近に大事においておきたい、
そんな本です。

満足度★★★★


空からぎろちん

2008年09月26日 | 本(エッセイ)
空からぎろちん (講談社文庫 な 41-16) (講談社文庫 な 41-16)
中島 らも
講談社

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「空からぎろちん」 中島らも 講談社文庫

中島らもさんのエッセイ集です。
これは1995年に出されたものなので、話題としてはちょっと古いところもありますが、らもさんの個性満開。
パンチがあって楽しめる一作。
著者は大変多彩な方ですよね。
ミュージシャンでもあり、元コピーライター、そして作家。
私はあまり著作を読んでいないのですが、すごくユニークな人という印象があります。
しかし、2004年に52歳で逝去。
・・・大変残念なことであります。

さて、この本の中で、こんな文章を見つけました。
「私の文章の書き方」ということで、

一番いいのは、ビジネスの報告書を書くセオリーではないかと思う。
つまり一番最初に結果を書く。
次にどうしてそういうことになったのか、プロセスを書く。
最後にこれに対する自分の意見や、今後の対処の仕方なりについて書く。
これが一番伝わりやすい方法だろう。
ただ、エッセイの場合、原稿料をもらう以上、
それは広い意味でのエンターテイメントでないといけない。
(・・・中略)
だから、一編の文章の中に極力二つ、面白いフックを用意しておく。
冒頭に一つ目を置いて、これを漫才でいう「つかみ」にする。
二つ目を終り近くに出してこれは落語でいう「さげ」。
しかしなかなか思うように書けることはない。

ちょっと長くなりましたが、すごく良くわかります。
このように意識しているからこそ、この本は楽しく読めるのですから。
そして、できれば私もこの技を見につけたいものだと思います。
しかし、らもさんでもなかなかできないといっているのですから、遠いですねえ・・・。

ところで、この本の表題「空からぎろちん」。
中の多くのエッセイのうちに、これに係る話が出てくるのかと思ったのですが、
実はぜんぜん出てきません。
コピーライターの彼らしく、人をぎょっとさせ、人目につきやすい題名ということなのかもしれません。

満足度★★★★


ガタカ

2008年09月25日 | 映画(か行)
ガタカ

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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遺伝子が社会生活のすべてを決定するという、サスペンスタッチの近未来SF。
遺伝子を解読することにより、その人の性格や疾病傾向、
およその寿命まで推測できてしまう、
というようなニュースが伝えられたのも、そう古くはないことだと思います。
この作品はこのことが一人歩きして、
遺伝子がその人の価値を決定付けてしまうという、
あり得なくもなさそうなところが怖い、ストーリー。

胎児の間に劣性遺伝子を排除し、出産するということが普通に行われる世界。
主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)は、
そのような操作なしで、自然な形で生まれました。
ところが、さっそくの検査で、「心臓が弱く、寿命30年」と宣告される。
確かに病気がちでやせっぽちの彼は、
その後遺伝子操作で生まれた弟よりも、かなり見劣りがする。

彼は子どもの頃から宇宙飛行士になる夢を抱いていました。
しかし、宇宙開発ガタカ社は、優秀な適正遺伝子を持つものしか採用しない。
この世界では、優秀な遺伝子を持つものだけがエリートとして優遇され、
そうでないものは下層社会の中から決して浮かび上がることはできない、
そんな社会なのです。

しかし、そんなところには必ず裏のルートがあるもので、
ある組織を通じて、彼は、ジェローム・モロー(ジュード・ロウ)という男と知り合う。
彼こそは、完璧な遺伝子の持ち主で、エリートの道を約束されていた。
しかし事故のため、下半身不随。
ヴィンセントはジェローム・モローの名前と遺伝子、つまり、血液・尿など・・・を借りて、ガタカ社入社を果たすのです。

遺伝子や名前は借り物でも、入社後は、やはり彼自身努力するしかありません。
必死に学び訓練に耐え、彼は土星の衛星タイタンへの飛行士の座を得る。
日常的にある血液や尿検査のため、
彼は毎日ひそかにジェロームの血液や尿を持ち込み、たくみに検査をすり抜ける。また、彼自身の体毛など遺伝子の痕跡を落とさないよう、
毎日細心の注意を払いヒゲをそり、垢を落として出勤する。

