若手なんかもばんばん抜擢して笑いのシーンを作ってるんたが、うーん、やはり不発か、湿気って線香花火ってところだな。
若手なんかもばんばん抜擢して笑いのシーンを作ってるんたが、うーん、やはり不発か、湿気って線香花火ってところだな。
ほんと、久しぶり演劇鑑賞だぜ。いや、悩んだねぇ、こちとらの台本書き上がってないのに、他人様の舞台見に行くのかよ?それも山形くんだりまで!
このコロナですっかり出不精になっちまったからな、車で遠出ぇぇぇ?やんだなぁぁぁ!うーん、どうする?ぎりぎり当日朝まで迷って、台本の続き書いたりしてたら、あっ、なんかこの続きも帰ってから取っかかれそう!って一安心、ほんじゃ行こか。台本書きのエネルギーもらえるかもしれないし。
弐十壱鶴堂って劇団名ユニークだよなぁ、菜の花座の100パーありきたり度の対極を行ってる。タイトルの『壱千年物語』てのもそそるよ。プロデュース力、半端ないってポスター見ただけでわかる。
会場入って納得!うおっ、グッズ販売コーナー、わんさかだぜ。なんか売れっ子プロ劇団の雰囲気だな。なんと、台本まで売ってる?羨ましいぃぃぃぃ!俺の本も誰か買ってくれぇぇぇ!いや、本になってないけど。ホールに入れば、流れているのは本日のテーマミュージック!&劇団ソング!いいなぁ、こういうのやりたいって20年思い続けて、願い叶わずへだたり遥か!もぉぉぉ、負けた!って勝負じゃないってえの。
幕が上がる。うっ?この装置は???中央に浮いた鳥居、その前に上下に突っ切る高さ5尺の台、そこに上がる階段が中央左右から。ちょっと、シンプル過ぎやしないか?この仕組みだと演技エリアも限られて、やりにくいだろうなぁ、見てても単調だし。うん、全体通して、やっぱりこの装置は一工夫必要だったな。ただし、ラストシーンじゃ、この鳥居使って素晴らしいシーンで幕閉じたけど。
と、しばし心配したものの、なんの、役者のやり取りが始まれば、いやぁ達者なもんだぜ!さすが、あちこちの劇団から引っこ抜いて来ただけある。それと何より、笑いだ。1ベル後の影アナからして、お上手!ほんわかと客席をほぐしてたから、もう最初のギャグで笑いをゲット、いや、これは大して面白かなかったんだけど、もうすでにお客さん味方につけてるから、強いよ。こののっけから笑いってのが本当に大事なんだぜ。
爆笑を誘ったギャグは、シチュエーションギャグで、一つは妖怪が念願叶って人間になったものの、言葉が思いとは裏腹に発せられてしまうってもの。うん、これは見事だ。いい仕掛けだ。アイディアの勝利。と、役者たちの速射砲並みのテンポもあって、大いに笑った。落ち着いて読み返せば、設定の仕組み違反のセリフもあるし、セリフの言い間違いも?そんな細かいこと、気づかせず、一気に爆笑ハイウェーを突っ走ってた。役者も巧み、演出もさすが、台本はお見事!
も一つ大笑いのシーンは巫女さんが死者を口寄せする場面だ。目的の神隠し少女の霊に向かう前に、何人か試しに死者を呼び戻すのだが、これがまた、太宰治に千利休に淀川長治に淡谷のりこに・・・あと二人、忘れた、ってこれもあまりにナンセンスだし、役者が必至でそっくりさんを演じる様子に拍手さえ出てた。
一発ギャグでは、先生の妖感度を高める時の電子音!ありゃ笑った。若い人のセンスだろうな、ジジイにゃ思い付かんぜ。それと、禰宜さんと少女のミラープレー、意味よくわからんけど、笑った。禰宜さんが微妙に遅れるところが、さらに可笑しさ倍増!
