ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

手業を学ぶ演劇部

2008-08-31 20:56:27 | 演劇

 演劇部の効用って言ったら、表現力!って答えが、まあ、一般的だよね。それはもちろん、言うまでもない。置農演劇部だって、こいつは最重点項目だ。だから、全員キャスト!を頑なに守っている。3年間一度も舞台を踏んだことがないって部員は絶対に作るまいと決意している。今のところ、この掟はしっかりと守られている。

 でも、そればっかじゃないよ、演劇ってのは!手業だよ、手業!

 衣装作りのミシンかけ、装置作りの大工仕事、装置仕上げの塗装作業、さらに、小道具作りのちまちまとした手作業。舞台一つ仕上げるには、うんざりするくらいの手業が待っているんだ。これをね、そんなの古くさいとか、すべて演技で表現なんて、知ったふうな口きくと、すかすかのお寒い舞台ができあがるんだ。て、言うか、すかすかですきま風があちこち吹き抜けても気が付かない奴がそんな舞台を作るんだ。高校生の表現は、肉体だけで、間口6間~8間の舞台を仕切れるほど強靱じゃないんだよ。

 まっ、そういう理由もさることながら、お針子さんや大工さんの手仕事は、これは絶対に高校生に経験させておきたいものなんだ。今じゃ、パソコンの授業はがっぱり増えたけど、裁縫や工作なんて授業は、どんどん片隅に追いやられているからね。だから、金槌一つ握れない、釘一本打てない、ミシンの直線縫いもできない、そんなの当たり前って、これでほんとにいいんだろうかって、思うわけだ。

 置農演劇部では、前回も書いたけど、敢えて、たくさんのパネルを作る。執拗に手作り衣装にこだわる。それは、部員たちにそういった手業をしっかりと習得してほしいと思うからなんだ。勉強やパソコンができるのもいい、自己表現も大切だ。でも、家のちょっとした修理とか、洋服の繕いなんてものが、ちょちょいのちょいでできるってのも悪くないじゃないだろうか。いやいや、これこそ、生きる力そのものなんじゃないのかな。

 そんなものプロに任せりゃいい、買い換えればいい、って発想で今の不況時代に逢着しちまったわけだろう?だとすりゃ、これからは、金をかけず、手間をかけるって時代になるのは必定!なんだ。と、まあ、時代認識まで持ち出すことも無いんで、釘打ったり、鋸で木を切ったり、ミシンで自由に洋服作ったり、って楽しいじゃないか。そんなことでも、できれば自信につながるしね。それと、そういう作業をとことんやってると、働き方も違ってくるんだ。

 昨日今日だって、朝の9時から夕方の6時まで、作業、作業のぶっ通しだったけど、誰一人として音を上げた奴はいなかったもの。今日なんか、炎天下の大工仕事だぜ!さすがに、お前ら、偉い!って感動してアイス奮発しちまったくらいだ。

 だからね、演劇ってものは、こんな風にいろんな仕事がそっちこっちにごろごろと転がっているものなんだってことね。それは一つ一つ大切で、欠かせない仕事で、しかも、やってみりゃ、結構、楽しいもので、しかも、貴重な教育的価値のある作業なんだってことなんだ、言いたいことは。

 演劇やってる高校生!ぜひぜひ、装置にこだわろうね!衣装に凝ろうね!芝居つまんなくっても、装置すげー!衣装まじ、やべー、ってこれだけでも嬉しいじゃないの。そいうこだわりをしっかりと見極める目を持とうぜ!で、こういう苦心の積み重ねが、正当に評価されるような高校演劇にしてこうじゃないの。って言っても、僕は今年限りだけどね。

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被服室、占拠!

2008-08-29 21:58:33 | 演劇

 またまたやってきましたよ、被服室占拠の毎日が!そうなんだよ、新しい芝居の衣装製作に入ったんだ。

 今回も、また、また、また、盛りだくさんの手作り衣装だ。時代が1946年ってことなので、ちょっと古くさくてくたびれた洋服だから、こちらはお得意の古着屋で仕入れた。いつもは、オーディンがお馴染みなんだけど、今回はたまたま寄ったハードオフが、これまでの売り方をがらりと変えていて、安価品がずらーりと並んでいた。やったー!

