映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「リピート」 乾くるみ 

2008年10月31日 | 本(ミステリ)
リピート (文春文庫 い 66-2)
乾 くるみ
文藝春秋

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「リピート」乾くるみ 文春文庫

精神のタイムトリップ。
SFっぽくもあるこの物語の設定は、西澤保彦にも似ています。
また、心だけが過去の自分の肉体にトリップするというのは、
「バタフライ・エフェクト」にも似ています。
しかし、やはりこれはかなり独自の世界でした。
基本的にはミステリなんでやっぱり人が死にます・・・。


学生である毛利は、ある日突然不可解な電話を受ける。
風間というその男は、これから来る地震を時刻も震度もぴたりと当ててみせ、
実は自分は未来からタイムトリップしてきたのだという。
男はこの現象を「リピート」と呼んでおり、
次のリピートを、一緒にしないか、というもの。
行けるのは10ヶ月前だけ。
10月のある特定の場所、時刻からでなければそれはできない。
風間はそれでもう何度も、この10ヶ月をリピートしているという。
9人が同様に集められ、総勢10人で10ヶ月前に向かうことになる。

読み進むうちに、この9人は無作為に選ばれたのではなく、
ある一定の基準で選ばれたことがわかります。
果たして、彼らは自らの運命を変えることができるのでしょうか・・・。
そして、リピーターが一人、また一人と謎の死を遂げていくのは一体どうして・・・。


さて、自分のことを考えると10ヶ月前・・・。
戻りたいですかね?
私はこの退屈な日々をまた繰り返すのなんて、真っ平ごめんという気がしますが・・・。
もっと若い頃に戻って人生をやり直す、というのならどうかなあ・・・。
ストーリーの中では、いろいろな可能性を言っていました。

受験に失敗した若者。出る問題はわかっているのだから、今度は成功間違いなし。

競馬の結果がわかっているので、ぼろもうけができる。

振られた彼女を今度はこっちからさっさと縁を切って、新しい彼女を作る。

なるほど・・・、おんなじ映画を見たってつまらないと一瞬、思ったのですが、
今度は別の映画を見ればいいわけですか・・・。
いや、そんなことのために私はわざわざ10ヶ月前になんか行こうとも思わないなあ・・・。

それより、彼らはリピートに旅だった後の自分の運命が気にならないのでしょうか。

精神が抜けた肉体って、すなわち死なのではないかな・・・。
それとも、旅立った精神とは別の自我が、またそこに宿るのでしょうか。
であれば、その「自分」は、
「何も起らなかったじゃないか、ウソツキ」、と思うでしょうね。

つまりある時点でいろいろな運命に枝分かれしている多元宇宙。
今意識している「自分」さえ良ければ、後の世界の「自分」はどうなってもいい、
と、そう簡単に割り切れるものかなあ。
いろいろと考えるとこんがらがって分けがわからなくなります。
でも、そういう話を想像するのは嫌いではありません。

結局このストーリーの結末は結構悲惨。
やはり、一度の人生を堅実に生きましょうよ・・・。

満足度★★★☆☆


コレラの時代の愛

2008年10月30日 | 映画(か行)

偉大なる愛か、はたまたストーカーか?

                 * * * * * * * *

この作品は、よその地域ではもうとっくに終わっているみたいですね。
札幌の上映がすごく遅れていたようです。
それで、個人的には先日見た「宮廷画家ゴヤは見た」とハビエル・ヴァルデムのレンチャンになってしまいました。

そもそも、この予告編を見たときに、
「51年9ヶ月と4日、夫のいる女性を思い続け、見守り続ける男性の物語」、
ということで、う~ん、それってストーカーなんじゃないの???と思いました。
それで、ストーカーではなく「愛」であることを見届けようというのが、
ひそかなこの映画に関する私の課題だったのです。

まず舞台が、内戦とコレラの蔓延に揺れている1900年前後のコロンビアということで、
ほとんど今までそういう舞台の作品なんて見たことなかったですね。
その中南米の情熱的な人々、南国特有の美しい風景、
そんなことにも目を惹かれました。

はじめの出会いは1879年年です。
若き電報配達人のフロレンティーノが配達先の令嬢フェルミーナに一目惚れ。
せっせと彼女にラブレターを送るうちに、
彼女の方もその情熱にほだされて結婚の約束をするのですが、
彼女の父親が激怒。
そんな貧乏人に娘はやれない、ということですね。
父親は二人を引き離すため、娘を別の地に移す。

数年が過ぎ、フェルミーナがまた戻ってくる。
ただひたすら彼女の帰りを待ちわびていたフロレンティーノ(ここからハビエル・バルデム)が、夢に見た再会。
しか~し、何ということか。
彼女の情熱はすっかり冷めていて、もう、あなたとは会わない、と、きっぱり。
そして別の男性、医師のフニベルと結婚してしまうのです。

ここの彼女の心変わりをどう見ればよいのでしょう。
二人の間はまだ清いままでした。
彼女は単に恋に恋をしていた乙女だったのでしょう。
心の中でその思いを大切にしてきたけれど、
いざ本人を目の前にして、
理想と現実のギャップに初めて気がついたのかも知れません。

さて、それから51年9ヶ月と4日。
彼は彼女の夫が死に、彼女がまた一人身となるのをじっと待ち続ける。
徐々に二人が年月を重ね年をとっていくさまが、
さすがに今のメイク技術で、不自然なく描かれています。

