ステージおきたま

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菜の花座、本谷有希子で遭難、します。

2007-10-29 22:56:37 | 演劇

          菜の花座第18回公演、本谷有希子作『遭難、』です。Photo

 ようやっと、ここに書けるよ。もう、上演許可が来なくって、どうなるのかって気が気じゃなかった。もちろん、稽古は始めてるし、チラシもポスターもできあがって、あとはばらまくだけってところで、ストップだものね。メールで一度、手紙を二度出して、ようやく返事が来たと思ったら、担当者がアメリカ出張中でした、って、留守中の手だてくらいしていけよ。まっ、許可もらったので、強くは言えないんだけど。

 この作品、菜の花座が取り上げたりしていいんだろうか?やるべきか?やめるべきか?随分悩んだんだ。だって、最初のセリフが「うんこ、しなよ。」だからね。もちろんその後だってそれ以上に刺激的だ。ええーっ?こんなんで悩むの?って都会の人なら、馬鹿にするだろうね。でも、山形だから、東置賜郡だから、大字だから。きついよ、この内容は。菜の花座を支えてくれている人たちって結構年齢が高いからね。どうなんだろ、こんなのやって、うーん!心配。

 でも、やることに決めた。理由は、今の時代を鋭く捉えてると思ったから。僕が、近頃つくづく感じてることにずばりと切り込んだ作品だったから。

 例えば、いじめ。この言葉聞くと、大方の人は、いじめは悪い、いじめられた人は悲惨だ、いじめる奴はとんでもない悪人だって方向に流れるよね。でもね、高校生と身近に接してると、そうは単純に片付かないってことに気付くんだ。友達同士の仲違いとか、喧嘩とか、そりや、悪態の一つや二つつくわな、とか、気に食わなきゃ口聞かないって当たり前じゃない、なんてことが、いじめとか、しかと、ってことになっちまう例が結構あるんだよ。いや、全部そうなんて言ってないからね。たしかに非道いいじめってものもあると思う。でも、どう考えても、当人の思いこみとしか見えないものがある。

 ただ、問題は、その被害を受けたと思っている人が、心の底からそう信じ込んじまってるってことなんだ。だから、学校来られなくなったり、一人孤立したり、ついには自殺したりもする。と、なると、周囲は、きっと、もの凄いいじめがあったに違いないって断定する。だって、人が死んだんだゾ!ってことだ。まして、親なら、尚更のこと。そこで、徹底的に学校追求が始まる。マスコミもあおり立てて、犯人捜しが燃え上がる。ところが、学校がいくら調べてみても、死に至らしめるような悪質ないじめの事実なんて、見つからない。こんな話しいろんなところから聞こえてこないか?

 いじめる子どもたちがいるのは間違いない。今の子たちには、陰湿な部分があるのも、たしかだ。でも、いじめられてるって感じる側の耐性・感受性に問題ないだろうか?友達=命って思いこんでる子どもたちのなんと多いことか。グループから外れたら、世界が破滅ってまじに信じてるものね。新しい友達作りゃいいじやない、とか、しばらく一人で生きてみたら、ってアドバイスしたいけど、そんな助言したら、いじめに荷担したって言われかねないからね。

 ともかく、人間が、なんか、へなちょこになっちまってるんだ。弱くなって、なんでも、人のせいにして、自分は被害者。そんなぐちゃぐちゃ人間が狭い職員室に頭付き合わせて、ぐじぐじしながら、のっぴきならないところに、突きすすんじまう、ってのが、この遭難、のあらすじだ。

 ね、ちょっと、引いちゃうでしょ。だから、迷ったの!

 でも、やるってきめたからね。だから、見に来てよね。12月16日(日)午後2時スタートだ。もちろん、川西町フレンドリープラザ。このブログ、公演の最初の宣伝だから、例の通り、メグミのポスター原画を載せることにする。今回の作品は、メグミの痛ましい世界にぴったりだ。

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弱りました!ミザリー!!

2007-10-28 00:29:34 | 演劇

 渡部えり子と小日向文世のミザリー川西公演、満席だった。えり子さんの芝居はフレンドリープラザでは、これで3本目、すべて超満員、山形の人たちって律儀だねぇ。今回は、小日向さんの人気もかなりあったようだけど。わかってた、凄い人気なんだろうなってこと。だから、期待半分、やっかみ半分で会場に出かけた。やっかみって何かって?って、そりゃ、テレビ出てる人なら客が集まるってこの文化的後進性についてだよ。

 だから、ちょっと、引いてる気味はあったんだけど、でも、できるだけ素直に、先入観を持たずに、決めつけずに見ようと努力したんだ。でも、・・・・でも、だめだった。

 面白くない!