一方この、完璧な遺伝子を持つ男をジュード・ロウが演じるというのはすごく説得力あります。
確かにそうだよねえ・・・と、ついため息が漏れてしまう。
彼は水泳選手だったのですが、どうしても金メダルが取れず、銀メダル止まり。
「金メダルを取るべく生まれたのに、銀メダルしか取れない」 
このことに傷ついた彼は自殺を図り、半身不随となっていたのです。
この二人の間に友情が芽生えていく、
ここのところが、この映画のいいところなんです。
彼は、遺伝子の情報など無視しひたすら努力するヴィンセントに自らの夢を託す。
これはほとんど愛ではないか、と思うほどの・・・。
いえ、勝手に妖しい想像をして楽しんでるだけで、
そういう映画では決してありません!

そんなときに、社内で殺人事件が起こるのです。
いっそう厳しい遺伝子の検査、刑事の疑惑の目に、彼は耐え切ることができるのか・・・!?

遺伝子の情報なんて、単なるその人の一面を表すものでしかない。
そんなもので計れないもっと大きな可能性を私たちは持っている、と思いたいですね。
今、血液型で人を計るような風潮がありますが、
しゃれのうちなら良いですが、入社の判断材料にまでしてはいけませんよね。
ちょっと話は別かも知れないけど、学歴で人を計るのもやめた方がいい。

とてもいい作品に加えてジュード・ロウなので、紹介していただいたCDさんに感謝!!です。

1997年/アメリカ/106分
監督:アンドリュー・ニコル
出演:イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウ、ローレン・ディーン


「聖域」 篠田節子

2008年09月23日 | 本(その他)
聖域 (集英社文庫 し 23-7)
篠田 節子
集英社

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これは1994年作品で、ちょっと古いですね。
宗教が絡んだ長編サスペンス。
まさに、篠田節子、という感じの一作です。

出版社に勤める実藤は、移動先の編集部で、未発表の『聖域』という原稿を見つける。
しかし、その原稿は未完のままで終わっており、
ほとんど無名の作家水名川泉は失踪して行方不明。
実藤はこの作品に異常に惹かれ、ぜひとも作者水名川を探し出し、
続きを書いてもらいたい、いや、とにかく結末が知りたいと熱意を燃やす。
しかし、彼女の行方を捜すうちに、
この原稿に係ったものはみな破滅の道を歩んでいるという事実も浮かび上がってくる。
果たして、作者を探し出すことができるのか、そしてその結末とは・・・。

この本で語る聖域とはつまり、死後の世界に係ることなのです。
私たち生きる者には必ず訪れる死。
様々な宗教は、結局その死をどのように捉えるのか、という問題なのかも知れません。
水名川泉は子どもの頃青森県津軽半島に疎開したことがあり、
その時に怖ろしい体験をし、ある種の能力を身に付けたというのです。
恐山の近辺とすればまあ、その能力というのもご想像いただけるでしょう。

実藤には、ほのかに思いを寄せた千鶴という女性がいたのですが、
思いを告げる前にチベットで亡くなってしまった。
このことが後半に意味を持ってくるのですが、
ついに水名川泉を探し出したときに、彼は亡くなったはずの千鶴と対面する。
ほんの一瞬垣間見る彼女との至福のとき。
水名川泉と対面した時に、彼は何度かこれと同様の体験をします。
次第に実藤は、小説の続きが知りたいのか、千鶴に会いたいのか、自分でもわからなくなってくる。
しかしそれと同時に、いつも同じシーン、いつも自分の記憶にある千鶴でしかないことに気付き、
これは「霊」というものがあるのではなく、
単に自分の記憶が呼び出されているだけなのではないかと疑惑に思う。
・・・とすれば死はやはり、
ただの無、永遠の虚無なのか。
そう考えると、ひどい絶望感が襲います。
それは恐怖ですらあります。

しかし、ご安心を。著者は、ちゃんと美しい結末を用意してあります。

作品中、怪しげなカルト教団も出てくるのですが、
オウム真理教の地下鉄サリン事件が1995年ということを考えると、
著者が宗教に対して抱く危険性の思いが先行しているのは、さすがという気がします。

満足度★★★★


ウォンテッド

2008年09月22日 | 映画(あ行)