ところが、フロレンティーノは心はフェルミーナに奉げるといいながら、
女性遍歴はなはだしく、関係した女性が622人。
それを彼はいちいち記録として書き溜めるという律儀さ。
ほとんどカサノバですね。
まあ、それで満たされない気持ちを埋めていた・・・というのですけどね。
でも、なぜか憎めない。
というのも、彼のほうより、むしろ周りの女性が擦り寄ってくるという感じなのです。
それは、彼自身の本心は別にあり、特定の女性を縛ろうとする意思がない。
言葉は詩のように巧みだし、とにかく優しい。
また、貧しい電報配達人だった彼も、叔父の商船会社に勤め、
最後には社長の座を次ぐということで、裕福になっている。
正直、ハビエル・バルデムは、二枚目とはいいがたいですが、
なにやら漂う色香・・・。
うーむ、やはり只者ではない。
そんなわけで、女性の方が、彼をほおって置かないというのも、
なんだか納得できちゃうんですよね・・・。
ただひたすらひっそりと、彼はフェルミーナを思い続けるわけです。
表立った接近はしない。
これはやっぱり、ストーカーとは違いますね。
でも、彼女の方も、それには気がついていて、
「あの人は影のような人・・・」と評します。
確かに、その密やかさはまるで彼女の影のようでもあります。

また、フェルミーナ自身の結婚生活はそう幸福というわけでもない。
まあ、普通なんじゃないでしょうか。
たいていの結婚はいつまでも情熱的ではいられないものですし、
夫の浮気も珍しくはないでしょう。
子どもも生まれ、裕福に暮らし、それは十分幸せと呼べるものだったと思うのです。
でも、彼女の中になぜか充実感がない。
それはフロレンティーノの存在が、
彼女のもう一つ別にあったかも知れない人生を
いつも思い起こさせるからなのではないかな。

50年以上に渡るフロレンティーノの愛は果たして報われるのでしょうか・・・。

この写真のように、老いて穏やかな二人の光景はとてもほほえましいのです。
なんだか、年をとるのも悪くないなあ・・・という気がする。

失恋し、母にすがり付いて泣くフロレンティーノ。
突然女性に強姦(?)され、放心するフロレンティーノ。
商用の文書を、韻を踏んで情熱的に書き上げるフロレンティーノ。
愛を受け入れてもらえず、失意の中にあるはずなのですが、
この映画全体ににそのような絶望感はなく、
なにやらほんのりしたおかしみが漂います。

まっすぐなラブストーリーも悪くないですが、
このような屈折した愛も、味わい深くてまたよし。

2007年/アメリカ/137分
監督:マイク・ニューウェル
出演:ハビエル・バルデム、ジョヴァンナ・メッツォジョルノ、ベンジャミン・ブラッド、カタリーナ・サンディノ・モレノ


テラビシアにかける橋

2008年10月28日 | 映画(た行)
テラビシアにかける橋

ポニーキャニオン

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これほど悲しいお話とは思っていませんでした・・・。

                  * * * * * * * *

ファンタジーといえばやはり、ロード・オブ・ザ・リングに、ハリー・ポッター。
正直食傷気味で、あまり見る気にならなくて、公開時も見ていなかったのです。
ところが実際見てみると、もっと早く見ればよかった、とひたすら思います。
これは確かに、ファンタジーではあるのです。
11歳少年ジェスとその同級生の少女レスリーが、
自宅付近の森をテラビシアと名づけ、そこで様々な空想を繰り広げる。
二人にはそれが空想であるとわかっているのです。
貧しく、4人の姉妹にかこまれ、窮屈な思いをしているジェス。
人とちょっと変わっていることでなかなかクラスにも溶け込めないレスリー。
この二人にとって、この森は大変大切な場所。
思い切り想像の翼を広げ、
森の精や巨人たちの住むテラビシアの王国を作り上げてゆく。

しかし、彼らは徐々に、その中から現実に対処する力を身につけていくのです。
子どもの世界も全く大変・・・と、思えるのですが、
いつもちょっかいを出していじめる男子、
学校内で君臨し、何でもやりたい放題の女子。
そのような現実の中でも、二人は少しずつ自分たちの居場所を広げてゆく。

このレスリーがすばらしく印象的でステキな子なんですよ・・・。
一目で気に入ってしまいました。

しかしだからこそ、といいいますか、ショッキングな展開で・・・、
まさかこのような作品で、こんなに悲しいなんて思ってもいませんでした・・・。

最後にジェスがそのテラビシアの森に行く手前の川に橋を架けるのですが、
このことの意味が、じんわりと胸にしみます。

ジェスと父親との微妙な緊張感があらわされていて、
でもそれは最後に温かでしっかりとしたものに変わる。
ジェスの妹の存在もここでは重要で、これがまた、おしゃまでかわいいのですよ。
そして、ちょっぴりジェスの今後の方向もみえてくるあたり、
そしてもちろん、このストーリー全体を通じたジェスの成長、
どの切り口を見ても、よくできた作品だなあ・・・と思います。

見た後、しばらく悲しみの余韻が抜けませんでした。
でもラストは希望に満ちていますので、
しり込みせず、ぜひ見ていただきたいお勧め作です。
これは少年少女が主人公ですが、決して子ども向け作品ではないと思います。

2007/アメリカ/95分
監督:ガボア・クスポ
出演:ジョシュ・ハッチャーソン、アナソフィア・ロブ、ズーイー・デシャネル、ロバート・パトリック


「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ

2008年10月27日 | 本(その他)
残酷な運命の中で寄り添う3人
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
土屋政雄
早川書房
             * * * * * * * *

カズオ・イシグロ。
以前何気なく読んでハマりまして、私には珍しいジャンルなんですが。
ちょっと読み始めるまでが億劫なんですが、読み始めるとつい引き込まれてしまいます。