 芝居の進行を眠け抑えながら、なぜ、面白くないのか、精一杯考えてた。

 まず、こういう異常性癖の持ち主を主人公にしたドラマが好きになれないってこと。たしかに、今の時代はかなり狂っていて、こんなとんでもない女性がいたっておかしくないとは思うんだ。新潟の少女長期監禁事件を初めとして、いろいろあったからね。でも、ああいったのって、僕の中では普遍性ないんだよ。ただただ、嫌悪感があるだけで。だから、見ていても、心の中に刺さってくるものがなかった。それから、ホラーも好きじゃないってことてもある。

 次に、えり子さんの問題。この芝居って、もうちょっとスマートに見せて欲しかった、てのが僕乗り願い。たしかに笑いがあって、恐怖一辺倒から抜け出した演技だったけど、なんか、ぞっとするものが欠けていたって感じた。

 さらに、小日向さん。どうなんだろう?このポールって役、彼で良かったんだろうか?思いがけず監禁され、傷んだ足の激痛にも耐え、作家としての矜持を踏みにじられる屈辱をも堪えて、半ば狂気の中で、新しい小説を仕上げて行く、という人気作家の内面が十分表現できていたかどうか?たしかに、彼が演じたことで、随所に笑いが組み込まれた。でも、それがかえって、緊迫感を損なう結果になったように感じたんだ。

 まあ、お客さんは、大方、満足して帰ったようだった。一緒に見た置農演劇部の生徒たちも、みな感激していたしね。てことは、僕の感受性が鈍っているってことなののか?年取ってひねくれてきてるってことなのか?

 この舞台で一番の見物は、装置(松井るみ)だったかな。これは素晴らしかった。思い切った遠近法の利用で、あの狭いプラザの舞台がぐーんと奥行きを増していた。なんせ、手前の壁は、高さ15尺はあったからね。中央上手よりで壁をせり出させて二つの空間にわけていた。下手側には二階に上がる階段やら、バスルームまで作られていた。そのバスルームがキャスターで下手からせり出すんだもの、お客さん驚きのあまり、笑ってしまったね。装置のばらし手伝いながら見てみたら、床もきっかり開帳場、つまり、奥から客席に向かって緩やかなスロープになっていた。いやあ、凝るもんだ。

 でも、この装置が十分生かされてたか?となると、かなり疑問だ。だって、二階に行ったのなんて、たしか一度だけ、しかも、二階がトイレ?ってこれどういうこと?下手側の玄関ホールらしき空間もあまり利用されず、ほとんど、上手2/3の寝室兼書斎で話しが進行していた。もったいない限りだ。ただ、下手側はたしかに必要な空間ではあったのだけどね。

 まあ、あれだけの装置を見せてもらったから、まあ、納得は納得の舞台だったかな。

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いい気なもんだよ、映画評!

2007-10-21 21:18:42 | 映画

 ミュージカル映画『ヘアスプレー』を見に行こうと思ってたんだ。たまたまその日、毎日新聞を見る機会があって、そこになんと、『ヘアスプレー』の映画評が載っていた。曰く、差別反対とかってまっとうなことを正面切って言われるとうんざりする、とかって内容だった。

 う~ん、劇場に出かけようって直前にこの評、正直、気持ちがちょっぴり揺れた。そりゃ、天下の毎日だもの。気にするよ。とは言うものの、そんなことで、別の映画に変更、なんて、僕の場合あり得ないね。なんせ、人の意見と正反対を行く人だから。

 で、見た。

 面白かった!最初から最後まで、風邪引きのガンガンする頭でも、飽きたりなんてしなかった。まず、歌がいいねえ!60年代のアメリカンポップスとR&Bそして、ゴスペル!どれもこれもノリノリで、足ではリズム、身体はスィング、って状態で最後まで楽しんだ。歌詞も悪くない。最初の『グッモーニング ボルティモア』、夢に向かってスキップする楽天チビデブ少女のうきうきする気持ちが伝わってきて一発で引き込まれた。『鐘のなるのが聞こえる』もいい。恋に目覚めた少女の心のときめきだ。黒人達が、あ、今はこう言わない、アフリカンアメリカンの人たちが地方テレビ局の差別的な番組編成に抗議して、街頭をデモしながら歌う『道が見える』(だったかな?)なんて、もう、涙滂沱、雨霰!のぐしょぐしょ状態だった。

