リアルじゃないさ、ドラマだもの、英国ドラマ『アドレッセンス』、思春期って意味かな?
昨日まで韓ドラ見てたんだけど、ブレイディみかこの紹介記事読んで、何気なく『アドレッセンス』の世界に入ってしまったら、これはもう、脱水機に放り込まれて一気に高速回転、ぱっと手を離して放り出されたようなショック!
たったの4話で終わり、てのも挑戦的だが、それ以上にエピソードはたった一つ!って、衝撃的だろ。
第一話、少年が知り合いの少女を殺害したとして逮捕され、父親を「適切な大人」少年犯罪の際の後見役のような制度か?に指名し刑事の取り調べに向かい合う。取り調べまでの諸手続き、日本でこんなに丁寧に段階踏んでくれるか?

第二話は、刑事二人が犯罪の動機と凶器を求めて中学校を訪問し、同級生たちに聞いて回る数時間をカメラが追う。目をそむけたくなるほどの荒んだ子どもたちと学校の様子に心を抉られる。
第三話、犯行を認めない少年に対面する臨床心理士の女性。行き詰る対決。揺れ動く少年の心理、観察者の位置から引きずり降ろされそうになりながら、距離を保とうとする臨床心理士。
そして、最終話、少年は未決のまま。残された家族は、匿名の人々から非難、中傷の攻撃に曝され、ついに父親は常軌を失っし家族はばればれに。そのさ中、少年から罪を認めるとの電話を受けて、深く傷つきつつも、壊れかけた家族の絆を取り戻して行く。
そう、たったこれだけ。
カメラは、手持ちの長回し、第三話など、接見室での二人をひたすら見つめ続ける。カットなしの1時間弱、少年も女性も張り詰めた言葉と感情の応酬に終始する。これって、もはや舞台だ。いや、舞台より厳しい。カメラは離れつ寄りつ、あらゆる方向から二人を捉え、時にぎりぎり近づいて苦痛や怒りや嘲笑やささやかな心の交流を拾い続ける。
他の話しもほぼ、映像の時間は現実に流れる時間と同期している。
これが、リアルの正体だ。
次々に気を引くエピソードで鼻づらを引き回し、短いシーンを重ねて見る者の意識を心地よく幻惑させる韓ドラとはまるで正反対の描き方だ。
テーマも少年の傷つき震える思春期の心。
異性への興味、憧憬、侮蔑、SNS上に飛び交うインセル(不本意な独身者)との揶揄。仲間であっても、友ではない希薄な間柄、学校や大人への不信と反抗、荒む中学校。クラス崩壊、学校崩壊。
何気ないSNSでのコメントが殺人につながってしまう恐ろしさ。子どもたちの行動も心も理解できない大人たちの戸惑い、溝の深さに絶望する親たち。フツウの家庭、どこにでもいる家族に飛び込んでくる殺人という異物。
そんな理解不能を隠さず正面に据えている。
韓ドラのような、お決まりの親子の絆や愛の交感、嫉妬や不和そして仲直り、安心のメニューは一切準備されていない。
無意識に避けて見ぬよう努めている現実、
どこかで感づいてはいるが、認めたくない子どもたちの今、
親たちが、大人たちが目を背けていたい荒涼とした精神世界!
それらやり切れない真実に、正面切って対決を強いるドラマだ。
ゆったりグラス片手の楽しみとは遥か隔たった荒涼とした現実。
ドラマの力、演劇の膂力に圧倒される、そんな経験を久しぶりにした。