さて、この本では介護人キャシーが淡々と自らの半生を語り始めます。
生まれ育った施設ヘールシャムや親友ルースやトミーのことなど。
しかし、そこに耳慣れない言葉「提供者」。
このヘールシャムというのも、単に、全寮制の学校というのではなく、
何か訳ありの施設の様でもある。
読み進むうちにこの施設の意味、提供者の意味、
そして彼らに課せられた残酷な運命が次第に明かされて行く。
ことの真相は、割と早くに明かされるのですが、
あえてここには書きたくない気分です。
私がここに書いてしまうと、すごく安っぽい感じになってしまいそうなので・・・。
この設定は、ほとんどSFまがいなのに、ちっともSFっぽくない。
それは人物描写の確かさと、決して大げさになりすぎない、抑制の利いた文章のためでしょうか。
友人間の微妙な心のすれ違いや共感、
そのようなものが実にきめ細かに語られるのには違和感がありません。

自己顕示欲が強く、華やかで、つい引き寄せられてしまう、しかし、感情の起伏が激しく、わがままで扱いづらいという感じなのがルース。

キャシーはそれに比べると内公的で、思慮深い。

トミーは、以前はいじめられっこの癇癪もち。
けれどあることがきっかけで、ありのままの自分を受け入れるようになり、
実はなかなか思慮深く、キャシーと似た面をのぞかせる。

でも、恋人同士になるのはルースとトミー。
この二人をとても仲の良い友人としてキャシーは受け入れているのだけれど、
実はトミーが好き。
実際、キャシーとトミーの二人だけの会話シーンはとてもいい感じなんです。
何で、こんなルースなんかと・・・と思う。
・・・というような、この三角関係を追うだけで、結構楽しめるのですが。
キャシーがこんなにも細かに過去を大事に語る意味がわかってくると、
これもなかなか切ないのです。
非常にはかない陽炎のような生。
このムードはやはり読んでみないとわからないかな。

ごらんのとおり、この本の表紙イラストは今はすでに懐かしいカセットテープ。
「わたしを離さないで」はキャシーがとても気に入っていた曲の題名で、
このカセットテープをとても大事にしていました。
そして、これにはまた、トミーとの温かな思い出もある。
彼女のはかない人生の中で、数少ない幸せの思い出が宿った品なのです。

さてしかし、一つ、非常に残念なのは、この翻訳文なんです。
トミーのセリフ。
「俺には、わからん」
何歳だと思います?
キャシーと同じくらいで、まあ、年代を追って登場しますが、始めの方は高校生くらいでしょうか。
「わからん」・・・これがまた、何度も出てくるセリフなので気になっちゃって。
すごく、ジジくさいです。これはないんじゃない・・・。
いくらなんでも、もうちょっと魅力的な文章にできないのでしょうか・・・。
この訳で、かなり損をしていると思います。
他の部分はとても読みやすくて、翻訳文嫌いの私でも、
引っかかりはなかったのですが、これだけがどうも・・・。

満足度★★★★☆


フリーダム・ライターズ

2008年10月26日 | 映画(は行)
フリーダム・ライターズ スペシャル・コレクターズ・エディション

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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LAに実在する高校の実話を基にした作品。
それまで優秀な子が集まっていたウィルソン高校ですが、
学区の再編成のため、様々な人種の子どもたちを受け入れざるを得なくなり、
一気にレベルダウンとなったことを嘆く学校の教師たち。
そんな中へ、新米の国語教師エリン(ヒラリー・スワンク)が赴任してきます。
最もレベルの低いクラスをあてがわれた彼女が見たのは、
教室で人種ごとにいがみ合う子どもたち。
学習への意欲もなく、すぐに喧嘩騒ぎ。
そもそも、ろくに本も読めない。

体の大きい彼らの間に入るだけでも、実際、考えると怖い気がするんですが・・・。
しかし、ここで彼女の奮闘が始まるのですね。
彼女の教師としてのプライドが、いつも付けている真珠のネックレスに象徴されています。

熱血教師のドラマはそれこそたくさんあります。
日本でも、数えきれないくらい・・・。
でも、ここでは彼女はクラスをまとめ上げただけでなく、
学習への意欲も向上させ、学力も付けていった。
これはやはり並大抵ではありません。
彼女は生徒にノートを一冊ずつ渡して、自分のことを書くように、というのです。
そこに彼らが綴ったのは、
貧しい暮らしのこと、
乱暴する家族のこと、
犯罪で捕まった身内のこと、
銃で撃たれて亡くなった友人のこと・・・、
赤裸々で危険に満ちた彼らの生活を綴った彼らの言葉は、大変胸に迫ります。
そもそも、生きてゆくのにやっとという状況では、
学習の意欲もわかず、力もつくはずがありません。
けれど、彼らの能力が劣っているわけではない。
そこを引き出した彼女の努力は、やはりすごいと思うのです。

なにしろ、授業のあと、バイトを掛け持ちして費用を作り、
私費を投じて生徒に本を買ったり、
ホロコーストの博物館へ連れて行ったりするのです。
そこまでする情熱には、生徒たちも心を動かされますよね。
そのためには、学校の上司や教育委員会とまで、闘うことになる。
鋼鉄の意志が必要です。

ホロコーストという言葉すらも知らなかった彼らが、
アンネの日記を読み、アンネをかばった人を高校に招いて直接話を聞く。
なんだかこのあたりは感動してしまいまして、ウルウル来ました! 
皆が心を合わせるって美しい・・・。
残念なことにエリンの夫は、あまりに彼女が教師の仕事に夢中なものだから、
心が離れて出ていってしまいます。
彼女が着々と夢を実現していることに嫉妬したようにも思えます。
こんな時、支えてくれる人ならよかったんですけどね・・・。
でも、彼女は確かに、十分強いですものねえ・・・。
支えなど要りませんか・・・。
ヒラリー・スワンクがまた、こういう役がぴったりなんですよねー。

それにしても、アメリカの格差は日本で想像する以上・・・。
人種問題もからんでいますしね。
そして、やっとこの高校を出た先が軍隊・・・ってことかな。

実は極最近、「貧困大国アメリカ」という本を読んだのです。
この本を読むと、この映画ももっと実感として迫ってきますね。
近いうちに、ご紹介します。

ともあれ、ずっしりとした手ごたえの、感動の作品でした。

2007年/アメリカ/123分
監督:リチャード・ラグラベネーズ
出演:ヒラリー・スワンク、スコット・グレン、イメルダ・スタウントン、パトリック・デンプシー

 


