映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「ときどき意味もなくずんずん歩く」 宮田珠己

2007年12月31日 | 本(エッセイ)

「ときどき意味もなくずんずん歩く」 宮田珠己 幻冬舎文庫

これは、「第3回酒飲み書店員大賞受賞」という宣伝文につられて読んでみました。
(いつの間に、こんな賞ができたのやら・・・でも、心ひかれるのは、飲兵衛の性・・・。)
エッセイ集です。
著者は「旅とレジャーのエッセイを中心に執筆活動を続けている」と、この本では紹介されています。
いろいろと肩書きがつくことがあるようで、
ジェットコースター評論家とか、冒険家、シュノーケリング愛好家とか・・・?
どれもご本人はあまり気に入ってはいないよう。
まあ、エッセイストでいいですね。

さて、このエッセイがどれもとても楽しい。
まず、この題名「ときどき意味もなくずんずん歩く」ですが、これはそのまんまです。
本当に。
あるとき当然思い立ってずんずんと遠くまで歩いてしまうのだという。
そこが日本でも、外国でも。
北海道は利尻島の海岸線を歩くうちに、切り立った崖になってしまい、
それでも海の中を歩いて死にそうになったとか・・・、
なかなか、これも壮絶ではあるのですが、どこかとぼけた味があり、
こちらもずんずんページをめくってしまうのです。

この、宮田氏の話題は、シュノーケル、ジェットコースター、旅行、などなど・・。
旅行といってもインド・東南アジアなどで、
ヨーロッパ豪遊なんていうのとはぜんぜん違う。
豪華なグルメもなし。
それで、どれも私の興味とは方向が違うのではありますが、それでも十分に楽しくてお釣りが来るくらい。
つい、先日読んだ「怖ろしい味」のエッセイとつい、引き比べてしまうのですが、
やっぱり、このようなエッセイなら、もっと読みたいと思える。
あちらがホテルのVIPルームなら、こちらはまさにお茶の間的。


宮田氏が自身のテレビ出演を見た時の感想を紹介しましょう。
どうもテレビに出ているアレは、私でない気がする。
一見、似ているように見えなくもないが、
口が必要以上にくぼんで、肌にツヤがなく、
頭はボサボサだったり、声の質もみょうに高いのだ。
いったいどういうことなのか、まったく理解できない。
影武者ではないか。

気持ちはお察ししますが、映像は正直ですからねえ・・・。
このように、反語とユーモアに満ちたエッセイ。おススメです!

満足度★★★★★


4分間のピアニスト

2007年12月30日 | 映画(や行)

後ろ手で手錠をかけられたまま、ピアノを弾く女性のすがた。
そんなチラシに心ひかれて、見てみたのです。

子供の頃神童といわれた天才的ピアノの才能を持つジェニーですが、
その生い立ちは不幸で、生活はすさみ、受刑者として刑務所にいるのです。
刑務所でピアノ講師をしている老婦人、クリューガーは、
彼女の才能を信じ、ピアノコンクールに向けて、彼女の特別講師を申し出ます。

ジェニーは強い個性の持ち主。
他の人と親しく交わるなどということがなく、荒々しく、いつもとがっている。
ただ、音楽に対しての情熱だけは失っておらず、
不承不承ながらもクリューガーに教えを請う。
反発しながらも次第にジェニーはクリューガーに心を開いていきます。
コンクールも順調に勝ち進み、いよいよ決勝大会の前、事件が発生。
刑務所はジェニーの大会出場を禁止してしまうのです。
しかし、あきらめきれない二人。
ついに、ジェニーを脱走させることになってしまう。
行く先はもちろん決勝会場ドイツ・オペラ座。
これは刑務所側にも、明らかなこと。
いよいよジェニーの番で舞台のピアノの前に立ったとき、警官が押し寄せる。
4分間だけ待って、と、クリューガーは言う。

その4分間の演奏が・・・、感動でした。

ジェニーはともすると、好き勝手に力強い彼女自身の音楽を奏でるのです。
クリューガーは、クラシック以外音楽ではないと思っている。
正統の音楽を、常に要求していたクリューガーでしたが・・・。

舞台で彼女が弾いたのは、彼女自身の音楽。
誰も聞いたことがない、彼女だけの。
これこそはまさに、ジェニー自身の魂の叫びなのでした。

自分ができるすべてを尽くして、自分自身を表現。
そしてそれが皆に受け入れられ、満場の拍手。

感動とは、こうして生まれるものなんだなあ・・・。
理屈抜きで、泣けてしまいました。
ドイツ映画には、なかなかやられます。

ちょっと端折ってしまいましたが、
クリューガー自身の若い頃の情熱と、その後の喪失感、それゆえ、音楽一筋で独身のまま、老いてしまったこと、
・・・この話も同時進行であり、奥行き深いものになっています。

SFやアクションも楽しいけれど、このように心揺さぶる作品もやっぱりいい。
ジェニー役のハンナー・ヘルツシュプリングは、1200人のオーディションから選ばれたそうです。
TV出演などはあったけれど、ほとんど無名の新人。
あらぶる魂とでも言いましょうか、切れやすくて、扱いにくい、
けれど孤高の強い魂を持つ、
そんな難しい役どころを見事に演じていたと思います。
「目力」、まさにこれですね。

2006年/ドイツ/115分
監督:クリス・クラウス
出演:ハンナー・ヘルツシュプリング、モニカ・ブライブトロイ、スヴェン・ピッピッヒ、リッキー・ミューラー
「4分間のピアニスト」公式サイト