あと、お見事シーンは、盆踊りシーンで客席を上手く巻き込み、一緒に妖怪手拍子隊に仕上げて、応援させちまったところだな。あれは演出の勝利か?大いに楽しんで、おかしく笑って、心晴れ晴れ過ごした1時間40分だった。その昔1度だけ見たキャラメルボックスの公演によく似てるなって感じたね。ああいったファンをたくさんもって、毎回楽しい公演を打ってくれる劇団が山形にも生まれたようで、これは嬉しい限りだな。
ただ、まっ、エンターテインメントだから、うるさく言うことはないんだが、四つほどある骨格のストーリー、➀妖怪の女が人間の男に惚れて人間になる、②その男がクラスメイトに惚れる、③喧嘩ばかりの夫婦の娘が悲しみのあまり神隠しに合う、④巫女が実は超高齢であの世へと旅立つ、のつながり具合線が細いかな、って感じた。ひねくれ者だからか?どのエピソードも上手に回収して決着つけてんだけどね、巧みに情感くすぐられて引き回されたって感じ。
それにしても、ラスト前の盆踊りといいエンディングの歌とダンスといい、もう観客と一体で大盛り上がり!ほんと羨ましい。菜の花座もダンスで終わるけど、全然違う。曲からして激しくダンスミュージックだもの。客席と一緒に楽しもう、なんて殊勝な姿勢はまるでない。ほんわか民謡、楽しくポップスって、これできないんだぜ、菜の花座は、って言うより俺は。カッコいい!から逃れられないんだよ。まっ、これも菜の花座いつまで経っても地域で売れない理由の一つなんだけどな。
って、うけない理由、まだまだあるだろ、うんざりするくらい。そ、そうだねぇぇ。その一つ、台本!よしっ、頑張るぅ!
昼飯は控えめに!2時開演の芝居、居眠り要注意だぜ。つまらない舞台なら、眠くなる、それならそれでいいかとも思うんだが、しっょぱなから寝落ちしたんじゃ、いくらなんでもだらしない。せめて作品の良し悪しがを見極めるまでは、寝ない!作ってる人たちへの最低限の礼儀ってもんだ。
途中休憩を挟んで2時間30分、この前半がどうしようもなく退屈だった。あとどんたげ続くんだ?って、何度か時計見てしまったもの。休憩の時にゃ、どうしてこの芝居が面白くないのか?って必死で考えたな。
一つ、日常のちまちま話、井戸端会議みたいなおばさんたちのやり取りが苦手、って個人的な好みの問題だな。映画やドラマ、毎日見てる身としちゃ、平板かつ単調、まどろっこしくて、付き合うのに苦労する。それと、翻訳ものの取っつき難さかな。話題もそうだし、おしゃべりのくどさとか、押しの強さに、付いて行けない。
職を紹介して欲しいと、成り上がった医者に押し掛けた数十年前の元カノ(戸田恵子)、断られても、冷たく扱われても、ねちっこく居続ける。あのしつこさ、多分、なんかいわく因縁があるんだろうとは想像できたが、あまりに図々しくて、二人ともいい加減にしろよ!って、俺が腹立てたって仕方ないんだが。主人公に共感できない、これじゃ芝居に入り込めない。実は、後で思い返すに、主人公への反発を引き出しておく、ってのも、作者、演出(鵜山仁)の手だったみたいなんたけど。
やっぱりなぁ!訳ありだったんだぜ、二人。後半は医者(長谷川初範)とその妻(サヘル・ローズ)の家に押し入った元カノによって、はぎ取られて行く医者の青春時代、その汚点。この暴かれて行く過程の描き方が実に絶妙で計算し尽くされたものなんだ。高校時代の喧嘩が実は多数での弱者ぼっこぼこだったことが明かされ、そらにその相手は黒人だったこと、さらには、一方的な差別暴力だったって過去の事実が一皮、一皮剥きだされて行く。そして、ついには、衝撃の事実が!って、まぁ想像は出来るものじゃある、って言うか、前半にしっかり伏線が張られているんだけど。過去が暴かれて行く道筋、その都度の3人の反応が、ほんと、上手くできてるよなぁ!かなり、しつこく自己主張するんだが、さっぱりうるさいとかねちっこいとか感じることなく、迫真のやり取りに引き込まれた。
この縺れ絡まった糸をどうほぐして終わるんだ?難しい応用問題与えられた気分で考え考え見ていたら、なんと!これ以上スマートな終わり方はないぜ、ってほど見事に決着させてくれた。巧みに笑いでくるんでね。
いいなぁ、巧いなぁ!これで終わりでいいよなぁ、って思っていたらさらにエピローグ、これがまた一捻り効いていて、グッドピープルは勉強が出来て努力して成功した医者なんかじゃなくて、そんな男を己を殺して送り出した下積み暮らしの女たちやその界隈の人たちなんだって、エピソード披露してお開きなんだもの!やられたっ!劇てのはこういうふうに書かにゃならんのだぜ!