宮廷画家ゴヤは見た

2008年10月25日 | 映画(か行)

権力や宗教に翻弄される人間の弱さ。

                * * * * * * * *

18世紀末、スペイン。
ちょうど、フランス革命やナポレオンの台頭があった時代ですね。
その歴史のうねりは、フランスだけでなく隣国スペインにも過酷な影響を及ぼしていた。

ゴヤは宮廷のお抱え画家でしたが、
またその一方、権力批判や社会風刺に富んだ作品も製作していました。
映画中エッチングの製作過程が一通り出てくるシーンがありまして、それはとても興味深かった・・・。
このゴヤが肖像画を描いた二人。
裕福な商人の娘イネスとカトリック教会神父ロレンソ。
この二人の数奇な運命を中心にストーリーが進みます。

イネスは全くいわれれのないことから教会の異端審問にかかり、
拷問の挙句15年間幽閉されてしまう。
ロレンソはその異端審問を強行した立場だったのですが、
信仰では拷問を乗り越える力を与えられないと悟り、国外逃亡。
しかし15年後は、スペインを支配するナポレオン政府の大臣となって現れる。
ところがそれもつかの間、イギリス軍がスペイン援軍として現れ、フランス軍は敗走。

今日は権力の上に立ち、人を裁く身が、
明日には一転し、裁かれる身となる。
罪もないものが捕らえられ、拷問を受け、人間の尊厳も奪われる。
人々を支配する権力や宗教、思想の残酷さ、空しさ。
そしてそれに翻弄される人間の弱さ・・・。

この有様をゴヤは、ひたすら傍観するのですね。
画家として、とにかく「見る」事が彼の役割となっているわけです。
聴覚を失っているのはそのためかと思えるほど。
この数奇な運命をたどる男ロレンソ。
ハビエル・バルデムがまたはまり役です。
彼はいろいろな意味で欲得まみれ、
しかも、心はもろい、全く”人間的”な存在であるわけですが、
最後の最後に、矜持を見せますね。
これまでの変節をよしとしてきたわけではない。
心の痛みを持っていた。
だからこそ、これ以上の変節をもう自分に許せなくなったのだろうと思います。
その心を呼び覚ましたのは、もしかするとイネスの”心”なのかも知れません。
もう、壊れてしまった”心”ではありますが、
それはピュアな部分がそのまま固まってしまったかのようです。
この狂った世を生き延びるには、この方が幸せかもしれません。

この映画のキャッチコピーに
「スキャンダラスな愛の行方」という言葉があるのですが、
果たして、そこに愛はあったのでしょうか。
どうも私には違うと思えるのですが、
でも、ラストシーンを見るとやはり愛なのか・・・とも思えます。
この微妙さ加減がまた、考え落ちということで、それもいいかも知れませんね。

いずれにしても、ため息が出るほどに先の予測がつかない、ドラマチックな時代を生きる人間のドラマでありました。

2006年/アメリカ/114分
監督:ミロス・フォアマン
出演:ハビエル・バルデム、ナタリ-・ポートマン、ステラン・スカルスガルド、ランディ・クエイド

「宮廷画家ゴヤは見た」公式サイト


「ナイチンゲールの沈黙 上・下」 海堂 尊

2008年10月24日 | 本(ミステリ)
ナイチンゲールの沈黙(上) [宝島社文庫] (宝島社文庫 C か 1-3 「このミス」大賞シリーズ)
海堂尊
宝島社

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待ってました。
「チーム・バチスタの栄光」以来、この文庫化を心待ちにしていました。
おなじみ田口・白鳥シリーズ第2弾。
この作品中いよいよ殺人事件が起るのは、全体の3分の1以上読み進んでからなのですが・・・。
私は、事件が起る前のこの小説の雰囲気の方が好きでした。
舞台は前作と同じ東城大学医学部付属病院なんですが、
今回は小児科病棟がメイン。

小児の眼球に発生するガンの一種、レティノブラストーマ(網膜芽腫)を発症した14歳牧村瑞人と5歳佐々木アツシくん、登場。
その牧村瑞人の父親というのが、
完全に育児放棄というか、児童虐待のどうにもならない親で、
息子の病状の説明を聞きにさえ来ない。
瑞人はすっかり気持ちがささくれ立ち自暴自棄。
そんな二人の担当看護師が、浜田小夜。
彼女は類まれな歌の才能の持ち主。
そんなところへ、伝説の歌手、水落冴子が緊急入院。

これらの人物と、愚痴外来担当田口との交流がなかなか情感たっぷりに描かれていまして、推理小説であることを忘れて、楽しんでしまいました。
ところがやはり起きてしまう殺人事件。
殺されたのは瑞人の父親。
まあ、犯人の察しはすぐについてしまうのですが。
このストーリーは誰が犯人かというよりは、
どのように犯行が解き明かされるのかがテーマとなります。

前作同様、この事件発生後から本のイメージがガラッと変わってしまいます。
これは厚生労働省の変人役人白鳥圭輔の責任なのですが・・・。

どうもね、私はあえて彼を登場させなくても、田口先生だけで十分のような気がする。
私は田口先生、好きですけどねえ。
どこかボーっとしていて、見た目もぱっとしなくて、頼りなさそうで、
でも、実は結構キレて、人望もある。
探偵役は、彼だけの方が、物語全体もしっとりと仕上がるのになあ・・・。
あえて、ドタバタ調にしなくても・・・。

看護師小夜の歌声は人の脳の視覚神経を刺激し、
聞く者にくっきりとしたイメージを映像として浮かび上がらせる・・という、SFまがいの設定が出てきます。
まあ、奇想天外ですが、こういうのは嫌いじゃない。
ただ、どうも、わざわざバラバラ死体になっていた意味があまりないような気がします。
そこの説明が弱いのが残念。