「ぼくらの時代」 栗本薫

2007年12月29日 | 本(ミステリ)

「ぼくらの時代」 栗本薫 講談社文庫 

1978年、というので約30年前、栗本薫氏の初のミステリにして江戸川乱歩賞受賞作。
しかし、なぜかこれ、読んでなかったんですねえ・・・。
相当な話題作ではあったはずです。
この本は、今読んでもなかなか凝った構成のミステリなんですが、
当時、長髪に代表されるシラケ世代から描いたものとして話題になったのではなかったでしょうか。
栗本薫氏とほぼ同年代の私も、つまり、当時はヤングだったのです・・・。
だから、今読んでも、すごく共感がわきます。
主人公の「栗本薫」くんのロックグループが「ポーの一族」という名前だったりするのも、にんまり、ですし。

この中では、しきりに「世代の断絶」が描かれています。
当時20歳前後の若者と、その親たちの世代。
まあ、当時長髪はいわゆる大人には、かなり忌み嫌われていたんですね。
やや、体制への反抗のような意味合いもありましたから。

さて、30年を経て、そのヤングたちが今、完全に体制側なのです。
そして自分の子供たちの若い世代をわからないと嘆く。
いつになっても世代の断絶の構図は変わらないということですね。

ただ、どうなのでしょう、「僕らの時代」の中でのオトナたちは、
「私たちがあの年だった時にはもう、働いて一人前に独立していた・・・」と嘆くのです。
その意味では確かに大人なのです。
ところが今の大人たちは、私も含めてですが、自分に大人だという自覚がないような気がする・・・。
私自身30年前の自分と今の自分がそう違うとは思えない。
つまりぜんぜん進歩していない。
30年前のシラケ世代がそのまま年をとっただけ。
でも、その世代が今の若者をわからないというのだから、
これはもう、あと30年後にはどんな世の中になっているものやら・・・・。

ある方がいっていました。
少しずつの変化だからわからないけれども、
今、情報化・国際化・グローバリズムの世界へと確実に世の中は変化している。
この中で生まれた今の子供たちから見ると、私たちの頭の上にはちょんまげが見えているだろう、と。
古い価値観のままで物事を捉えていてはいけない、ということ・・・。
何も若者の思考に合わせなければならないというのではないのですが、
昔の概念で「よかった」ことは今はもう通用しないということを、理解した方がいい。
その上で、じゃあ、今は何がいいのか、じっくり考えて見る必要があるということですね。
何事においても。

ぜんぜん本から外れてしまいましたが、このようなことを、考えてしまった次第。
今読んでも、私はぜんぜん古いとは感じなかったですが、
さて、今の20歳前後が読んだら、どうなのでしょう。
感想を聞いてみたい気がします。

満足度★★★★


魍魎の匣

2007年12月28日 | 映画(ま行)

京極夏彦原作のこのシリーズは、私も大好きなんですが、実は前作の映画はみていません。
キャストを見てもなんだか本のイメージと違いそうだし、それで失望するのもイヤだと思ったので・・・。
でも今回は、好奇心を抑えきれず、見てしまいました。
イメージの違うところは確かにありますが、でもそこそこ楽しめたかな、と。

京極堂の堤真一はなかなかいいです。
確かにこんな感じ。
でも、堤真一のほうが割とコミカルでチャーミングな感じ。
それはそれで、いいなあと思いました。

舞台は1952年。
昭和20年代後半の日本。
さすがに私もまだ生まれていない。(別に威張ることじゃない)
でも、近いことは確か。
東京の町並みでも、なんだかとても懐かしい感じがする。
これは今の日本ではやはり再現は難しいということで、上海ロケをしたそうです。
日本ではもう失われた風景・・・。

さて、そこはやはりミステリなので、おどろおどろしい事件が発生。
美少女連続殺人。
箱の中にみっしりと詰まった少女のものと思われる切り取られた、腕や脚・・・・。
人気の美人女優とその娘。
戦前からある、丘の上の四角い箱のような怪しげな研究所。
箱に魍魎を封じ込めるという胡散臭い宗教。
才気走った作家。
これらがぱらぱらと登場し、謎を投げかけるけれど、最後にはぴたりと収束。
この辺が京極夏彦の真骨頂なのです。
しかし、2時間ばかりのこの映画で、しっかり関係を皆さん把握できるのでしょうか?
私は本を読んでいてなお、きちんとわかっていない気がする・・・。
ま、いいいか、って感じですかね。
雰囲気ですね、要は・・・。(そうなのか?)

箱型の研究所が崩れ去る、意外にもスペクタクルの展開。
京極堂と関口はいったいどうやって助かったんだか・・・?

「この世には不思議なことなど何もない。」
そう言い切る京極堂。
さて、関連不明のこれらの謎をどう解きますか?!

