台本渡して、稽古に入って3週間、役者たちのせりふ探しも、表土をかき分け心土に爪が引っ掛かるようになってきた。とは言っても、まだまだ手探り指探り、役の体どころか肌触りだってものしてはいない。この芝居、異聞と巷説の二つの「安寿と厨子王」の物語が、交互に現れる構造、当然役者たちは二つの人格を演じ分ける必要がある。厨子王なんかだと、おっとりひ弱な御曹司と、家名再興にしたたかに立ち回る陰謀家という両極端の人物に成り切ることになる。安寿も山椒大夫もその息子の三郎も同様だ。
難しい!苦労している。二つの人格を、衣装やメイクで変えるわけにはいかない。舞台装置ももちろん同じだ。せいぜいが照明の色合いを変化させて、どちらの物語なのかを暗示するくらいだろう。あるいは、スモークを焚くってやり方もありかも知れない。音響も区別立てに利用するって方法もありそうだが、今のところ、具体的な音は響いて来ない。と、なれば、役者が演技で頑張るしかない。いいトレーニングになるなぁ。
役者ともども新たな挑戦を強いられているのが、道具、小道具、衣装の面々だ。それっぽけりゃいいよ、と、言ってみたものの、中世の舞台に慣れぬ役者を、側面から手助けするにはそれ相応のモノたちが必要だ。髪などまとめておきゃいいや、ってわけにも行かなくなって、男たちは烏帽子を被らせることにした。昔はどんな素材で作っていたのか?あの固い形はどうやって作ったらいいのか?
そこは、菜の花座のモノづくり名人二人、装置の鬼Tと、小道具工房F、が互いに手を取り合って、着々と仕上げて行ってくれている。中でも、説経節語りが語り本を持ち運ぶ笈など、見事な出来栄えだ。
やや重たいが、実際に背負って運ぶシーンはないので、この存在感が大切だ。何と言っても、このお芝居の主役は、安寿と厨子王の語り本なのだから。この笈を使った演技なんかも浮かんできそうだ。
岩も、まだ試作の段階で、大きさも彩色もこれからだが、片段ボールを利用してそれらしく仕上げてくれた。さらに苔むしたり、亀裂が入ったりしてくると、庭の一隅の岩組が出来上がってくることだろう。
衣装さんもほとんど手作りが要求されて、ずいぶん悩んでいたようだが、ほぼ、デザインも作り方も固まってきたようだ。あとは、中世に相応しい布地や古着を探す作業が待っている。ただし、そこが一番の難題かもしれないが。
役者もスタッフも苦心惨憺する中で、演出だけは、ただダメ出しを続けるだけ。いいよなぁ、適当に首振ってりゃいいんだから、ってそれ違う。次々差し出される演じ方やモノを瞬時に判断するってけっこうきつい作業なんだ。ダメなものはダメという辛さ。それぞれ自信を持って出してきたものを、却下することの非道さ。でも、それが舞台の質に繋がって行く。心優しき演出、ここは一つ鬼となって立ちはだかろう。