満足度★★★★☆


P.S.アイラヴユー

2008年10月23日 | 映画(は行)

意外と泣けないのだけれど、ピュアな感情に揺り動かされる・・・

                 * * * * * * *

「最後の初恋」でもめげずに、また見てしまった、ベタなラヴ・ストーリー。
しかしこれは、予告編を見ただけで、結構泣きそうになってしまったのです。
なぜかというとこのストーリーは、夫の死から始まるのですから・・・。
失意で生きる意欲を無くした妻は引きこもりになってしまい・・・。
そこへ病死した夫から、なぜか次々と手紙が届く。
手紙に記されたことを実行するうちに、妻は少しずつ生きる意欲を取り戻していく。

妻ホリーがヒラリー・スワンク。
夫ジェリーがジェラルド・バトラー。
ということで、これは微妙な心の揺れとか、きめ細やかな愛情の形を描くという雰囲気ではないですね。
冒頭、二人の大喧嘩のシーンがありまして、
まさに、この二人の夫婦のスタイルがよく出ています。
結構がさつな似たもの夫婦・・・で、けんかもするけど、仲も良い。
犬も食わない夫婦喧嘩って奴ですね。
で、その元気なジェリーのシーンがチョコチョコ挿入されるので、
思ったほど、涙、涙・・・にはなりません。
そしてまた、はじめの方の追悼会のシーンで、ホリーも意外に泣いていないのです。
でもそれは必死に耐えていたからで、
かなり後にようやく母親の前で感情が爆発するシーンがあります。
そう・・・泣きたい時は思い切り泣くのがいいんですよ・・・。
ここではもらい泣きさせられました。

さて、この映画を見終わって、ちょっと不思議な感覚に襲われました。
なんだか女子高生みたいにピュアな感覚。
もはや手の届かない純粋なものを見てしまったような・・・。
夫婦なんですから、当然プラトニックはありえませんし、
ホリーは映画中で他の男性とのベッドシーンもある。
にもかかわらず、この感覚は何なのか・・・。

つまり、夫ジェリーの妻への愛情が貴重だからなのかなあと思います。
病の中、体調も思わしくないであろう時に、
これらの手紙や筋書きを彼は準備したわけです。
これってすごいですよね。
この愛は現実を超えて、すでにファンタジーの域なのだろうと思います。

昨今、映画の中では離婚は極当たり前、
離婚の出てこない映画を探すほうが難しい。
そんな中で、こういう一途に相手を思う気持ちって本当に貴重で美しいです。
全く、今更ながら、そんなところに打たれてしまったような気がします。

夫ジェリーはアイルランド出身という設定で、
ホリーの住むニューヨークとアイルランドの美しい広大な自然の対比がまた効果的でした。
ジェリーの温かい人柄はこの大自然に育まれたのでしょうか・・・。
ラストはハッピーエンド過ぎないところが気に入りました。
先の「幸せの1ページ」に引き続き、ジェラルド・バトラーを見たのですが、
なんだか、あったかで包容力がありそうな、この雰囲気。
いいですね。
いろいろ気の多い私ですが、また一人好きな俳優ができてしまいました。

2007年/アメリカ/126分
監督:リチャード・ラグラヴェネーズ、
出演:ヒラリー・スワンク、ジェラルド・バトラー、キャシー・ベイツ、ハリー・コニックJr


ペネロピ

2008年10月21日 | 映画(は行)
ペネロピ

ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント

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魔法を解くのは王子様じゃない

                  * * * * * * * *

おとぎ話仕立てのラブコメ・・・、とはいえ、これはなかなか楽しめました。
名門の家であるウィルソン家。
しかし、過去に悪行の人物がいて、魔女の呪いを受けてしまう。
その呪いとは一族に女の子が生まれると、豚の顔になるという。
そしてそれは、名家の人間にありのままの彼女を愛してもらうことでしか解くことができない。
さて、そうしてこの家に生れ落ちたペネロピ(クリスティナ・リッチ)は、豚の鼻。
彼女は母親によって、世間からひた隠しに、屋敷の中だけで育てられる。
のろいを解くために、幾度もひそかなお見合いが組まれるのですが、
相手の男性は、彼女を見るなり逃げ出してしまう。
最後に現れた男性こそ、彼女ののろいを解くことになるのか・・・?

このような不幸な身の上でありながら、
ペネロピは実に聡明で、ユーモアもあり、心優しい女性なのです。
こんな境遇で、このように成長したことこそ、奇跡と思われますが。

このストーリーの良いところは、
真実の愛に目覚めた王子様とのキスでは問題は解決しないところなんですね。
ペネロピは、王子様の愛を待つだけの生活から、
思い切って外の世界に飛び出します。
そして、自らその豚の鼻を世間にさらした時、ことは順調に進み始めるのです。
自ら行動し、自分の運命は自分で切り拓く。
やはり、現代の女性はこうでなくてはなりません。
そして、個性豊かな自分を好きにならなくては。
ここでは結局、嫌悪を隠して彼女と婚約した男性も、
彼女と心を交わした男性も、
のろいを解くことはできないのです。
古風なおとぎ話に端を発しながら、
現代風につけた結末に拍手を送りたいと思います。

クリスティナ・リッチは、豚鼻でも、結構キュート。
そして、ジェームズ・マカヴォイ、ちょっといたずらっぽい目をしたこの青年、
ステキでした。
「ウォンテッド」なんかよりずっと良かった。
「つぐない」よりも、この方が好きですね。
また、別の作品で、ぜひみたいです。