怖ろしく、気味悪く、そしてなんだかちょっぴりおかしくもあり、結構いい味に仕上がっていると思いました。

この感じで、まだ続編ができそうですね・・・。
病み付きになるかも・・・。

2007年/日本/133分
監督:原田眞人
出演:堤真一、阿部寛、椎名桔平、田中麗奈
「魍魎の匣」公式サイト

しばらくこの後は毎日更新できそうかな・・・?
きゃ~、まだ年賀状出してません!
それどころじゃないか・・・。


「秋の花火」 篠田節子

2007年12月27日 | 本(その他)

「秋の花火」 篠田節子 文春文庫

短編集です。気に入った2作をご紹介しましょう。


「ソリスト」

ピアニストであるロシア人のアンナ・チェキーニナ。
彼女は天才的ピアニストだけれども、その気難しさでも有名。
コンサートは遅刻、すっぽかしはよくあること。
会場に現れたとしても、直前で気が変わって帰ってしまったりもする。
彼女とは旧知の仲の修子は、日本での彼女のコンサートに一役買うのだけれど、
一向に会場に現れないアンナのために神経をすり減らされる。
それでも遅刻してようやく現れたアンナは、やはりすばらしい演奏をする。
最近アンナはソロでは弾かず、いつもヴァイオリンやチェロ、フルートなどとのデュオ、ピアノトリオ、クインテッドなど、室内楽が中心となっていた。
アンコールに沸く会場で、修子はアンナにソロを要求。
ソロ演奏を決めたアンナは、なぜか修子にピアノのそばについて譜めくりをするよう要求。
ショパンの14番、ホ短調のワルツ。
2分数十秒の曲で、暗譜していないわけがないのだが・・・。
演奏が始まると、修子はそこで恐ろしいものを見ることになる。
深い井戸の底から呼びかけて来るような声と共に、客席からいくつもの影が立ち上がる。
両手を背後に回され縛られた男が芋虫のように這ってくる。
片目と耳から血を噴出させた男がステージに上ってくる。
・・・恐怖に駆られながらもこれは幻覚だと自分に言い聞かせ、必死に耐える修子。
アンナは、一心不乱にピアノに向かっている・・・。

ホラーもお得意の篠田節子ならではの一作ですね。
この現象は、アンナの隠された過去とつながるものなのです。
バルト3国の歴史の暗部にかかわるもの。
その運命を自ら背負って立つアンナにあらためて驚かされる。
実に壮絶なストーリー。
これは、ぜひ山岸涼子にコミック化してほしいと思ってしまいました。


「秋の花火」

表題作ですね。
これも音楽関係なんですが、語り手は中年女性のセカンドバイオリニスト。
高名な老指揮者、清水について語っていきます。
彼は指揮者としては実に才能あふれ、音楽関係者の尊敬を集めているのですが、
個人としては、どうにもならない人物で、とにかく女癖が悪い。
老齢の上、脳梗塞で倒れ、歩くのもやっとという有様。
しかし、彼の性への執着は消えない。
家族にはまったくそっぽを向かれ、惨めな生活を送りながらもなお残る男の性・・・。
醜悪で、あきれつつも、なんだか物悲しい。
ここでは、チェリスト井筒へのひそかな思いも重ねて語られていくのですが、
二人の思いは重なりながらも、行き着くところまでは行かずに終わります。
それは、あまりにもあからさまな性の、悲しい正体を見てしまったから・・・。
なかなか、余韻の深いストーリー。

この中で、井筒のチェロの音を描写した部分は、こうです。
「独特の哀しみを帯びた、叙情的なフレージング。
声にならぬ肉声。
何か直接心に訴えかけ、語りかけてくる。」
実際の彼は、とにかく無愛想。
どこからどう見てもただの無難な男。
その彼が作り出す、切なく訴えかけるメロディー。
そういうものに、引かれる気持ち、なんだかわかる気がします。
何かそのように内に秘めたものを覗いてみたくなるのかも知れません。
・・・多分、これは篠田節子氏のタイプなのじゃないかな???

満足度 ★★★★


34丁目の奇跡

2007年12月25日 | 映画(さ行)
(DVD)
季節柄、クリスマス向きの一作を。
1947年作品のリメイク版。
サンタクロースにまつわるハートフルなドラマ。
一人の、サンタクロースを自称する老人が登場します。
白いひげでちょっぴり小太りの人のよさそうなおじいさん。
ニューヨークの老舗デパート”コールズ”は彼を宣伝のためのサンタクロースとして雇い、営業不振のデパートの盛り返しを図る。
そこでライバルのデパートが、なんとか人気のサンタを引きずり下ろそうと画策、
ついには法廷でサンタクロースの真偽の争いにまでなる。
いかにも大人の世界のごたごたに、サンタクロースが巻き込まれて辟易・・・というところです。
でも、クリスマスらしくそこはそつなくまとめてある。
「神について、存在するかしないか論ずることは無意味。
私たちは信じている。それが大事なこと。
サンタクロースも同じなのではないか。ただ信じることが大切なんだ。」と。
賄賂に傾きかけた判事が、かろうじて理性を取り戻していった言葉。
そうです、私は子供たちに「サンタクロースはいるんだよ」といつまでも語っていたい。
時々は、大人のところにもサンタが来てほしい、と思ってしまいますが。
この映画では、最後までこのクリス老人が、魔法を使ったり、トナカイのそりで空を飛ぶシーンがあったりしないのです。
そのような映像を入れないことで、逆に想像力と夢を私たちに与えている。
本物でも、そうでなくても、子供たちにサンタは訪れるのだろう。
・・・でもね、朝起きて、サンタのプレゼントが届いてる子の家は実は心配ではない。
それどころでなく、生き延びるだけで精一杯という子供たちが世界中にどれだけいることか。
サンタさんが本当にいるのなら、くまなく世界中のどの子にも訪れてほしい・・・。
そういう世の中であってほしい・・・。
ちょいと、しんみりして本日はEND。

1994年/アメリカ/114分
監督:レス・メイフィールド
出演:リチャード・アッテンボロー、マラ・ウィルソン、エリザベス・パーキンス、ディラン・マクダーモット

アイ・アム・レジェンド

2007年12月23日 | 映画(あ行)

