渋谷のワクチン接種、原宿まで並んだってぇぇぇ?信じられんよなぁ、誰でもどうぞ、って言っておいて、200人分しか準備してなかったって!並ばされた人、悲惨!無駄にした時間、どう落とし前付けてくれんだい、って俺だったら凄んじまうな。
この見通しの大甘加減、世論調査で若者の20%がワクチン打ちたくないって出たのを根拠にしたんだってな。これはますます信じられない!だってさぁ、残り80%は打ちたい、あるいは打ってもよい、なんだぜ。東京の若者、どんだけ居ると思ってんだよ。200人分で十分でしょ、って都の政策担当者、算数できねえんじゃねえか?
もう1年半もの間、感覚のずれ、って言うか、鈍感さって言うか、的外れって言うか、政府にしても都政にしても的を外しまくってるから、ああ、またか!って流してしまいたくなるが、こうまで虚仮にされたら、並ばされた人たちも怒り心頭、反撃に出ろよ。
算数能力の問題は置くとして、今回の無様な失敗、その原因にはも一つ盲点があったんだと思うのさ。
それは、”若者”という十把一絡げの認識だ。”若者”⇒元気⇒認識希薄⇒接種に消極的⇒自分から接種しない⇒宣伝が必要(7億円掛けて映像制作)⇒渋谷で一応形作っておきゃいいさ⇒3000人集まった⇒右往左往の都職員
って決めつけの流れだと思う。”若者”ならこうだ!って一括りに考えて、見えている気になる。それが、カッコつきの”若者”が実際の若者とは大きくすれ違ってたってことだ。
いや、20%の中にゃ、大人たちの多くが思い込んでるパターンの若者もいるさ、当然。でも、それだって様々なんだと思うぜ。コロナなんかかからねえよ、ってのもいれば、真剣に副作用心配してる者もいる。アレルギーとかあって無理って人もいるだろうし、自分なりにメリット、デメリット計ってる奴だっているはずだ。中にはコロナなんて風邪と同じってマスク外して騒いでるのもいる。方や接種希望の80%だって、意識や置かれた環境は、こりゃもう千差万別なんじゃないか。
だからさぁ、若者は、って括り方してちゃいけないんだって。十把一絡げにした途端、実際の姿がすっぽり抜け落ちてしまうのさ。
ワクチンに対する姿勢でさえそうだが、政治が面と向かう時、この均一の若者像ってやつは、希望観測的バーチャル映像にしか過ぎない。平均的若者像、なんてものは今やありゃしねえのさ。ビットコインや投資で小銭どころか大金持ちになってる奴らもいれば、バイトの掛け持ちで講義に出られない貧窮学生もいる。いや、大学だっていろいろだし、それ以前に高卒で働いてる連中だってたくさんいる。二十歳やそこらで子ども3人の親とかね。そんな多様な暮らしぶりの若者たちを、”若者”と一つにまとめて認識しようなんて、およそ大それたことなんだぜ。
年寄りだって同じだ。これも格差は大きい。経済的にも文化的にも地域的にも思想的にも政党支持でも様々だ。なのに、日本の現状を「シルバー民主主義」、高齢者は投票率高く保守的だから政治が変わらない、なんてやっかみ半分の切り取り方が、投票率70%超えを目指す運動立ち上げたリベラル寄りの若者たちからさえ出て来たりする。
一緒くたにするんじゃねえょ!
年寄り一般、なんてありゃしないんだ。個々人にまで分解するのは相対主義を究極まで推し進めて、何にも見えなくしちまうが、それ以前の区切りでもっと細かく現実に即して階層を把握しなけりゃダメなんだよ。高齢者は金持ちだぁ?貧乏人たくさんいらぁ!家父長的だ?夫婦別姓の支持者だって少なくくねえぞ。過疎地のジジババと地方都市の年寄り。同じ田舎でも全然だ。都会のマンション暮らしと築50年の公団アパートの住人。いや、家族同居か一人身か、老人ホーム、ホームレス・・・・もう違いはいくらだってある。その環境にしたがって意識だって様々なんだ。
若者、中年、中高年、高齢者、後期高齢者、なんて粗雑な階層分けで見えて来るものなんてあまりないんだよ、現代は。特に、生活格差の視点は重要だぜ。これから社会を、人々を見極めていこうとするなら、収入いくらか?ってとこ、まず見極めてからものごと考えていかなきゃならんと思うんだぜ。