 例えば、ワンピース215円、即、買い!例えば、アーミー風ジーンズ315円、即、買い!カラーシャツ500円の半額!即、これは買わなかった。って具合で安い、安い!結局、何着買ったんだ?えーっと、10着買って、しめて、4850円!いやー、たまらないね!演劇部の見方だね。いつか、置賜演劇連盟で表彰しなくちゃいけないよ。って、ことで、あと、数着見つければ、普通の登場人物の衣装はそろう。

 だが、しかし!普通で終わらないのが、置農演劇部なんだ。芝居の登場人物の他に、ダンスチームなんてものを作ってしまった。どんなダンス踊るのか?って、曲目は明かせない!断じてね!って、言ってみて気づいた。もう前のブログで言ってしまってたんだ。そう、スゥイングジャズなんだ。だから、その衣装は1940-50年代アメリカの娘たちのものってことなんだ。つまり、フレアースカート!知ってる?くるっと回ると裾が花びらのように広がる、あれだよ。これはねえ、作るしかないんだよ。今時、古着屋にだってないからね。それと、もんぺ。これも作ることにした。だって、市販品めちゃめちゃ高いんだもの。古着の着物、3着2000円也、をほぐして作る。

 と、いうことで、一昨日から置農の被服室は演劇部の占拠状態に突入したってわけなんだ。これから、多分10日間は、被服室には演劇部の面々がずらーっとミシンを並べて仕事中ってことになるだろう。

 こんな風に手作り衣装に手間暇掛けたって、ほとんどの人は気づかないし、審査結果にもまったく影響しないんだけど、でも、僕としては、こだわりたいんだ。装置も同じことだけど、高校演劇は、そういう演技以外のものに対する評価が低すぎる。すかすかの舞台ですきま風だらけの芝居やっていても、周囲には目をつぶって、役者だけに目を注いでくれる暖か~い、おおらかさをもっているからね。でも、こんな高校演劇にしか通用しない馴れ合いは早くやめた方がいいんだ。だって、演劇は総合芸術なんだから!

 金がないから、立て込みに時間かけられないから、人手がないから、って、こんなの理由にならない。要するに作るだけのアイディアと技術と、そして、意欲がないだけのことだろう。もっともっと、装置や衣装や道具の工夫を評価すべきなんだ。細かいところまで気配りが行き届いた芝居を大切にするって習慣ができなくちゃいけないんだ。と、息巻いても、だめなんだね。衣装なんて、装置なんて、二の次三の次なんだから。

 でも、でも、でも、負けないよ!置農は。今回は、フレアースカートで勝負だ。もんぺで勝負だ。装置だって、パネル14枚、吊りもの2点と徹底的に豪華だからね。もちろん、演技の方も、絶対負けない。って闘争宣言で盛り上がって、今日は終わり。

 

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涙の本読み

2008-08-27 21:47:37 | 演劇

 台本が完成して一週間、まだ本読みが終了していない。そりゃそうだ、たった1ページに2時間、わずか1行のせりふに30分、かかるなんてことだってあるんだから。ともかく、徹底的にダメを出す。1年生などは初めてのキャストだから、発声からとことん直しを入れる。毎日のように呼吸法や発声練習を積み重ねていても、いざ、それをせりふに生かすとなるとまるで別物だ。息は吸っても、声にならない。口を開けても、ろれつが回らない。そのたんび、何度でもやり直しだ。

 上級生にしたって、声は出ていても、まるで生きたせりふになってこない。せりふの一つ一つ、そのせりふに込められた気持ちや背景を説明し、至らぬ点を懇切丁寧に教える。でも、でも、でも、一本調子なんだよ!何度やっても同じ。どうしてなの?ってこちらが聞きたくなるくらいワンパターンから抜けられない。声の調子も声の高さも声のトーンも抑揚も強弱もとことん同じ!こういうやり方だってあるだろう、間を生かすとか、せりふを引っ張るとか、せりふの出だしの高さを変えるとか、もう、滅茶苦茶具体的にアドバイスしても、変化なし!!とうとうしびれ切らして、こうすんだよ!ってやってみせるんだけど、それを真似できない!って言うか、自分がやったのとどう違うか聞き分けられないんだから、困ったもんだ!

 こんな有様だから、とにかく本読みは時間がかかる。もう、どかっと腰据えて粘るしかない。今回は特に、時代が60年も前の話だから、時代背景やら当時の人間の生き様やら、すべてが異次元、別世界。だから、稽古の合間にしょっちゅう歴史の授業が入り込むことになる。学徒動員やら特攻の話、戦後闇市とかパンパンと呼ばれた女性たちのこと。進駐軍の戦後経営、つまり財閥解体、農地解放、憲法制定、さらには、朝鮮戦争からベトナム戦争、イラク戦争に至る世界の民主主義守護神アメリカのこととか、公民権運動のこととか。昨日などはディクシー・チックスがブッシュ大統領を批判して、音楽界から完全に乾された話までした。もちろん、アメリカ移民が戦争中、強制収容された話など聞かせないわけにいかない。なんたって、その移民2世が主人公の一人だから。こんな調子だから、やたらめたらと時間がかかる。