えーと、こんちわ。
アレ、これってシリアスな話じゃなかったんですか?
いえ、意外と突っ込みどころ満載なんで出てきました。お相手しますよ~。
はじめの方はいいんですよ。
無人、廃墟のニューヨーク、マンハッタン。
アスファルトには草が生えていて。
ニューヨークを走り回る鹿の群れ・・・なんてシュールな・・・。
その町にただ一人と一匹、軍人かつ科学者のネビルとその愛犬サムがいる。
設定は2012年。人間が作り出したウイルスが暴走し、人類は死滅。
ただひとり、生き残ったネビル、という設定だね。
この廃墟の中での孤独な日常を描いているあたりは、とてもよかった。
ビデオショップにマネキンを配置して、会話をしてみたり、
戦艦の上でゴルフをしてみたり・・・、
まだ生きているかも知れない誰かに向かって、無線で呼びかけたり。
こんな中では、愛犬が唯一の友であり、安らぎでもある。
いいよねえ、賢そうなワンコ・・・、シェパードもいいもんだなあと思いましたね。これがチワワだったら、笑っちゃうもんね。
まあそれはともかく、このあたりが、まさに「伝説」の前触れとしては申し分なく、なんだか、わくわくさせられるのです。

さて、しか~し!!
そこに登場するのは、ウイルスで変わり果てた姿となった人間たち。
ダーク・シーカーズといっていたね。凶暴で、人と見ると牙をむいて襲い掛かる。これがまた、並み以上の体力、敏捷性を身につけている。しかし知能は低下・・・と。
これがね、日の光が苦手で、夜な夜なうじゃうじゃと這い出てくる。
せっかくいいムードの映画なのに、ここからただのホラーというか、バイオハザードじゃん。
いや、もともとそういうストーリーなんだから、そこに文句をつけてもしょうがない。
それにしても、始めがあまりにいいから、残念なんだよ。この際、原作を無視して、もっと納得できる進展にできなかったのかなあ・・・。
ラストも、これで終わり?っていうあっけなさだったね。

さて、しかし、見終わってみればいろんな疑問がうじゃうじゃ湧き出てくるんだな。
まず、こんな無人と化した街でライフラインは機能するのだろうか?
普通に、電気もガスも水も使ってたよね。
うん・・・しばらくは大丈夫でも、何年もは無理のような気がするね。
ぼちぼち草は生えてるけど、鹿の群れが来るほど食べ物が豊富とも思えないなあ。
トウモロコシを作ってたけど、あんなのすぐ食べられちゃうよ。
とりあえず、どこの家でも店でも入り放題なんだから、食べ物には困らなさそうだけど。
問題は、あの、ゾンビたちがどうやって生きてたのかってことで・・・。
やっぱり彼らも人のうちの冷蔵庫とか戸棚をあさってたとか?
ゾンビがソーセージ食ってたら、笑えるでしょ。
やっぱり、鹿を食ってたのか・・・。あの敏捷性なら、鹿もやられるね・・・。
彼ら、群れを作っているのは、社会性はあるんだよね。共食いはしないらしい。生きる糧は他にありそうなのに、たった、一人のために、あんな襲撃をかけてくるのはどうもわりに合わないというか、納得いかないねえ。
マネキン動かしたのは彼らなんだよね。結構知能もあるじゃん。どういう生態なんだ、いったい。
それから、生き残ってたのが女性と子供。
いったい、どうやって今まで生きてたのさ。車の中だって、家の中だってあんな襲われ方したら、ひとたまりもないよ。まったく、唐突すぎ。
竜頭蛇尾。そういうこと。
リチャード・マシスン作「地球最後の男」の三度目の映画化だそうですよ。前の作はどうだったんでしょうね。
うーん、あんまり、期待はできないかも。でも、興味はありますね。

2007年/アメリカ/100分
監督:フランシス・ローレンス
出演:ウィル・スミス、サリー・リチャードソン、アリス・ブラガ

「アイ・アム・レジェンド」公式サイト

 


「怖ろしい味」 勝見洋一

2007年12月22日 | 本(エッセイ)

「怖ろしい味」 勝見洋一 光文社文庫

エッセイ集ですが、この第一話、「桜鯛の花見」を読んで、私はしびれてしまいました。
冒頭は、春先なのに雪が降っている寒いロンドン。
ホテルから、東京の仕事場の留守電をチェック。
仕事の些細な連絡に混じって一つだけ、留守電にいかにも不慣れな方言たっぷりの中年男性の声。
著者はそこで、瀬戸内海で出会った一人の男性のことを思い出します。
シーンはそこから遠い日本の、瀬戸内の春の海へと移ります。
電話の主は、鯛釣り名人のNさん。
他の漁師が一匹も釣れないときでも、どんどん鯛を釣り上げるのだという。
Nさんは養殖の鯛と、天然の鯛を並べ、見た目、味わいを比べて見せてくれる。
比べてみれば一目瞭然の両者の違い。
その違いの描写がまた、すばらしい。
このような表現力にはただただ感服。
そうしてまた、ふとわれに返ればロンドンのホテル。

この、憂鬱に寒い灰色のロンドンと、
真っ青な海に満開の桜の花びらが降り落ちるイメージへの切り替え。
そしてまた、そこで育つ鯛の
”銀色の輝きのなかから鮮やかな桃色が浮かび上がった”
美しさ、鮮烈さ。
さらには、この海で一生を過ごしてきたNさんの一途で実直な生き方は、
一見地味だけれども、その桜鯛のように力強くしなやかでもある。
感動ものです。
7ページばかりの話ではありますが、文章のお手本にしたくなる見事なエッセイでした。
ほとんど芸術の域ではないかと・・・。