 ダンスももちろん、文句なし。特に、その頃、画然と分離されていた白人の音楽・ダンスとアフリカンアメリカンの音楽・ダンスの違いがよくわかって楽しかった。60年代の若者スタイル(白人)って僕たち世代の憧れの的だったからね。それと、今じゃ、ポップミュージックの中心になりつつあるヒップポップとかラップ文化の出発点も教えてもらって、ごちそうさま!ってとこかな。

 で、言いたいことは、毎日新聞の映画評書いた人って何見てたの?ってことなんだ。ミュージカル見て、歌とダンスを評価しなくていったい何評価するって言うんだい?そりゃ、たしかに、ストーリーはご都合主義だし、つじつま合わないところだって随分ある。重いテーマの割に扱い方はいかにも軽薄だしね。もし、歌がなくて、デモのシーン見せられたら、僕だって、そりゃ無いぜ!ってそっぽ向いたかも知れない。最後のハッピーエンドなんて、ウソー!の一言だろうね。だって、それまで、強烈な差別主義に覆われていたボルチモアの人たちが、テレビの公開番組見ていっぺんに白黒ミックス大賛成に変わっちまうんだもの、そんなのあり?だね。

 でもね、ミュージカルではそれって、あり!なの。シリアスドラマじゃないんだから。芸術映画じゃないんだから。いいんです、これで!たいして見てもいないから、大きなこと言えないけど、僕の見た限り、こういった誇張やご都合主義って、結構、ミュージカルに付きものなんじゃなの?最近映画になったミュージカルで言えば、『シカゴ』も『オペラ座の怪人』もそうだもの。

 だからね、映画にしろ、演劇にしろ、どういう座標軸で批評するかってことなんだよ。ミュージカルで、歌やダンスを抜きにして、ストーリーだけで評書くって、絶対、おかしい!!いや、僕みたいな素人が、ブログで好き勝手書いてる分には、構わないんだよ。ずれてようと、間違ってようと、好き嫌いだけだろうと。でも、新聞や雑誌の批評家は、これじゃまずいだろ。ブログの戯言や友人同士のおしゃべりじゃないんだから。僕は、今回の低評価でも、気にせず見に行ったけど、多分、その評のせいで、別の映画に行った人だっていると思うよ。なっ、だから、金もらってもの書く人、みんなが参考にする批評書く人、、しっかりしてよ。批評家って言う以上、批評の価値軸をしっかり固めていだきたい、その一言であります、言いたいことは。

 それにして、映画の中でめったやたらと吹きつけ合うヘアスプレー、臭いはしなかったけど、化学合成物質に弱い僕としては、見ているたげて、むせかえってしまった。そのせいかな、風邪、ひどくなったの?

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朗読は、やっぱり、勘弁だ!

2007-10-19 22:47:17 | アート・文化

 フレンドリープラザの催しをくさすのは、とってもつらいけど、やっぱり、言ってしまおう。阿刀田高、阿刀田慶子、中村敦夫、講演会と朗読の夕べ、正直、辛かった。

 まっ、前から朗読ってのが、あんまり好きでないってこともあるんだろうけど、えっ!どうして?何故そう読むの?ちょっと、雰囲気違うんだけど!って心の中で突っ込み入れながらの2時間半だった。

 阿刀田慶子さん、中村敦夫さん、下手だ、なんて言いませんよ、滅相もない。それはそれでいい雰囲気作ってたと思う。でもね、読んだ作品が、藤沢周平と山本周五郎でしょ、僕にはお馴染みの世界なんだよね。て、ことは、僕なりの読み方があるってことなんだ。いや、僕がお二人以上に上手く読めるなんて、毛頭思ってない。でも、、頭の中でなら、僕は僕なりに響くものがあるんだ。

 特に、セリフの場面は、辛い。阿刀田慶子さんがいかに熱演しても、聞く側が目つぶって、声にだけ没頭しようとしても、やっぱり、お歳は隠しようがない。24歳の女には聞こえないんだ。

