ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

紅玉届いた、ジャム作ろう!

2017-10-20 08:45:07 | 食べ物

 いつもなら町内の知り合いから分けてもらってた紅玉リンゴ、ジャムもだぶつき気味だし、今年は無くてもいいか、ってお願いしなかった。

 なのに、生協から突如届いた。いや、そんこたぁない。注文したんだよ、きっと。神さんが注文書に書き込んでいたのか、こっちがすっかり忘れてたのか?多分忘れてた、が正解だろうな。歳だからなぁ、記憶もおぼろになってんだよ。

 一旦作らないって気持ち固めちまうと、いざ目の前にこれ見よがしに居座っていても、この野郎、うざいんだよなんもする気はねえぞ!ってあえて無視し続けていた。まっ、スムージーにでもしてやっから、待ってろ、ってね。

 ところが、スムージーの約束もいつまで経っても果たせない。見た目に変化はないものの、日に日に鮮度を失ってすかすかになって行くのが感じられる。本当か?超能力か?まっ、それはそれとして、そう、紅玉は、ここらで言う、ミソになりやすい品種なんだ。だからふじなんかと違って長期保存がきかない。それも知人からもらうのを止めた理由の一つ。

 うーん、仕方ねえなぁ、最近孫もジャムを食べるようになったようだし、秋野菜の季節が終われば、人に上げるものも少なくなることだし、まっ、1キロぐらい持て余すってこともあんめぇ。それに、紅玉ジャムはなんたってジャムのお姫様だしな。11月3日、町芸文祭上演のコント台本も書けたことだし、よしっ、ちゃちゃっと作っちまおうかい。

 皮剥いて、芯を切り取って、果肉はざっと小口切り。

 半量の砂糖を入れて火にかける。ここで大切なのが、剥いた皮を木綿袋に入れて一緒に加熱することだ。

 こうすると、皮の赤い色素が流れ出てきれいなピンク色のジャムに仕上がる。これは他のリンゴじゃぜったいできない。特有の酸っぱさとともに紅玉ならでは持ち味だ。そうだ、レモンも一個絞って入れちまおう。酸味に爽やかさが加わるから。

 どんどん煮詰めながら、皮の入った袋をへらで押しつぶして色素を溶出させる。ほれほれ、じんわりと染まってきたぞ。

 ざくっと薄切りの果肉も火が通るにしたがって形を失っていく。これも紅玉の特徴なんだなぁ。ふじリンゴなんかじゃ果肉がしまっているから荷崩れなんかしない。いつまでも切片のまま仕上がる。だから、しっかり煮込んだシロップ煮にしてアップルパイなんかに詰めるにはふじだ。

 煮詰めること40分、果肉が溶けてトロトロになったころには美しいピンク色に染まっている。殺菌した瓶移して、しっかり蓋をして、さらに加熱殺菌。で、ほれぇぇ、この通り可憐な紅玉ジャムの出来上がりだ。

 冷凍してあったごはん食パンを焼いて、ジャムの試食。

 おっ、いいねぇぇぇ、美味いねえ!この色合い、見事じゃねえか!うーん、出来上がりが4本半かぁ、これじゃ足りないぞきっと。こんなに美味いとなっと、人に上げる前に食べつくしてしまいそうだもの。

 って、ことで、さらに2キロ、生協に注文してしまった。忙しさなんてなんだい!、美味いものが、傍にあふれてる方が幸せってもんだぜ。

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やっぱり、ストーブ!

2017-10-19 09:14:30 | 暮らし

 なんとかねぇ、11月まで、室温15℃を割るまでは頑張りたいって思ってたんだよ。でもねえ、やっぱり、負けた。弱いんだよねぇ、寒さに。て、言うより、意思が弱い。

 なんも、やせ我慢して縮こまってることないべ、って悪魔のささやき!追い先短けえんだ、少しでも快適に余生を暮らそうぜ、って、おいおい、余命あと数年みたいに自分を騙すくらかすんじゃねえよ。

 この寒さ!外は10度以下。室内は辛うじて15度ちょい。厚着してひざ掛け巻いてじっとしてりゃ過ごせないわけじゃないんだが、背中丸めてネコ抱いてって、そりゃまるっきりジイサンだろう、ってまあ、たしかにジイサンなんだけど。

 よしっ、ストーブ着ける!快適薪暖暮らしを開始する!