さて、これで気をよくして読み進むと・・・・、
あれれ、なんだか、だんだん気が重くなってきました。

この勝見氏は代々続く古美術商の長男。
文革下 の北京で美術品の鑑定に携わり、パリの大学で教鞭をとる。
パリではレストラン・ガイドブックの星印調査員(例の、最近話題のアレ!ですね。)のバイトの経験もある・・・と。
つまり、ものすごーく裕福で、文化人で、国際人で、グルメで・・・・、まったく庶民の私とは感覚が微妙どころでなく大きく違うのです。
このあとに続く話題は、万年筆、カメラ、オーディオ、執事(!)、ライター
・・・うわ、見事にまさしく男の世界。
もうこれだけで、女性はついていきがたいのですが、それらにかける費用が並大抵ではない。
いえ、もちろん値段のことなど書いてありませんが、いくら私でも、そういうものがものすごく高価であることくらいはわかります。
この本の巻末解説で、解説者は、「ものすごく贅沢なのだけれど、いやみがなくさらりと書いてある」といっています。
そう、著者にとっては、特別なことではなくて普通のことなのでしょう。
でも、残念ですが、私の庶民感覚とはまったく別物です。
つまり、私が手に取るべき本ではありませんでした。
男性なら、もう少し楽しめるのでしょうか・・・。

満足度 複雑な心境を織り交ぜて・・・ ★★★


サンシャイン2057

2007年12月20日 | 映画(さ行)

(DVD)
むちゃくちゃハードなSFですね。
舞台はそのままずばり2057年。
太陽が力をなくし、人類滅亡のカウントダウンが始まっている。
太陽の力を取り戻すべく、宇宙船イカロス2号が打ち上げられる。
太陽に核爆弾を打ち込んで、再生させようということなのだが・・・。
乗員は8名。
イカロス2号では、植物が栽培され、酸素を作り出している。
キャプテン、精神医、核ミサイルの専門家、植物の専門家など、それぞれの役割分担がある。
イカロス2号というからには1号もあったわけで、これが7年も前に打ち上げられたのが、行方不明のままになっていた。
ところがなんと、イカロス2号はその1号を発見。
ドッキングするのだけれど・・・、乗り込んだ1号で発見されたものは???。
そして、彼らは無事任務を終了し、地球の未来を救うことができるのか???
・・・と、このようにあおると、おもしろそうなのですけれどねえ。


なんと、キャプテン役が真田広幸です。
この映画は、彼が出ているから見たんですから。
ところが、あっけなくも、彼は真っ先に事故で死んでしまうのです・・・。
それから、致命的ミスを犯したのがやはり東洋系の人物で、
その失態のショックで精神衰弱、挙句に自殺。
おいおい、アメリカ映画ってね。
やっぱり垣間見える人種差別・・・。
なんだい、こりゃ。

ここでの問題点は、酸素。
とにかくこれがなければ生きていけない。
ところが植物の温室が火災で、残りの酸素がわずか。
7人では目的を果たせる場所までたどり着けない。
だが4人ならOK。
怖い話・・・。どうやって3人を始末するか・・・ということでね。
というか、その時点で、もう、地球への帰還はあきらめているわけです。
決死の任務遂行。

うむ、ほんとに、設定はこんなにスリリングなのに、何で、あんなに盛りあがらず、退屈なんでしょう・・・。
あえて、感動を拒否しているようなつくりなんですよね・・・、
登場人物の誰に感情移入できるでもなし。


広大な宇宙では、人は孤独。
誰が見ているわけでもない。
どんな出来事も淡々と過ぎていくだけ
・・・と、そういうことを言いたいのだ、と解釈することにしよう・・・。

2007年/アメリカ/108分
監督:ダニー・ボイル
出演:キリアン・マーフィー、ロース・バーン、クリフ・カーティス、真田広幸

「サンシャイン2057」公式サイイト


グイン・サーガ118「クリスタルの再会」 栗本 薫

2007年12月16日 | グイン・サーガ

グイン・サーガ118「クリスタルの再会」 栗本 薫 ハヤカワ文庫

さあ、トントントンと月刊できたグイン・サーガ、118巻。
今度は寄り道無し!無事、パロに到着しました~。
待ちに待った、グインとリンダとの再会。

さて、どうですか?
そうですねー、今までずっとアクティブでしたから。ここでは、平穏が強調されます。突っ込みどころがなくて、ちょっと寂しかったりもしますが・・・。
なんだか、それぞれが深く静かにものを想う・・そんな一冊ですよね。

まずはマリウス。
彼は前巻から、静かでしたよねえ。
今度、パロに帰ったら、もう抜け出せなくなってしまう。
そんな強迫観念にとらわれて、沈み込みっぱなしの、珍しく無口のマリウス。
そうですよー、えらそうに、物々しく国を治めるマリウスなんて、ぜんぜん想像できないじゃないですか。
彼は吟遊詩人にしかなりえないですよね・・・。
本人がどこでのたれ死んでもいいといってるんだから、ほっときゃいいのに・・・。
そうもいかない、国の事情というヤツですよ。
昔の話だから・・じゃないですよ。
この現在、日本でだって、皇室とかいうおかしなしきたりで、人権も無視されてる方がいたりするんだから・・・。