2006年/イギリス/101分
監督:マーク・パランスキー
出演:クリスティーナ・リッチ、ジェームズ・マカボイ、キャサリン・オハラ、リース・ウィザースプーン


「誰が学校を変えるのか」 藤原和博

2008年10月20日 | 本(解説)
誰が学校を変えるのか―公教育の未来 (ちくま文庫 ふ 29-10)
藤原 和博
筑摩書房

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 この著者藤原和博氏は、民間人から杉並区立和田中学校校長に就任。
先ごろ学習塾と連携した課外授業「夜スペ」で、話題となりました。
今年3月で校長は退任していますが、
現在、大阪府の橋下知事のもと、特別顧問となっています。
まあ、いろいろと教育界で賛否両論あるお方のようですが、
まず、素直にこの本を読んでみる事にしました。

これまで、日本では、「処理能力の高いサラリーマン」は育てたが
「自分のアタマで考え自治を行う市民」を育てられなかったといっています。

自分が払っている税金や年金のこともよく分からないし、
地域社会を形づくる教育や介護や街づくりの現場に積極的な参加もしない。
文句は言うが、対案をつくり自ら実現に向かって責任を分担することを避ける。
そんな「住民」をつくってきた。
成熟社会を生きる「市民の態度」とはほど遠い。

と、言うのです。これにはすごくうなづけてしまいます。
最近良く言われるモンスターペアレントのことも思い浮かびます。
このままでは、間違いなく地域社会は崩壊の一途をたどり、
セキュリティレベルは急速に悪くなる。

では「市民」を育てるためにどうすればよいのか。
ここが藤原氏の力説するところですが、「よのなか科」を設置する。
これは大人になるための技術を学ぶ教科。
まずは「身の回りの経済問題」。
お金の話はタブー視されてきたけれども、資本主義社会の中での人生とお金の関係をきっちり教えるべきとする。
そして、「身の回りの政治問題」。
税金や、年金について、あまりにも知らなさすぎ。
さらには「身の回りで起る現代社会の諸問題」。
裁判員制度のこと、自殺のこと、など等。
この授業は、教師だけでなく関心のある地域の人々、保護者、教師を目指す学生や教育関係者にどんどん参加してもらう。
正解を学ぶ授業ではなくて、考え方を学ぶ授業である、と。
なんだかいいですね。
そんな授業があれば私も参加してみたい気がします。
このようなことのために、学校に「地域本部」を置くべし、としています。

でも今、それこそ地域に無関心な「住民」は多いですよね。
自分のことを考えても、もう、仕事で手一杯で、
自分の子どもが学校から離れたら、きっぱり縁も切れてしまう、というのが現状のように思います。
だって、私たちは「市民」になるためのの教育を受けていないわけですし・・・。

ところがここでミソなのは、
この地域本部で、この私のような大人たちをも巻き込んで、
子どもたちと一緒に「市民」としての勉強をしてもらおう、と、
そういう意図もある点なんですね。
大人も子どもも共に学ぶ・・・か。
単にカルチャーというのでなく、こういうことのほうが実際大人としても楽しそうです。カルチャーなら単に趣味ですが、
これなら、子どもたちの成長というすばらしいやりがいがある。

そういえば、以前に読んだ「モンスターペアレントっていうな」の本のなかでも、
解決策としてはスクールコミュニティが上っていましたっけ。
これからの学校は地域との関係なしには語れないということなんでしょうね。
まだまだ夢のようなお話っぽいところもありますが、
現に、和田中ではできていたわけですし・・・。

どこまで、学校現場の人たちと地域の人たちの意識を変えることができるのか、
問題はそこなのだろうなあ・・・。

満足度★★★★☆


最後の初恋

2008年10月19日 | 映画(さ行)

危険な家の危険でない恋

           * * * * * * * *

中年男女のラブストーリーです。
若い人がそんなもの、見たがるはずもなく、劇場はオバサンばかりでした・・・。
自分もその一人なんで、なんとも言えませんけど。
隣の席でおにぎりなんか食べ始められたら、こりゃもうロマンチックも消えますわ・・・。
これがリチャード・ギアとダイアン・レインだからまだ見られるんだよなあ・・・と、
ふと現実に帰ってしまったりする。

さて、夫とは別居中の主婦エイドリアンは、海辺の小さなホテルの留守番を引き受けます。
シーズン・オフの泊り客は男性一人のみ。
彼は高名な外科のキャリアを捨てたポール。
どちらもこれまでの人生に行き詰っており、人気のない海岸のホテルに二人きり。
そこへハリケーンが接近し、電気も消えて・・・と、
非常に安直なシチュエーションで恋に落ちる二人・・・。
まあ、不倫というわけでもなし、いいんですけどね。
それで、お互いにまた生きる力を取り戻してゆく、と。

最後の初恋・・・ですか。
これくらいの年でそのように、瑞々しい初恋のような感情を燃え上がらせることができるのはうらやましい気もします。

でもね、今はもう見たくない夫かもしれないけれど、
かつてはやはり、燃え上がる恋の末結婚したはずではないでしょうか。
人の気持ちはうつろうもの。
結婚と恋愛は別。
そりゃ私も、イヤというくらいそれは承知しているんですけどね。
だからこそ、これがほんとに最後の初恋かどうかなんて、わからないです・・・。
ちょっと、チープに過ぎる気がします。

余談ですが、この海岸の家は怖すぎ。
ちょっと、高潮が来たり、地震で津波でもあったら一巻の終りですよね。
そもそも、こんな風をさえぎるものがないところだから、やはりハリケーンなんかが来たら非常に危険だと思う。
いくらなんでも、ここは避難しておくべきだったのでは???
なぜかいちゃもんばかり付けたくなっちゃって困りました。

でも、結局私は泣けちゃったのですが、
それは二人の恋の行方のためではなくて、
傷心の母親を気遣う娘の気持ちが胸にしみたから。
ちょっと、母親には反抗的で、父親とよりを戻して欲しいと思っていた娘なんですよ。
その娘が母を気遣うようにまでなるなんて。
・・・親はなくても子は育つ。

この映画の海岸はノースカロライナのアウターバンクスというところだそうです。
中で、カニ祭りなんて催しがあって、これにはちょっとそそられました!