特別見たいと思った作品ではないのですが、都合の良い時間帯では、これくらいしかなかったので・・・。
この監督は大変人気を誇るロシア人監督ですね。
それをハリウッドが引っぱってきて作った作品。
だから映像的には確かにすごかったです。
眉間にタテジワの強烈にクールなアンジェリーナ・ジョリー。
ど派手なカーチェイス。
脅威のスローモーション映像。
これは主人公ウェスリーがアドレナリン大放出で、意識が超人的に早く回転。
結果、動いているものが静止しているほどにスローモーに見える。
こういう映像なのですね。
私は、サイボーグ009が、奥歯の加速装置のスイッチを入れたときのことを連想しました。
(なんてマニアック!!)
弾丸が、カーブ?!
そんなのありかい!
と思いつつ、まあそういう映画なんだから、それも許す。

でも、なんだかこのストーリー自体がどうしても好きになれませんでした。
コミックが原作のようですね。
だからストーリーをせめても仕方ないですが・・・。

主人公ウェスリーはつまらない会社でつまらない仕事をし、
いやな上司に嫌味を言われ、友人には彼女に手を出され・・・、
なんとも冴えない日常。
まあ、「その他大勢」という役どころですね。
ところがある日突然、「フラタニティ」という謎の暗殺組織に呼び出される。
優秀な暗殺者だったウェスリーの父が裏切り者に殺され、
その魔の手がウェスリーにも迫っている。
仲間に加わり暗殺者としての仕事をするように、と。
拷問まがいの特訓を受けつつ、めきめきとその能力を発揮し始め、
生き生きと輝いてくるウェスリー。
この組織は1000年前から続いているそうで、
その暗殺のターゲットを決めるのがなんと、織り機。
「運命を織る機械」とでも言いましょうか、
織られた布に、神の意思が暗号となって織り込まれている! 
(この怪しげな設定は実は結構気に入っています・・・。) 
「1人を倒せば1000人が助かる。」
それが彼らの理論。
それなら、ヒトラーをぜひ倒して欲しかった・・・。

しかし、所詮彼らは暗殺者なのです。
正義の味方ではない。
いわば彼らの内紛のために、列車が谷底に転落したりする。
大惨事ですよ。
しかし、彼らは自分だけ助かって、他の乗客はどうなっても知らんふり。
ウェスリーは任務を果たすために、
彼を助けようとする男に銃弾を打ち込み、もろともに谷底へ落ちることもいとわない。
はあ~? 
それ以前にすることがあるだろー、といいたくなる。
あのハンコックでさえ曲がりなりにも人助けはするのにね・・・。
結局、彼らの暴走により、余計死者が増えている・・・。
ああ、だからこそ、織り機からのあの「指令」が降りていたわけで・・・。
そこのところは妙に理屈にあっていたりする。
だとすると、やはり死ぬべきなのは「彼」なのではないでしょうか。

一番最後にウェスリーが満面の笑みを浮かべますね。
あれは、私には悪魔の笑みに見えてしまったのですが・・・。

結局このストーリーは、毎日がつまらなくて惨めで、
自分の存在価値が見出せない人の抱いた「夢」にしか過ぎない気がします。
やたら出てくる暴力シーンもいただけないし・・・。
これを単に「すごくかっこよかった、面白かった」と言えない自分に、
むしろほっとしている。
こんな映画でこんなことを言うのはヤボと知りつつ、本音でした・・・。

「つぐない」で、あんなにいい演技をしたジェームズ・マカボイに、
こんな役はやって欲しくなかった・・・。

2008年/アメリカ/110分
監督:ティムール・ベクマンベトフ
出演:ジェームズ・マカボイ、モーガン・フリーマン、アンジェリーナ・ジョリー、テレンス・スタンプ

「ウォンテッド」公式サイト


イントゥ・ザ・ワイルド

2008年09月21日 | 映画(あ行)

アトランタの大学を卒業した直後、クリスは大学院への学費を寄付し、
IDカードもクレジットカードも焼き捨てて旅に出ます。
目指す最終目的地は北の地、アラスカの荒野。
肩書きもお金もなし。
自分の身一つでどこまでやっていけるのか。
世間並みのいわゆる「正しい道」を拒否。
若者らしい理想を胸に、車さえも捨てて、リュック一つで歩き始める。