それから、ブラン。
彼も、思い切り悩んじゃいましたね。
もう、スーティーを連れ去る気力もないし、だからといって空手で帰ることもできない。カメロンを裏切ることもできないし、グインも大好きだ・・・。
パロまでのこのこついていっても、どうにもならないし・・・。
でも、彼もとうとう最後の決断を下して、カメロンの元へ単身で戻ることになるわけですね。
ただ、これまでのことはすべてかメロンに報告すると明言して。
どうなんでしょうかねえ。グインは、それでよしとしてしまったけれど・・・。
うーん、希望的観測だけど、カメロンはその話をにぎりつぶしちゃうんじゃないかなあ。
どう考えても、それをイシュトに伝えない方が、みんなの幸せだもんね。
この先の注目!だね。

グインは結局記憶が戻らないんですね。
今回すごくしんみりと来ちゃう、名セリフがありました。
「『この俺は何者で、なぜにかくあるのか。俺はどこから来て、どこにゆくのか』
・・・これほど答えをみいだせぬ問いそのものを抱えて生きてゆかねばならぬということ、
そしてそれはおそらく、豹頭であるとないとに係らず
すべての人間が多かれ少なかれそうなのだろうということに思い当たったとき、
俺は、俺の抱いているその疑問というものは、
決して豹頭なるがゆえの特殊なものではないのではないか、と思ったのだ。」
そうなんですよねえ・・・。グインの苦しみはすべての人の苦しみ・・・。
うん、名シーンですねえ・・・。

リンダはまた、14のとき、初めてグインにあったときのこと、そしてまたイシュトバーンとの初恋を覚えたその頃を思い出してしまう。
そして、グインを父や兄のように頼もしく思っていただけのはずなのに、ほんの一瞬、こみ上げる自分の感情に、愕然とし、うろたえる、というシーン。
意味深なシーンだよね。この先を暗示しているのかなあ???
記憶をなくしたグインが、まず、目指そうと思ったのが、パロであり、リンダなんだもんねえ・・・。

・・・ということで、派手な事件もアクションも無しですが、私はこの巻、結構お気に入りです。

満足度★★★★

 


「風の歌、星の口笛」 村崎 友 

2007年12月15日 | 本(ミステリ)

「風の歌、星の口笛」 村崎 友 角川文庫

どう見てもSF・・・・?
ハヤカワかと思ったら、やっぱりカドカワ・・・。
この表紙。この文体。
やっぱり、かなりハードなSF。
しかし、第24回横溝正史ミステリ大賞受賞作、とあるではありませんか。
やっぱりミステリなのか。


ここでは三つのストーリーが平行して語られていきます。

まずは、未来都市らしい風景。
そこでは”マム”と呼ばれるコンピューターがすべてをコントロールし、支配している。
まるで神のような存在。
しかし、なぜか、そのマムが変調をきたしているらしい・・・。

もう一つは、事故で入院していたマツザキの話。
彼にはスウという恋人がいたのだが、退院後、誰に聞いても、そんな人は知らないという。
スウは自分が作り出した妄想だったのか。
それとも、記憶が混乱しているのか。

そしてさらにもう一つは、地質学者ジョーの話。
彼は250年をかけて、かつて地球人が建造した人口の惑星プシュケに降り立った。
しかし、そこは、すでに砂漠化し、滅びてしまっていた・・・。
かつては繁栄した都市も、砂に埋もれかけた廃墟。


読み進むと、、コンピュータ”マム”の支配する街というのが、
その砂漠化した惑星プシュケのかつての姿なのだろうということは想像がついてきます。
でも、マツザキのエピソードがなかなかつながらない。

これらが終盤で、ぴたっと重なるところがなかなか面白い。
さて、どこがミステリかというとですね、これが実に正統派の密室。
プシュケの砂漠の中にある、出入り口のない箱のような建物。
かろうじてひび割れた隙間からカメラを差し入れて中の様子を見てみると、
天井に張り付いているミイラ・・・。
なぜこんなところに?
第一どうやってここに入ったのか。
犯人がいるとしたら、犯人はどこから出たのか?
どうして、こんな死に方をしたのか?

その答えが、これまた、まさにSF。
実に壮大なスケールの出来事なのでした。
というか、この物語は、このトリックを使うがためのストーリーと思える。
いやはや、まいりました。

でも、結果的に、この物語はこのミステリ仕立ての部分がなくても十分に通用する、時空をこえたロマンSFとなっています。

この方の第2作は、このようなSFではなく、学園ミステリとのこと。
そちらも、読んでみたくなりました。

満足度★★★★


「香菜里屋を知っていますか」 北森 鴻

2007年12月13日 | 本(ミステリ)

「香菜里屋を知っていますか」 北森 鴻  講談社
 
ビア・バー「香菜里屋」シリーズ完結編。
このシリーズは、ここまで文庫で読んだのですが、このたび完結編が店頭に出たのを見て、我慢できず、ハードカバーを買ってしまいました。

でも、この巻はちょっと寂しいのです。
今までの常連さんがたっぷり出てくるのはいいのですが、みな、結婚したり、新しい地で新生活を決意したりして、旅立っていく。
それは、おめでたいことなのですが、卒業生を送り出すみたいな、取り残された寂しさがありますね。
そんなころあいを見てか、マスター工藤も人生の転機を見出し、香菜里屋をたたんで去ってしまうのです。

工藤の隠された過去とは、昔、香月と共に勤めていた店での出来事。
想像通り女性がらみ・・・。
これを言ってはおしまいなので、ネタ晴らしはしませんが・・・。

これまでの巻は、どこから見ても楽しめましたが、この巻は、多分これまでのストーリーを読んでいなければ、さほど楽しめないと思います。
ミステリ要素も控えめ。
まさに、工藤のための本だからです。
そのせいか、料理の腕も湿り勝ちなんですが・・・


今回の香菜里屋メニュー

さっとゆでたモヤシに極少量の塩とごま油。
京都で言うところのちりめん山椒をからめて。
(ここで使用するちりめんじゃこは無添加、天日干し。
純米酒と少量の天然醤油のみで2時間ほどかけて煮た、手作り!)