2008年/アメリカ/97分
監督:ジョージ・C・ウルフ
出演:リチャード・ギア、ダイアン・レイン、スコット・グレン、ジェームズ・フランコ

 


ダージリン急行

2008年10月18日 | 映画(た行)
ダージリン急行

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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スパイスが香るインド列車の旅

             * * * * * * * *

ダージリン急行。
この名前が良いですね。
インドを走る列車であろうことがすぐに見当がつく。
なにやら異国情緒たっぷりでもあり、冒険心もくすぐられる。
そもそも、ダージリンの紅茶は大好きです。

さて、このインド北西部を走る急行列車で旅をするのは、3人の兄弟。
長男フランシス。次男ピーター。三男ジャック。
ところがこの3人、それぞれ個性的で、人生に問題を抱えている上、ヒジョーに仲が悪い!

そもそも数年前、父の死をきっかけに絶交状態となっていたのですが、
このたび、長男フランシスがこの旅を通じて兄弟の絆を取り戻そうと計画したもの。
しかし、この兄はレストランでのメニューまで自分一人で決めてしまうという、
かなりの仕切りたがり屋で、もうそれだけで弟たちはうんざり。
やはり、いさかいの耐えない3人で、先が思いやられます。

途中、長い停車時間を利用して、近所を見物したりしますが、
いつも最後は列車に乗り遅れそうになり、
走りだした列車を追いかけて最後尾に飛び乗ったりする。
このパターンの繰り返しも、愉快です。

この3人が喧嘩を始めたり、列車内で騒ぎを起すものだから、
とうとうこの3人は列車から降ろされてしまったりする。
その降ろされた先で、彼らは一つの事件に遭遇するのですが・・・。
なんだかんだと騒ぎを繰り返すうちに、
次第に絆を取り戻し、生きる力を取り戻してゆく3人。

インドのほとんど砂漠地帯を行く長距離列車。
そのポップな色合いも楽しいですね。
列車内の様子も興味ありますし、こんな列車で旅をしてみるのも悪くなさそう。
インドは、これまで行ってみたいと思ったことはないのですが、
これには気が惹かれました。
何やらちぐはぐなこの兄弟の雰囲気。
ユーモアとペーソスの不思議な融合。
なるほど、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」の監督さんでしたか。
それで納得しました・・・。

2007年/アメリカ/91分
監督・脚本:ウェス・アンダーソン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、アンジェリカ・ヒューストン


「暁の密使」 北森 鴻

2008年10月17日 | 本(ミステリ)
暁の密使 (小学館文庫 (き5-1))
北森 鴻
小学館

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目指すは天竺ならぬ、チベットのラサ

          * * * * * * * *

えー、私にしては硬派の本になりました。
「香菜里屋シリーズ」は私のお気に入りなので、また、北森鴻にチャレンジというわけで・・・。
それとまた、チベットが絡むストーリーにはここのところ縁があって、興味があります。

さて、この本は実話に基づいていまして、
明治30年代、日本の仏教僧能海寛(のうみゆたか)が仏教再興のため、
チベットのラサをめざすというストーリー。
今でもチベットは大変遠いですが、
当時としては、想像を絶する困難があったようです。

そもそも、チベットは鎖国をしていて、外国人を受け入れない。
そこをどのようなつてで、入国しようとするのか。
また、途中盗賊やら山賊やらが跋扈し、非常に危険。
険しい山中を抜けなければならないし、
ひとたび天候が崩れれば、今のような携行に便利な装備や食料があるわけもなく、
たちまち、凍傷や生命の危機となる。
おまけに、このストーリーでは、
チベットはアジアの地勢の要として、欧米列強の覇権競争が繰り広げられている。
政治的陰謀の数々がまた、能海の行く手を阻む。
実は、彼自身は知らずして、日本政府の密使の役割を背負わされていた・・・
というのが、これが単なるノンフィクションでなく、
ミステリ作家、北森鴻の「らしい」ところなのです。

能海自身は、非常に鷹揚で、気持ちには微塵の曇りもなく、
ただひたすら、仏教の道を究めるべくチベットを目指している。
「何とかならんものかな・・・」
というのが彼の口癖で、
数々の困難の前でつい、そうつぶやいてしまうのだけれど、
彼の人柄の良さに引かれて、つい助けてあげたくなってしまう人が寄ってくるというのも、また面白い。
これってつまり、西遊記の物語がちょっと意識されているんですね。
終盤では能海のお供として、
揚用(ヤンヨン)、洪水明(ホンシュエイミン)、明蘭(ミンラン)ら、
頼りになる仲間との旅になります。
彼らのカッコ良く痛快なアクションシーンなども交えつつ、チベットに迫っていくのですが、
果たして能海は憧れの地、チベットのラサへたどり着けるのか・・・?!