 と、なると、まずは煙突掃除だ。2階の掃除用穴の扉を開けて金ブラシを突っ込んでゴシゴシする。昨冬半年分のこびり付いた煤が煙突内を流れ落ちる。長い棒で煙突をまんべんなく叩いてやるのも効果的だ。ストーブ屋さんが見たらびっくり仰天、蔑みと哀れみの眼差しで、そんな無謀な扱いをって非難するに決まってるけど、これが意外とよく落ちるんだ。なんせ、内壁にゃ煤に交じてタール分もへばりついているからね。

 煙突の内壁からこそぎ落とされた煤は、ストーブの煙突ジョイント部分にたまる。下の蓋を開けてみると、大量の煤が猛烈な勢いでこぼれ落ちる。もちろん、下には隙間なく新聞紙を敷き詰めてはいるんだが、こちらの予測を超えて周囲に飛び散る。いつものことだ、終わったら部屋全部掃除するしかない。

 さっ、準備完了。まだ薪の方は2割方割っただけ、しかも、割りたてのほやほやだから、燃え付き悪いが、今年もらった材料は2年前に伐採したものなんで、大丈夫でしょう。奥に太い薪を置き、自家製着火剤、チェーンソーの木くずに灯油を染み込ませたもの、を前に仕込んで、焚き付けの古竹やら薄板なんかを組んで、その上に薪を乗せる。マッチにて着火。おお、半年ぶりの炎!いやぁぁ、いいもんだねぇ、炎の見える暮らしって。

 じゃんじゃか燃やせば安定して燃え続けるんだが、そんなことしたら、あっという間に25℃を突破して真夏日になっちまう。20℃前後を保ちつつ火が消えないようにする。ここがこの時期のストーブ付き合いじゃあ、難しいんだ。空気穴を調節し煙突への排気口も微妙に合わせて、薪も2本だけ。これをトロトロと燃やし続ける。

 ただ今の室温、18.5℃。いいとこだねぇ。ほれ、ネコもさっそく、ベストポジションでくつろいでるよ。さあ、我が家の冬の始まり、始まりぃぃぃぃ!

 

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どんな会場だって、やるって言ったらやるんだ!ってことで、秋田三種町バージョンでリハーサル

2017-10-18 09:07:56 | 菜の花座

 覚悟しちゃいたけけど、ちょちょっと出かけって上演、なんて具合にいかないってこと、よぉぉぉく分かった。公演の1か月前に現地会館訪ねておいて、本当に良かった。手直し程度じゃとてもじゃないが、上演できない。

 まず、狭いだろ!奥行き、プラザの半分程度、装置置いたら、残る演技エリアはわずかに2間!ここで、ダンスも踊る???平台、箱足、開き足、といった、劇場ホール全国標準の舞台備品が、ない!あるのは箱型の台が数台!これで『ニャン婆と時之助』の小山や座敷を作りゃにならない。装置さん、大変!でも、そこが腕の見せ所じゃあるけどね。一番の問題は照明。小中学校の学芸会とか、旅回りの演歌ショーならなんとかなるが、芝居となるとぉぉぉぉ?!

 なんて、愚痴ってたってしょうがない。ほら、数年前、シニア演劇学校2期生の作品『ラグリンシャ・クリニカル』で書いた歌詞、「無いもの嘆いてなんになる!」だよ。あるものが宝!ほほう、これがある!これも使える!これ凄い!この精神で目いっぱいいいもの作ろうじゃないか。

 て、ことで、プラザに三種町仕様をセットしてリハーサル。

 中央の小山を50センチ低くしたり、座敷を畳2枚に圧縮したり、祠の後ろに秘密の抜け階段を作ったりと、装置さんの苦心惨憺、苦労の甲斐あって、なんとか演じ切る舞台は整った。まっ、役者はあれこれ文句言ってたけどね、舞台に立つ方だって、工夫しなくっちゃ。午前中に装置と照明の仕込み。照明さんはどちらも仕事持ちで夜からの入りなので、午後は照明の当たりをチェックしたあと、ダンスと歌の稽古をたっぷり、贅沢なもんだ。って、のんびりした分、夜は追い回された。