耐える女と不実な男の行き違い、なんて古くからある設定ながら、貧乏や貧困は、当人の責任なんかじゃない、自己責任なんてありえない!って今どきの過大な自助への痛烈な批判も展開されていて納得。そうだな、世界は何処も同じ、これなら翻訳ものでも演じる価値もあるって深く同意できた。
あっ、もちろん、居眠りなんて縁遠い2時間半だったぜ。
昔の話しだ。8年ほど前のことか。
高校演劇の台本として、『壁20xx』という作品を書いた。
舞台には、高い壁がそそり立ち、頑丈な鉄扉がただ一つ、入り口を固く閉ざしている。忍び寄る者たち、突如扉が開き、防護服に身を包んだ兵士たちが現れる。威嚇射撃を繰り返しつつ、一体の遺体を放り出し、慌てて退却する兵士たち。
身ぐるみ剥ごうと近寄る影。放り出されたのは、若い女。辛うじて息がある。たじろぐ影の者たち。リーダーと思しき者の指示で女を助け起こし闇に消える。
こんな出だしで始まる話しだ。致命的な疫病に襲われ、外部からの感染を防ぐため、ロックダウンした街、いや、そこからはじき出された者たちの物語だ。
少しだけ時代を先駆けていたかな。他国からの入国禁止を打ち出す各国の状況、それを究極の形に凝縮した構図だ。埋葬処理できず、戸外に運び出されている遺体の映像なども、見通している感じだ。もっとも、ロックダウンは町から人々を家屋の中に追い込んで逼塞さているし、まだ重傷者を救うべく必死の努力がはらわれているから、そこは芝居とは大きく隔たっている。危惧されている医療崩壊がついに行き詰まり、感染者を隔離、さらには排除、除去にたどり着いてしまった世界だ。
そこでは、当然、それまで一部にとどまっていた差別と排斥の行動があからさまに荒れ狂う。これは、もう始まっている。水商売の従事者を補償の対象から外す(幸いネットで大きく批判を浴び撤回されたが、松本人志なんかは傲然その差別感を発言している)とか、外国人労働者は対象から外すべきだ、など、国会議員の中からさえ、こんな差別発言が飛び出している。さらに感染が広がり、パニックが荒れ狂えば、芝居に描いた高く強固な壁が築かれないと限らない。
作品ではじき出された影の者たちとは何か。それは、反社会的で放埓な活動を繰り返す若者グループと高齢者施設に放置された年寄りたち、そして、ロックダウンに反対した女、感染者の介護に奔走し自らり患した女。ほほう、これまた、来るべき世界を捉え切っているんじゃないか。あまりに暗い予感だが。
廃墟となった高齢者施設。そこに取り残された年寄りたち。つかの間の平和。肩を寄せ合って暮らす無頼の若者たちと年寄りたち。しかし、そこにもじわじわと感染が広がり、つぎつぎに仲間が死絶えていく。壁に向かって、開門を叫ぶ若者たち。静まり返り拒絶する堅固な壁。絶望した若者たちは、ついに、無謀な突撃を敢行する。機関銃の連射。死に絶える若者たち。
完全なディストピア!
これを書いたのは3/11の翌年だ。疫病は放射能もイメージしていた。
期間困難区域の、ほんとちっぽなスポットが除染され、明るく街の復興を喧伝しいる。が、それは、その外側に、今も避難生活を余儀なくされる人たちをはじき出し、無視し続けることの裏返しだ。
人間は、差別意識に弱い。苦しくなれば、他を排斥し、他に責任を押し付けて自分を守ろうとする。歴史はすでに幾つもの実例を持っている。ナチスのユダヤ人迫害、関東大震時の朝鮮人虐殺・・・
ぎりぎりの事態を招かねば、その悪魔は底の底にじっとしている。だが、コロナのよう、福島のように、究極の局面を迎えししまえば、すぐに我がもの顔で立ち現れてくる。その突きつけられた選択の刃をどう払いのけて行くのか、世界が問われ、国が問われ、社会が問われ、そして、一人一人が問われている。