鯛のかぶと、中華風清蒸(チャンジョン)

冬のうまみがたっぷり詰まった大根を輪切りにし、
下茹でして、テールスープで3時間ほどことこと煮込んだもの。
蟹のほぐし身のくず餡をかけて。

素揚げしたクワイに辛子明太子をほぐして添え、酢橘をたっぷりかけたもの。

スモークサーモンといくらのマリネ。キャビアを少々添えて。

刻みピータンと賽の目に切った大根の浅漬けの和え物。ライムをさっとかけて。

ジャガイモと牛肉を甘辛く煮た肉じゃが入りオムレツ。
醤油味を聞かせた出しにとろみをつけて、かけまわして。
馬肉のカルパッチョ。

あめ色になるまでじっくりと炒めた玉ねぎで甘みとコクを出し、
一方はしゃきしゃき感を残した玉ねぎで歯ごたえと香りを出す。
この2種の玉ねぎの入った一口ミートコロッケ。

生ハムに自家製のピクルスを包み、
さらにライスペーパーで包んで、軽く揚げたもの。

おや?料理も湿りがち?
うそでした・・・。
なんだかほんとに自分の行きつけの店がなくなってしまったような,
寂しさを感じます。

願わくば、新天地の工藤氏が幸せでありますように・・・。
そうだなあ、流れ流れて北海道、札幌のススキノのはずれあたりで、
やはり小さなビアバーを開いていたらステキ・・・。

満足度★★★★

香菜里屋の料理が満載・・・・
「映画と本のたんぽぽ館」花の下にて春死なむ

「映画と本のたんぽぽ館」桜宵

「映画と本のたんぽぽ館」螢坂

 


「チームバチスタの栄光 上・下」 海堂 尊

2007年12月11日 | 本(ミステリ)

「チームバチスタの栄光 上・下」 海堂 尊 宝島社文庫

「このミステリがすごい!」大賞受賞作ということで、以前から読みたかった本です。
文庫になってうれしい!

チームバチスタとは、東城大学医学部付属病院の心臓移植の代替手術である「バチスタ手術」専門の外科チーム。
このスタッフを率いるのが天才外科医桐生。
ところが、なぜか立て続けに3件生じた術中死。
どう考えても手術は成功と思われるのだが・・・。

心臓手術のためには、いったん心臓を停止させるのですね。
言ってみればその時点でその人は死んでいる。
そこで手術を施し、その後また心臓を蘇生させる。
そこでは、いつものように迅速かつ鮮やかな手さばきで、
間違いなく目的の手術がなされたはず。
ところが、いざ、心臓を蘇生させる時点で、心臓が作動しない。
手術室の凍りついたような空気・・・。

何らかの医療ミスを疑った院長の依頼で、万年講師田口が調査に乗り出します。
この田口はこの病院の「不定愁訴外来」を担当していますが、影では「愚痴外来」と呼ばれている。
体の不調や医師に対する不満、さらには、家族や友人間の不満、
そんな愚痴を延々と訴え続ける「患者」の話を聞くのが主な仕事。
出世街道とはまったく外れたこのポジションで、
それなりに平和で満足していたのに、突然降ってきた大役。
このキャラの立ち位置がなんだか味があって、いいのです。
だからといって不真面目なのではなく、成果も上がっているというところもよし。

さて、上巻では、結構普通の医療小説の味なんですが・・・、下巻、キョーレツな人物が登場して本のイメージががらりと変わる。
厚生労働省の変人役人、白鳥。
抜群に頭がいい、キレ者なのは間違いないのだろうけれど、
まったく彼独自の論理・言動で動いているので、周りの人たちはただ、目が点。
つまり、ここから「このミス」らしさがやっと出てくるのですが、
変人探偵登場、ということで、田口がワトソン役になるわけです。

手術室というのは確かに、衆人監視の中の密室。
ここで、医療ミスでなく、誰かが故意に手術を失敗させようとたくらんだら・・・それはやはり殺人事件。
いったい誰が、どうやって、何のために・・・?
これまでにないテイストのミステリでした。

この本は、続編がまだまだあるんですよね。
間髪を入れず、文庫化してほしい!

ちなみに、年末恒例で出る宝島社「このミステリがすごい!」の2008年版に、書き下ろし短篇でこの田口・白鳥シリーズが載っていまして、これもおススメです!!