 まず、1/3に減った灯体で明かり作り。細かい陰影や斬新な明かりなんて、到底無理。まずは、舞台の役者の顔がはっきり見えるってことを最優先でシーンの照明を作った。だからって、やっぱり見せ場は素通りできない。なんと、今時珍しいフットライトまで動員して、黒猫の変身シーンを作った。幸い、置農演劇部OBのT君が手慣れたところでピンスポットを扱ってくれることになったので大助かりだ。そうそう、音響もこれまで大切なところでちょくちょく手助けしてくれていた同じくOGのIが来てくれて、スタッフさんからくどい程、音響機器の手ほどきを受けていた。これまた大助かりだ。

 照明の方、まあ、これなら、驚きの舞台表現!ってわけにゃいかないが、お客さんも不満募らせず見てくれるだろう。シーン記憶した後がまた大変。データをフロッピーとかで移動できないので、すべてシーンフェーダー表に書き写し。若手二人が手伝っての4人で手作業。どうにかデータは書き起こせたが、舞台を使ってのリハは時間切れで中止、退館30分前にはばらしに入った。

 そうか、三種町に持っていくものは、すべて玉庭の借り受け倉庫に移動するのか!こりゃ大変だ。座敷も高台もすべて完全に分解。階段多数やスロープ、手製平台等、すべてトラックに積み込んだ。荷台は過積載!ロープ2本を雁字搦めに掛けて、そろそろと出発。30分掛けて到着したら、なんとエンスト!油圧式のアオリも落っこちて、うわーっ、良かったたどり着けておいて!途中の山道でダウンしたりしたりしたら、どうにもならず夜明かしだったぞ。なんせ、夜中の11時だもの。

 幸い、女性も3人手伝いに来てくれたので、6人で運び入れはスムーズに進んだ。でも、トラックの方は、この場に放置。仕方ない。かつての分校教室の半分にうず高く詰まった装置。こりゃ、運び出すのも大変だ。改めて、仕事進めてくれてる装置さんに感謝だな。

 三種町公演の前日には箱型トラック借りて、出かける予定だが、この量だと、前日昼間から積み込みしなけりゃダメだ。いやはや、舞台一つ持ってくってのは、とんでもないエネルギーが要るもんだって実感!

 プラザに戻ったのは11時50分。今夜はさすがに、飲まずに寝るんでしょ?と、送ってくれたHさん。いや、飲みますよ、もちろんだ、安酒ティーチャーズが待ってるからね。

 

  

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いろいろもらって、嬉しかったから、も一度米沢マラソン&サイクリング大会

2017-10-17 08:02:20 | ランニング

  なんやかんやと、ツイて来た大会だったなぁ。

 まず、出場記念品は、タオルとカップ、どちらか選べって言うから、カップを選択。おっ、いいじないか。稽古の時なんか、コーヒーとか入れて持っていけそう、ありきたりのTシャツやタオルよりも、もぉぉらい!って感じ。

 次にジムチームに参陣したら、栄養補給品一そろい。ありがとさん。

 走り終わって、記録賞もらいに行ったら、ラッキー賞当たってまぁぁぁす、ってミズノのタオル。おっ、良かったねえ、記念品にタオル選ばなくって。

 どれもこれも大したもんじゃないけど、なんかご褒美たくさんもらうのって、やっぱり嬉しいもんだよねぇ。

 タイムも2時間の目標突破できたし。順位もハーフ60歳以上で14位/39人と半分以内に入れたしね。でも、どうして全体順位出さないんだろ。たった39人の中で競ったって面白くないじゃんねぇ。若い奴らの上に行ってるってのが、大いに自惚れ心くすぐるんじゃないの。

 そうそう、今回の記録達成は、スタートからペースを5分30秒以上に設定したせいなんだ。後半、バテて6分/キロに落ちた瞬間もあったけど、レース全体を通して5分35秒/キロで走れた、立派!前回の南陽で、5分45秒/キロを目指して走って失敗したからね。なんと迂闊、このペースじゃ守ってみても2時間切れないってことにレース後に気付いたんだ。馬鹿だよねぇ。

 レース途中でケーブルテレビの取材にも協力して、普段菜の花座でお世話になってる義理も返せたし、大いに満足した大会だった、なんてニヤケていたら、山形新聞に写真が載ってるって友人が届けてくれた。おお、でかでかと!