 それと、僕も演出してる身だから、本を読めば、間の取り方とか、読み方のニュアンスとか、セリフの言い回しとか、浮かんでくる。で、それはやっぱり、自分の心に浮かび上がった作品世界の方が心地よいんだ。だから、実際に耳に届く朗読の声には、違和感があるってことなんだ。

 朗読ってものが、僕の心を打つとしたら、それは、知らない世界の話しか、よっぽど素晴らしい声の持ち主か、たぐいまれな語り手か、いずれかなんだろうと思う。う~ん!やっぱり朗読って奴は、勘弁願おうか。

 あっ、でも、一緒に連れてった置農演劇部の生徒たちは、結構感激してたから、この公演はそれはそれ、意味のある試みだったんだって思う。もっとも、高校生が、山本周五郎の郭話しをどれだけ理解したかは疑問だけど。

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50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄⑬:人には向き不向きがございます!

2007-10-14 21:56:17 | インポート

 菜の花座の旗揚げ公演は、高泉淳子の『僕の時間の深呼吸』に決まった。どことなくノスタルジックでナンセンスなエチュードを次々つなげた不思議な作品だ。今思えば、よくもまあ、って感じがしないでもない。気負いだね。

 僕の役割は、役者と舞台監督。おいおい!しかも4役だぜ。ほんと、知らないってことは恐ろしい!役者としての僕は、上手かないけど、楽しめた舞台だった。何故か野球のアンパイアー風の国語の先生から、羽織・袴の書道の先生にわずか15秒ほどで早変わりしたり、チャップリンを真似た格好で、高さ一間のゲートの上に上ったりと、随分とおいしい役所をもらったからね。

 舞台監督の方は、これはもう、演出にごめんなさい!としか言えない。本来なら、演出の意図を汲んで、それを具体化していくのが舞台監督の仕事なのに、ともかく、勝手だったもの、僕っていう舞台監督は!演出の意図なんてお構いなく、これでいいさ、とか、演出の要望に、そんなん無理とか、ほんと、滅茶苦茶な舞台監督だった。中でも、演出が、舞台の進行に合わせて時計の針を動かしたいって強く主張したのに、まったく、無視しちまったからね。もう、なんて舞台監督なんだ、俺って奴は!

 理由は、一言、舞台監督ってものがまるでわかっていなかった!どことなく、演出助手的なものと勘違いしてたんだ。だから、舞台スタッフのT氏からのきつーいおしかりは、本当は僕が受けるはずなのに、演出に向けられてしまった。もう、至らぬこと極まれり!だった。今、思い出しても身が縮む。

 それと、もっと大きな理由は、向いてないってことなんだな。舞台監督って仕事が僕にはまったく向いていない。だって、まるで大雑把だものね。アバウトそのものだものね。細かく段取ったり、連絡や準備を律儀にしたり、全体をきめ細かに掌握したりって、もう、ほんと苦手中の苦手だから。それと我が儘だもの。自分勝手だもの。やりたいようにやってしまうものね、僕って奴は。役者としても才能ないし、まっ、演出あたりがお似合いなのかなって、その公演でつくづく思った。

 この公演で、良かったんじゃない!って思えるのが、舞台装置だ。いやあ、これまた、知らないってことは恐ろしい、の産物だったけど、知らぬが仏!これが上手く作用した。普通舞台装置って言ったら、パネルだよね。6尺×9尺とかのパネルを角材と薄いベニヤ板(うすべに)で作るってのが常道なんだけど、なんせ、そん時は、そんなこと全然知らないからね。幅10センチ厚さ1.5センチの板材を組み立ててすけすけの構造物を舞台全面に作った。しかも、色はオレンジ色!だから!板組み合わせただけの、言ってみれば、平面的なジャングルジムのような装置、これが思いがけず、この芝居のまか不思議な感じにぴったりと重なっちまったんだ。この装置と、この舞台は随分多くの人に惜しまれた。今日だけでおしまいなの?もったいないねって。ほんと、ありがたかった!ほんと、うれしかった!おっと、ただし、この装置の構想は演出のSさんのアイディアだったんだけどね。

 で、この舞台で、それから先の僕の役割は、ほぼ固まった。我が儘いっぱい、勝手気ままにやれる仕事。つまり、演出と装置ってことだ。人に人の向き不向きってものがある、ってことがよーくわかった旗揚げ公演だった。

 

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