満足度 ★★★★★


ミッドナイトイーグル

2007年12月09日 | 映画(ま行)

まず、本を読もうと思って文庫本を買ってあったのですが、読むより先に、映画を見てしまいました。
まあ、ストーリーがわかっていて映画を見るのもつまらないですからね。

さて、よくあるパターンではありますが、まず、一人の失意の男が描かれる。
カメラマン、西崎。
彼は戦場の中でも垣間みえる安らぎや子供たちの笑顔、そういうものを撮って、名も知られていました。
しかし、あるとき目の前で爆撃され亡くなってしまった子供を見て、
カメラでは何の助けにもならないことに絶望してしまうのです。
日本に帰国し、失意のまま、山に入って引きこもってしまう。
そんな時、彼の妻は病に犯されていて、亡くなってしまう。
西崎は妻の不調にも気づくことができなかったことで、いっそうの自己嫌悪に陥り、生きる意欲もなくしてしまう。
そんな彼をなじる、妻の妹、慶子。
残された一人息子は彼女がひきとることに。

まあ、そんな前提がありまして、ある日彼は北アルプス山中で飛行機らしきものが墜落するのを目撃。
それは、米軍のステルス爆撃機ミッドナイトイーグルでなんと、核爆弾を搭載していた!
それをねらい起爆させようとする北朝鮮の工作員と、阻止しようとする自衛隊の戦闘が人知れず冬の山中で繰り広げられる。
その戦闘に巻き込まれる西崎と、新聞記者落合、というスペクタクル。

大沢たかおと玉木宏は、ほとんどずっと雪山の中でしたねー、ご苦労様です。
雪山の迷彩服は、白無垢でした・・・。
そんな中での銃の打ち合い。まったくしんどいです。

一方、街中で活躍するのは、西崎の妻の妹、週刊誌の記者である慶子。
山中の西崎と街の慶子を交互に描いていき、最後に無線で対話をする。
お互いの微妙な気持ちも織り交ぜつつ、というこのあたりが見所ですね。

さて、山中に最後に残ったのは、彼ら西崎・落合の二人と自衛隊員の佐伯。
この三人で核爆弾を守らなければならない。
せまりくる北朝鮮の武装工作員。

自己犠牲。
どうも安直な気がして、こんなラストはあまり望まなかったのですが、それでも泣かされてしまいましたねえ・・・。みごとに。

それにしても、あんなにたくさんの武装した某国の工作員というのは、どこから沸いてきたのでしょう?
あまりにも、ずさんな入国管理ですな。

自衛隊特殊部隊の佐伯。
彼は「私たちは軍隊ではない。自衛隊だ。」と、あまりにもきっぱりと言ってのける。
う~む。それでいいのか・・・と思わなくもないのですが。
ところで、この人が、なんだか見たことがある、
さて誰だったっけ???と思いつつ、最後までわからなかった。
エンディングロールをみて、あ~!?吉田栄作!! 
ちょっと、意表を突かれた感じ。(つまり予習不足なんですけどね・・・)
いえ、これは、私だけでなく、結構周りの人もそこで驚いていました。
そうでしたか、あの、ハンサム(イケメンという言葉がまだない時代じゃないですか!)かつ、好感度抜群の青年が、こんな風になっていましたか。
お久しぶり~。
彼の出演シーンもすべて雪山の中で、終始帽子とフードに顔が覆われていまして、もっとじっくり全身像が見たかったと思います・・・。


2007年/日本・アメリカ/131分
監督:成島 出
出演:大沢たかお、竹内結子、玉木宏、吉田栄作
「ミッドナイトイーグル」公式サイト


「エーゲ海の頂に立つ」 真保裕一

2007年12月08日 | 本(エッセイ)

「エーゲ海の頂に立つ」 真保裕一 集英社文庫

あの、ミステリ作家、真保裕一が自ら体験したクレタ島トレッキング記。
クレタ島といえば、エーゲ海に浮かぶ、ギリシャ文明の遺跡の宝庫。
しかし、著者は、古代遺跡には心を残しながらも、エーゲ海の最高峰、イーディー山の頂をめざす。
そもそもは、NHKの衛星放送の企画で、島のトレッキングコースを回るという番組の出演を誘われ、それを受けたということです。
著者は、私も大好きな「ホワイトアウト」で、多くのファンをつかんだのですが、
ご本人は、登山をするわけでもないのに、その本によって、さも登山に詳しいと思われてしまうことに、後ろめたさを感じていたそう。
それで、若干でもこの企画でその後ろめたさを払拭したい、という気になったそうな。
いやいや、登山でなく、トレッキングだとしても、
普段運動不足の作家が、この企画を引き受けるのはやはり、相等の覚悟が必要だったのでは、と思います。

でも、いいですね。
エーゲ海は、私にも憧れの地でありますので。
真っ青な海と空。
切り立つ岩肌、
白い家並み、
そんなイメージでしょうか。
だから、そもそも、このエッセイよりは、元のNHKの番組の映像を見たいです・・・。
この本では、著者自ら撮影した写真がちょっぴり紹介されています。

トレッキングの傍ら、この島の歴史に思いを馳せる。
緑が少ないのは、その昔、人々が家を建てたり船を作ったりするために木を切りつくしたから・・とか、
とんでもない渓谷を通り抜けた辺鄙な場所に村があったりするのは、
海岸沿いでは海賊に襲撃される恐れがあったから・・・とか、
ギリシャ神話の時代から続く人々の営みは、いろいろな痕跡を島に刻み続けている、ということですね。

しかし、たぶん、イーディー山の頂上からの眺めは、数千年前も今と変わらないのではないか・・・。
私も、実際にその場に立って、そんな感慨を味わってみたい気がします。
でも、そう気軽に行ける場所ではないですねえ・・・。
体力にはまったく自信ありませんし。
そんな島に住んでいれば、生活も確かにおおらかになるでしょう。
午後は、シェスタというお昼寝の時間がたっぷりあって、
夕食は9時ぐらいから街に出て、深夜までみんなでにぎやかに盛り上がるという、
そんな生活もちょっといいなあ。

たまには、こんなふうに、遠いエーゲ海に思いを飛ばして、ボーっとするのもよし、と。

満足度★★★★