これは、クリストファー・マッカンドレスという青年が実際に体験した旅の記録で、
ジョン・クラカワー著「荒野へ」を映画化したもの。
ショーン・ペンがかなりの熱意を持って映画化にこぎつけたようです。

クリスがこのような旅に出た背景には事情があって、
それは両親の不和に起因するようなのですね。
喧嘩が絶えない両親、暴力に及ぶこともある父。
両親の結婚も誰からも祝福されるようなものでなかったことを知るに及んで、
彼は両親に心を閉ざしてしまったかのように思えます。
人とのかかわりに意味がないように思え、
自分の力だけで生きたいと望むようになったのかも知れません。
だから彼は、両親にも妹にも行く先を告げず、不意に旅立ってしまったのです。

けれども、旅は人とのふれあいなんですね。
確かに歩く時は自分の力だけ。
自分の足で歩くのです。
でも時には車に乗せてもらったり、キャンプに加わったり、
何かをおごってもらうこともあるし、畑の仕事を手伝ったりもする。
どこへ行っても、人懐っこく、親身になってくれる人がいるものですね。
アメリカの雄大な自然の中を放浪しつつ、
時にはそういう人たちの暖かな心にに触れながら、
まずはアラスカへ行く旅の前哨戦とでも言いましょうか、そういう旅が長く続きます。

何しろほとんど、自然の中、道路沿いの小さな町、
そういうところを通ってゆきます。
終盤近く、大都会を通るのですが、
そのビルの群れ、無関心に行きかう人々・・・、
なんだか少し、恐怖を感じてしまいました。
彼の長い旅に付き合ううちに、見る者も、自然に同化してしまうのかも知れません。
人とのつながりが自分を支えてくれる、
そういうことがわかりかけてきた、このときに、旅はやめても良かったのかもしれない・・・と、まあ、後にしてみれば思うわけですが・・・。

でも、彼はいよいよ夢を果たすためアラスカに踏み出します。
そこで彼が見るのは雄大ではあるけれども過酷な自然。
果てしない孤独と、飢餓。
彼が語る”Happiness is only real when shared.”という言葉は大変重いです。

ほとんど2時間半に及ぶ長い作品でしたが、ぜんぜん退屈しないで見ました。
そもそも、こういう雄大な自然は好きなんですね。
自分で歩くとなると別ですが・・・。
語りかけるような歌も好きです。

2007年/アメリカ/148分
監督:ショーン・ペン
出演:エミール・ハーシュ、ハル・ホルブルック、キャサリン・キーナー、ウィリアム・ハート
「イントゥ・ザ・ワイルド」公式サイト


長州ファイブ

2008年09月20日 | 映画(た行)
長州ファイブ

ケンメディア

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尊皇攘夷の嵐吹き荒れる幕末。
長州藩の五人が幕府の禁を破って密航し、イギリスへ向かう。
これは史実に基づいたドラマです。
攘夷、すなわち外国人を排斥し撃退しようとする考え方なんですね。
そのような風潮が広まっている時代。
長州藩は、その最先鋒。
しかし、彼らは、まず敵を知らなければいけないと考える。
イギリスへ渡って、いろいろな技術を学び、
自分たちは生きた機械となって帰ってこよう。
その上で外国人と対するのだ
・・・そのような志を抱いて、命がけの渡航をしたわけです。

余談ですが、長州藩の彼らの言葉にはなまりがありまして。
「わしらは、生きたキケイになるんじゃ」
このセリフが何度も出てくる。
生きたキケイ??? 
キケイって何???
だいぶ後になって、ああ、「機械」といっているのか、とやっとわかりました。
難儀であります・・・。