壮大な物語に、読後はちょっとボーっとさせられます。
つわものどもが夢のあと・・・といった感慨ですね。

時が過ぎ、チベットの地では相変わらず冷たい風が吹きすさび、
あたりの雪を舞い上げているのでありましょう・・・。

満足度★★★★☆


長い散歩

2008年10月16日 | 映画(な行)
長い散歩 プレミアム・エディション

ジェネオン エンタテインメント

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緒形 拳 さんを偲んで

           * * * * * * * *

緒形拳さん追悼の意味で見てみました。
以前から気になってはいたのですが、見損ねていたもので。
さてしかし、これは非常に重いです。

元校長の松太郎(緒形拳)は、仕事一筋で家庭を顧みず、
また、かなり厳格な性格でもあったため、妻はアルコール依存症で亡くなってしまった。
そのことで、一人娘とも絶縁状態。
一人安アパートに身を落ち着ける。

さて、そのアパートの隣室に住む母子。
幼い少女が、母親から虐待を受けている。
ほとんどかまってもらえず、いつも一人ぼっち。
体には明らかに折檻のあとも。
この、お色気たっぷりの自堕落な母親を高岡早紀が実にうまく演じています。
実際にはお会いしたくないタイプですが。

ある日とうとう彼は少女を連れ出し、旅に出るのです。
それは、彼自身、家族に何も与えられなかったことの贖罪の気持ちでもありました。
体に触れられることを異常に嫌がる少女。
また、レストランの熱々のハンバーグを「痛い」といって、寄せ付けない。
つまり、温かい食事を与えられたことがなかったということなんですね。
不思議なこの二人の旅の間に、次第に少女の心が解け、距離が縮まってゆく。
そしてまた、松太郎自身もこの少女に救われてゆくのです。
少女が終始身に付けている天使の羽が利いています。

ところが、これは世間的に見れば誘拐なのです。
実際は少女を救い出したにもかかわらず、誘拐犯として指名手配されてしまった。
のどかな旅が次第に逃走劇となってゆくのですが・・・。

母と子、父と娘。
この作品では、血のつながりは何の心の安らぎももたらしません。
むしろ傷つけあっている。
そして、全く他人の老人と幼女が心を通い合わせ、
かけがえのない存在として寄り添っている。
皮肉ながらも、そういうものかもしれません。
断ち切れない親子関係というもの。
断ち切れないが故の苦しみ。
でも、単純に人と人、お互い弱い存在として認め合った時に、
通じ合うことができるのではないでしょうか・・・。
途中で道連れとなるオニーサン(松田翔太)が、とてもよかったなあ・・・。
何とか彼も、とりあえずの目的地までは連れて行ってあげたかった・・・。
エンディング曲が、UAによる「傘がない」。胸にしみます。

これまでの自分の人生に後悔しながらも、また、
まだまだ、あきらめていない、
そういう「男」の姿が、よく表わされていたと思います。
隣家のヒモ男に天誅を下すべく、
ランニングし、竹の棒を竹刀に見立てて体を鍛える松太郎。
ちょっと茶目っ気もあってよかったです!


2006年/日本/136分
監督:奥田瑛二
出演:緒形拳、高岡早紀、杉浦花菜、松田翔太、奥田瑛二


私がクマにキレた理由

2008年10月14日 | 映画(わ行)

楽に見える道こそ地雷だらけ

                * * * * * * * *

大学を出たものの、未だ人生の方向性が定まらず、
アニーは公園でたまたまであったセレブ主婦に請われるまま、
ナニー(子守)を務めることになってしまった。

ニューヨークのアッパーイーストに住むセレブなX家。
ミセスXは毎日エステやら社会活動に忙しく、子どものことなどお構いなし。
ミスターXは仕事仕事でほとんど家にいない。・・・実のところ、浮気もお盛んのようで・・・。
セレブな高級アパートに住み込んで、子どもの世話をするだけで、給料もいい。
ルンルン気分でいたアニーでしたが・・・。

さてその一人息子5歳のグレイヤーは、わがままいっぱい。
おまけに、ミセスXは、雑用まで言いつけるので、アニーは振り回されっぱなし。
でも、グレイヤーは次第にアニーに打ち解け、寂しい本心をさらして、なついてくる。
また、毎日忙しげに出歩くミセスXは、夫にかまってもらえず、実は非常に孤独であることが見えてくるのですね。
もともと、人類学を専攻していたアニーなので、
はじめはこのセレブ一家を観察しているつもりだったのが、次第にのめりこんでいく。
皆があこがれるセレブな生活なのに、皆ちっとも幸せそうではない。
いくら生活が豊かでも、本当に必要なものは他にある。
格差が広がっている今、贅沢な悩みなんですけどね・・・。

作品中、そんなところをちょっぴり意識した部分があって、
アニーのナニー仲間が言うのです。
「私は自分の子どもを置き去りにして、他人の子どもの面倒を見ているのよ。」・・・と。
実際、ナニーをしているのは、英語も話せない、移民の女性が大変多いようです。
それで、生活の苦しさも知らない若いオンナノコが、趣味みたいにしてナニーをしているアニーをちょっぴり皮肉ったりもする。
セレブが遊び歩くのは、貧乏人のための救済措置なのか?
なんて、思えてきちゃいますね。

あ、でも、これはそういう社会問題をえぐる作品では全然ありませんので、ご心配なく。
でも、そういうことに少し、触れているのは良心的だとおもいます・・・。

スカーレット・ヨハンソンは、意外とこういう等身大の現代女性の役ってなかったですね。
すごくキュートでステキでした。

アニーが赤い傘につかまって空を飛ぶシーンがあるのですが、
あれはメリー・ポピンズを意識しているのでしょう。
現代版メリー・ポピンズというわけです。
黒じゃなく、赤い傘というのが、彼女に似合っています。

アメリカの自然史博物館のジオラマ風に、現代の生活風景を並べてみせるという斬新な映像にも惹かれました。

最後に、アニーは熊のぬいぐるみに仕込まれた隠し撮りカメラに向かって、
思いのすべてを吐き出します。
これが題名の由来。
原題は「ナニーの日記」となっていましたね。
ベストセラーになった原作本の題名は「ティファニーで子育てを」。
どうせなら、これにすればよかったのに。
やはりこの題名が一番おしゃれです。

アニーの親友リネットのセリフがよかった。
「楽に見える道こそ地雷だらけ」・・・肝に銘じたいと思います!

2007年/アメリカ/106分
監督・脚本:シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ
出演:スカーレット・ヨハンソン、ローラ・リニー、アリシア・キーズ、クリス・エヴァンス、ポール・ジアマッティー

「私がクマにキレた理由」公式サイト