 とまぁ、ツキまくったレースだったよなぁ、ってことで、ついつい第2弾書いちまったよ。

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歴史を切り取る妙技!こまつ座『志ん生と円生』

2017-10-16 08:02:46 | 劇評

 井上さんて、どうしてこうも見事に歴史を切り取れるんだろう?戦争末期、満州に渡った落語家古今亭志ん生と三遊亭円生を追うなんて!この春先に見た『わたしは誰でしょう』もそうだった。終戦直後のラジオ放送「尋ね人の時間」を見事に拾い出していた。

 そりゃ決まってるだろ、猛烈な勉強家だからさ。うん、それがベースにあるのは間違いない。でも、玉石混交ごまんとある歴史の一コマから、時代を鋭く切り裂き、なおかつ笑いと感動を引き起こすエピソードを引っ張り出してくるのは容易なこっちゃないぞ。ここはやはり、井上ひさしという劇作家の尋常ならざる嗅覚なんだと思う。

 ぶっちゃけ、途中ついうかうかと居眠り漕いでしまった。稲の架け替え終えて昼飯かっ食らって慌てて駆けつけた昼公演。年取ると堪え性なくなってなぁ、定時にゃ昼寝が欠かせんのよ。この劇2度目ってこともあったかな。あっ、でも、そいつぁほんの一時!だと思うんだけど・・・

 ハッと目覚めたのは、満州で生き倒れた母親たちの亡霊が現れるシーン。中国人に託した我が子への思い断ち切りがたく、志ん生と円生に形見の品々を手渡すことを頼むところだった。こういう怨念の凝縮されたようなシーン、井上さん、歌まで入れて軽やかに?描くんだよなぁ。押しつけがましくなく、湿っぽくもならず、底に笑いを忍ばせつつ作るんだ。ずっしり重く、これでもかって涙の押し売り、感動のこれ見よがしを避けて。この手法、なんなんだろう?喜劇作家としての矜持なんだろうか?戯作者の照れなんだろうか?計算し尽くした技なんだろうか?正直なところ、僕にはやっぱりもったいない気がしてならないんだ。せっかくの母親の執念が軽く流れてしまう気がして。

 休憩が明けてからのシーンは、ググッと引き付けられたなぁ。不用品の交換喫茶店、あっ、今ならメリカルね、多分こんなの実際に戦後の満州にあったんだろうな。そこでスポットを当てられるのは、夏目漱石全集と三代目柳亭小さん全集、これを対比させつつ、小説によって書き言葉を完成させた漱石と落語を通して話し言葉を生み出した小さんを引き出して見せてくれた。お見事!

 さらに、圧巻は、次の修道院の屋上物干し場のシーン。行き倒れ寸前、炊き出しをしていた修道院に救われて、屋上の小屋でシーツをまとい暮らすようになった志ん生を芸の世界で成功し羽振りよく立ち回っている円生が訪ねてくる。二人の言葉のやり取りはなぜかイエスキリストの復活を暗示させるものばかり。それを盗み聞きした修道尼たちが、本物の救い主と勘違いして志ん生を崇める。ちょっと引いて考えりゃ、こんな無茶な設定はない。でも、それを聖書の言葉を小話と巧みに絡ませつつ爆笑シーンとして成り立たせてしまう作者、井上ひさし、演出・鵜山仁の凄腕。大いに笑った。で、この思い違い、どう落とし前つけるのか?って興味津々で見ていたら、なんと、人生における笑いの意義を堅物の修道院長に納得させることでけりをつけていた。

 そうなんだ、こういうシーンこそ、井上ひさしの真骨頂なんだ。凄いなぁ!見事だなぁ!ひたすら感心。井上さんの笑いについての考え方、それに掛けてきた深い思いが、ずしりと伝わってきた。

 辛く苦しい人生を少しでも楽しく愉快に過ごさせるもの、それが笑い。そうか、だから、母親たちの亡霊もどこか明るく笑いを秘めて、我が子への思いを語っていたってことなんだ。井上さんのはるか後方から、仰ぎ見つつたどたどしく歩んでいる菜の花座の芝居、この信念で自信を持って進んでいきゃあいいんだ。

 それにしても、観客少なすぎだぜぇ!菜の花座より少ない。演劇に足を運ぶって習慣が薄れてきちまってんのか?料金が高くて敷居が高いのか?残念で不安じゃあるんだが、その分、菜の花座みたいな地元劇団の果たす役割は大きいって言えるのかもな、って、それ、うぬぼれ過ぎだって!

 

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