さて、蒸気船での旅。
一体日本からイギリスまでどれくらい日数がかかったのでしょうね・・・。
何ヶ月もですよね・・・。
留学費用はイギリス滞在の費用も含めて一人1000両といっていました。
今の価値では検討もつきませんが、ものすごい金額であろうことは想像がつきます。
しかし、そのような時に、気前良く援助する人がいたというのも、すごいことです。
本当のお金持ちはこういうお金の使い方をするもんです・・・。
そしてまた、このような彼らを受け入れ、
きちんと科学技術を教えてくれた英国人にも敬意を表します。
その頃の彼らから見たら、
日本人なんて、とんでもない野蛮人に見えたかも知れないのに。
彼らは船の中で必死に英語を勉強し、
ついた頃には相当のことが話せるようになっている。
このことがかなり、プラスになっていたのでしょう。
そしてようやくたどり着いたイギリスで、
彼らが見た蒸気機関車、造幣の技術、街並み・・・。
彼らはすっかり圧倒されてしまう。
このような国と戦おうとするなど、全く愚の骨頂、と自覚する。
とにかく、この最先端の技術を何とか日本に持ち帰ろうと、かれらは必死に勉強するのです。

この5人とは、伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三。
・・・あまり知名度が高くない方もいますが、
どの人も帰国して後、日本の近代化推進の中心人物となったのです。
この、心意気、夢を実現する力、バイタリティー・・・、
今の日本人にはないものなのかなあ、と思います。
とにかく、この情熱、ひたむきさに心打たれてしまう。
そんな作品なのであります。

しかし、この日本の近代化の歴史は
同時に血塗られたアジアの歴史の始まりでもある・・・、
というのは先日読んだ「戦争論」の通り。

なかなか複雑な心境だなあ・・・。

2006年/日本/119分
監督:五十嵐匠
出演:松田龍平、山下徹大、北村有起哉、三浦アキフミ


爆笑問題の戦争論--爆笑問題の日本史原論

2008年09月19日 | 本(解説)
爆笑問題の戦争論―爆笑問題の日本史原論 (幻冬舎文庫 は 7-14)
爆笑問題
幻冬舎

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普段なかなか手に取りにくいこのような知識の本を、楽しく読ませてくれる爆笑問題。

この本は、明治になってからの日本の戦争の歴史を語っています。
考えてみたら、私は歴史音痴で、
このあたりの知識はむか~し日本史の教科書でならったきりかも知れません。
日中戦争あたりのことなら映画で覚えた知識も多いですけれど・・・。

まずは1894年日清戦争なのですが、明治でいうと27年。
当時朝鮮は日本と同じく鎖国をしていたのですね。
しかし日本は自分もやっと開国したところだというのに、
朝鮮にも開国するよう迫る。
朝鮮内部でもいろいろな思惑と勢力があって混乱状態。
このような朝鮮を食い物にしようとししたのが、日本と清なんですね。
朝鮮の支配権をめぐる争いが日清戦争。
なんというか、つい2、30年前まで、ちょんまげを結っていた日本人が、
この時点でもう海外へ勢力を伸ばそうとしているというのは、すごい気がします。
海外というか、アジアですね。
まあ、当時欧米の帝国主義により、アジアのほとんどが植民地として支配されていた。
日本も、黙っていたら食いつぶされる、
そんな危機感があったのでしょうけれど。

その後、日露戦争、第一次世界大戦時の日本、
山東出兵、盧溝橋事件、満州事変、
そして太平洋戦争
・・・このような流れをみても、とにかく日本はなりふり構わず、
ひたすらアジアを我が物にしようと必死なのです。
この、ほとんど狂気とも思える自信、傲慢さは一体どこからきていたのでしょう・・・。
自国の主張のためには、国際連盟もきっぱり脱退してみせる。
この強気加減は、今の日本では考えられないですね。
・・・ちょっと、見習うべきところもあるような・・・。
しかし、方向は間違ってます!

なんだか、この本を読むと、私は日本人であることが恥ずかしいです。
中国や北朝鮮、韓国の人々の反日感情は、無理もないと思います。
日本人は、知らないふりしないで、やはり一度はこのような史実をきちんと理解した方がいいですね。
でも、実のところそれは、今生きるほとんどの人々のあずかり知らないことでもあるのです。
・・・そんな昔のこと言われても・・・ってね。

まあ、それでも過去をきちんと知って、相手の反日感情も理解した上で、
新しい歴史を刻んでいくしかないのでしょうね。
若い人たちに期待したいと思います。

それにしても、この爆笑問題の会話形式、強烈なボケとツッコミによる解説は楽しい。
これをこのまま中学校・高校の教科書に使ったほうがいい。
歴史にすごく興味が持てます。

満足度★★★★


セブン・イヤーズ・イン・チベット

2008年09月18日 | 映画(さ行)
セブン・イヤーズ・イン・チベット〈ニューマスター版〉

角川ヘラルド・ピクチャーズ

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この作品はかなり以前、テレビ放映で見たんですね。
今年、チベットのラサで暴動事件がありました。
北京オリンピックの聖火リレーのときにも国際問題として取り上げられたりもしました。
で、この映画を思い出しまして、ぜひもう一度見てみようと。
しかし、誰しも考えることは同じようです。
例によってTUTAYA DISCUSに予約を入れたものの、なかなか回ってこない!!
届くまで数ヶ月かかりましたね。
しかし、待った甲斐あって、とても上質な作品。

これはオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーが、
現チベットの亡命政府指導者ダライ・ラマの少年時代、
家庭教師として交流した実話を元にしています。
私が記憶していたよりも、このハラーがチベットにたどり着くまでの道のりはすごく長い。

1939年オーストリアはナチスの統治下。
ハラーはヒマラヤのナンガ・パルバット登山のため、妊娠中の妻を残して国を出発します。
ところが登山は天候不順や雪崩のため失敗。
そんなうちに、イギリスとドイツが開戦。
すると、イギリスの植民地にいた彼らは、インドの捕虜収容所に入れられてしまう。
そこで数年が過ぎ、ついに耐え切れず脱走。
しかし、この地では西洋人は目立ちますからね・・・。
ハラーは一緒に脱走したアウフシュナイダーとともに、これも長くつらい逃亡生活。
ボロボロになってラサにたどり着いたのは1945年。
そこは彼らにとってようやく安息の地となりました。
外国人の入国を認めていなかった国だったのですが、
人々は思いものほか親切にこの放浪の二人を受け入れる。
聡明で好奇心に満ちた少年ダライ・ラマの希望で、
ハラーは家庭教師となるわけです。
ヒマラヤ付近の雄大で険しく、そして美しい風景の中をとぼとぼ歩きつづける二人。ようやくたどり着いたところは平和を愛する穏やかな街、ラサ。
ここにたどり着くまでの長く厳しい道のりをやはり、省略はできないでしょう。

ハラーは、家庭を顧みず帰ってこない夫に愛想をつかした妻に離婚されてしまったのですが、
まだ見ぬ息子をいつも思っています。
そんなわが子をダライ・ラマに重ね合わせるのですね。

ドイツ降伏で、二次大戦は終わるのですが、
そんなところで、中国軍がチベットへ侵略を始める。
ミミズの死さえ悼むチベットの人たちには、ろくな武器の蓄えもありません。
ひとたまりもなく、中国の侵入を許してしまう。
以来ず~っと、チベットは中国に支配されている・・・というわけなんですね。
暴動を起すのも無理はないじゃないですか。

さて、このように事実なのに、ドラマのような劇的なストーリー。
まさに圧巻です。

しかしまた、この作品は、ハラーの友情をテーマに描かれた物語でもあるのです。
ハラーはどうも人付き合いがあまりうまくなく、親しい友人もなく、孤独なんですね。
登山にはアウフシュナイダーとチームを組むのですが
お互い信頼できず、うまくいかない。
そのようなしこりを持ったまま、収容所脱走、長い逃避行となる。
ラサについてみれば今度は二人とも同じ女性に恋を抱き・・・。

しかし、最後の最後ハラーが帰国する時に、二人はお互いの信頼・友情を確信します。
ここも、なかなか胸が熱くなるシーン。
孤独なハラーが、ダライ・ラマとアウフシュナイダーという親友を得る。
これはそういう物語だったのです。

金髪をさらりと流したブラピはステキだなあ・・・。
今のブラピは精悍なイメージだけど、こういうのもオバンサンは好き・・・。
いかにもナチスが好きそうな感じではあります・・・。

チベットにいたのは7年でも、その前に5年くらい収容所と近辺をさまよっていたので、
結局帰国は12年後くらいなんですよ・・・。
そりゃ奥さんに離婚されますよね。

1996年/アメリカ/136分
監督:ジャン・ジャック・アノー
出演:ブラッド・ピット、デイヴィット・シューリス、B・D・ウォン、ダニー・デンソンパ

おくりびと

2008年09月16日 | 映画(あ行)

この映画の主人公大悟(本木雅弘)は、チェロ奏者なのですが、
ようやく入ったオーケストラが解散してしまい、あっさり失業。
借金の残っている高価なチェロも手放し、故郷の山形へ帰ります。
けなげに彼を励ましつつ、文句も言わずついていく妻、美香(広末涼子)。

そこで彼が見つけた職は納棺師。
NKエージェントという意味不明の会社に面接に行ってその場で採用。
新聞広告に出ていた「旅のお手伝い」というのは、
実は「安らかな旅立ちのお手伝い」だったということ・・・。

それにしても、納棺師なんていう職業があるなんて全然知りませんでした。
つまり、亡くなった人の身を清め、装束を調え、死に化粧を施してお棺に納める、
それだけのことではありますが。
しかし、それだけのことが、実は大変貴重なことなわけです。
まず、死んだ人に係ることなので進んでやりたがる人はいません。
そして、人の死を食い物にしているとか、穢れているとか、
差別的に見られることもあるという。
大悟は妻に自分から仕事の内容を伝えることができませんでした。

しかし、幾度か出てくるその納棺のシーンはとても厳粛で、
なぜか思わず涙してしまいました。
別に、ことさらその人の死を悲しませるシーンではないのです。
ただ、静かに、いつもの通りの仕事が進むだけ。
決して家族にはその肌を見せないように体を清めたり、着替えをしたり、
それはきちんと定められた様式ではあるのですが、
まるでお茶の作法のように美しい様式美であるわけです。
人の尊厳を感じさせます。
こういうところに感じいってしまうのですねえ・・・。
死は必ず誰にでも訪れるものではありますが、
生が大事なことと同じだけ、死も大切なんですね。
お弔いというのは本当は残ったもののためにあるのだとしても。

大変重いテーマではあるのですが、時にユーモアも交えながら語られるこの物語は極上質。

そんな中では、わたしたちは生き物を食べなければ生きていけない、
そういう性(さが)である・・・ということも語っています。
そういいながら彼らがほおばる河豚の白子、
山盛りのフライドチキン。
だからこそ、おいしくいただかなくては・・・!ということでね。

この山形の舞台もいいですね。
この夫婦が住む一階が喫茶店仕様の古い家や
NKエージェントの古い建物、
それから、山形弁。
やはり、この物語は東京が舞台では成り立たないような気がします。
ちょっとひなびたこの舞台があってこそ引き立つストーリー。
バックに流れるチェロ曲もまたいいですね。

死をテーマにしながら、二人のこれからの人生に希望が見える。
そういうところもステキです。

2008年/日本/130分
監督:滝田洋二郎
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、吉行和子、笹野高史


ララピポ

2008年09月15日 | 本(その他)
ララピポ (幻冬舎文庫 お 13-2)
奥田 英朗
幻冬舎

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この方の作品は大好きなんですが、この本は読んですぐ、失敗か?と思ってしまいました。
何しろ、思い切り下半身ネタ・・・。
う~む・・・、でもせっかくなのでしばし、読み進むうちに、じわじわと面白くなってきました。
この本はリレー短篇とでも言いましょうか、
一つの話で、一人の物語が語られますが、
その中にちょっぴり出てきた別の人が、次の話で主人公になっているのです。
そんな風に順番に語られる男女6人の物語。

対人恐怖症のフリーライター、
NOと言えないカラオケボックス店員、
AV・風俗専門のスカウトマン、
恐るべきAV女優?のおばさん・・・・
女子高生に溺れる官能作家、
デブ専裏DVD女優のテープリライター、

みな、犯罪スレスレだったり犯罪そのものだったり、
どうしようもない事件を引き起こしたり、巻き込まれたり、
そんな顛末が描かれています。
ぜんぜんかっこ悪いです・・・。
どちらかといえば底辺に近い猥雑で雑多な人々が、
でもそれぞれのシアワセを求めながらじたばたと生きている・・・。
悲しくて、そして滑稽なのであります。
・・・しかし、そういう自分も似たようなものか。
生きていくことって、こんな風にかっこ悪くて悲しくて滑稽で・・・、
でも、まあいいか、
みんなそうやってがんばって生きているんだから、と、
そんなストーリー。

さて、この本の題名「ララピポ」は何かといいますと、
文中にあるのですが、人ごみの中で白人男性がつぶやくセリフなんですね。
ハミングするように、「ララピポ」。

世の中には成功体験のない人間がいる。
何かを達成したこともなければ、人から羨まれたこともない。
才能はなく、容姿には恵まれず、自慢できることは何もない。
それでも、人生は続く。
この不公平に、みんなはどうやって耐えているのだろう。

・・・このように、登場人物が考えながら歩いている矢先でした。
「トウキョウ、人ガタクサン」
・・・つまり「a  lot of people」だったんですね。 
まさにこういうことがテーマのストーリーなわけで、その点では上出来です。
だから風俗ネタばっかりだけど、まあ、たまにはいいか、ということで・・・。
でも、やっぱりオンナノコには拒否感があるでしょうし、
映画化しているようですが、私は見ません!

満足度★★★


ラン・ローラ・ラン

2008年09月14日 | 映画(ら行)
ラン・ローラ・ラン

ポニーキャニオン

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疾走する女、そして進化するストーリー

              * * * * * * * *

恋人のマニから電話を受けたローラ。
今から20分以内に10万マルクを持っていかないと、命が危ないという。
「私がなんとかする!」電話を置いた彼女はそのまま家を飛び出し、
全速力で走りはじめる。
とにかく、ローラが疾走しまくります。
このシーンはアニメからスタートするのも楽しくて、ユニーク。
真っ赤な髪(いわゆる赤毛じゃなくて、本当に染めた赤!)で、
ベルリンの街を駆け抜ける彼女の姿はとてもインパクトがあります。
このときの音楽がまたいいのですね。
走り続ける躍動感をそのまま表現したような、緊迫感あるリズムを刻む音楽。
自転車じゃだめなの~?、と、私は思わず突っ込みを入れてしまったのですが、
映画の中でも、自転車に乗った青年が、自転車を貸そうかと申し出ても(有料!)、
彼女は無視して走り続ける。
まあ、これは走ればこそのインパクトなんですよね。やはり。

そこでまた面白いのは、このストーリーは進化するのです。
はじめ、彼女は銀行に勤める父親を頼って銀行に行くのです。
そこで父親は愛人と密な話の真っ最中。
そををジャマされた父親は逆上のあまり、
お前なんか本当の娘じゃない!と今まで告げていなかった真実を言ってしまう。
無論お金を借りられるはずもなく、
ショックを受けつつ、気丈にも彼との待ち合わせの場所に行けば、
彼は気がはやってスーパーの強盗をしている・・・。
そこに飛び込んだローラは彼の手伝いをする羽目になり・・・。
悲劇です。
言ってみればゲーム・オーバー。

さて、すると今度はまた、先ほどの自室でマニからの電話を置いたところに場面が戻る。

再び部屋を飛び出し駆け出すローラ。
やはり同じ町並みです。
しかし、わずかながらタイミングがずれていて、
微妙に始めとは違った様相が見えてくる・・・。
でも、これまた失敗に終わります。

さて3度目、やはり同じように部屋を飛び出した彼女ですが・・・。

これは、ゲームのリッセット感覚なのでしょうか。
ゲーム・オーバーの後はリセットして、前と同じ失敗を繰り返さないよう、やり直し・・・。
もしくはちょっと、バタフライ・エフェクトを思い出しました。
蝶の羽の羽ばたき一つの違いでも、その後の世界は違った様相を示すという・・・。
微妙にタイミングがずれたことで、
その後の出来事が変わってくるその有様を3つ描いたのか・・・。
いずれにしても、このユニークなストーリーはその差異を考えながら見るだけでも、楽しめます。
そして、うれしいことに3番目は意外にもラッキーな物語なのです。
それで、見終わった後の印象もなんだかハッピー。

うーん、映画の面白さって、いろいろですね。
だからやめられない。
この監督、なんだか聞いたことがあると思ったら「パフューム」でしたか・・・。
もちろん話はぜんぜん異なりますが、
なんだか、他の映画とは一味違う、そういう印象ですね。

1998年/ドイツ/81分
監督:トム・ティクヴァ
出演:フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライトロイ、ハーバート・ナップ、ニナ・ペトリ