 でも、これが大切なんだと思う。繰り返し繰り返ししつこくやり直しを迫ることで、部員たちもぎりぎりのところで七転八倒しつつ、目指す表現にたどり着く。ようやっと、せりふが生きた言葉となって行き交うようになる。そして、ついにはワンパターンの壁を突き破る。ここまで来れば、後は楽だ。動きだって自然と付いてくる。

 昨日の本読みでは、ついに涙が流れた。せりふの意味をしっかりと伝えきった言い回しに多くの部員が涙した。もちろん、僕も涙をこらえた。・・・・先生、これいい台本なんだ!・・・

 当たり前だよ、そう言ってるだろうが、最初から。僕は涙しながらこのせりふ書いたんだから。ようやくわかってくりれた。ここまで来れば、あと一息だ。そのせりふの力で、観客席を涙で溢れさせてくれよな。

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台本、早くも第2校!

2008-08-24 20:22:18 | 演劇

 置農演劇部地区大会向け台本『Let's Dance 1946』、完成した翌日、早くもセカンドバージョンを作った。だってね、最初の本読みが、あまりに悲惨だったから!ええーっ!こんなにつまらない本だった?って激しく不安を感じて、早速読み直し、気になったところをすべて書き改めたからなんだ。台本は何度でもチェックして、よりよいものに直していく、それが作品の完成度を高める、これが今回『どんがら山奇譚』の全国大会出場で学んだことの一つだからだ。

 これまでの僕は、仕上げてしまうと、それっきりあまり直しを入れない方だった。忙しくてその暇が無かったってことも理由の一つだが、後を振り返らないっていう、潔いって言うか、面倒くさがりって言うか、要するにいい加減な性格が、まっ、こんなもんでいいんじゃない、ってほったらかしにしてきたってわけだ。

 でも、やっぱり、読みを重ね、稽古を続けて行くと、このせりふこなれが悪いよな、とか、このシーンが成り立つには前に布石が必要だ、とか、この部分余分!とか、いろいろ出てくるんだよ。もちろん、長さの問題もある。高校演劇は1時間以内って時間制限があるからね、どうしたって、刈り込んで行かなくちゃならない。最近は、台本の初稿は1時間20分分くらい書き込んであるから、四分の一は削除しなくちゃならないわけだ。

 こういったことを以前は、適当に場当たり的にやってきた。生徒と稽古しながら、あっ、じゃあここカットな、あっ、このせりふこう変えて、てな具合だ。だから、県大会本番近くなると、台本は書き込みがぎっちりとなって、なにがなんだか、わかんない状態になっていた。それでも、生徒たち文句も言わずけなげにやってくれていた。

 でもなあ、これじゃ、いいものできないよ。その場しのぎはこの際止めて、一回一回手直しをしていこうって思ったのも、東北が目の前に現れ、全国が現実になったからだった。

 その教訓をしっかりと生かして、今回は、早くも第一回の書き直しをした、って言うことなんだ。やってみて、やっぱり数段よくなった。すっきりとしたし、せりふもこなれが良くなった。もちろんパソコンの打ち間違いも訂正した。

 まず地区大会はこれで行こうって思っているけど、果たしてどうだろうね。まだ1ヶ月もあるから、あるいは、気になってならない部分が出てくるかもしれない。もっと格好いいせりふとか、適切なエピソードなんかも見つかるかもしれない。その時は、即座に第3校、第4校と改訂を重ねていこう。そんなことで、東北が近づくなら、実に簡単なことじゃないか。

 ただ、気になるのは、紙の無駄使いってことだよね。そうだ、これも実は改訂版を作らなかった理由の一つだったんだ、嘘じゃないから。って、信じてくれる?

 

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エンディングは流星群!

2008-08-22 22:07:36 | 演劇

 書けました、大会用台本!全国大会終わってまだ2週間足らず、我ながら頑張ったね。以前から構想は少しずつ積み上げてはいたんだけど、この10日間は、ただひたすら台本書きだった。お盆?関係ないね。農作業?すべてほっぽらかし!遮二無二、がむしゃらに、書き上げた。

 タイトルは『Let's Dance 1946』そのものずばり、1946年終戦の翌年、戦争に振り回されて心に深い傷を負った若者たちが、日系二世親子が教えるダンスを通して癒されていくというストーリー。相変わらず高校生ぽくない。特攻くずれとかパンパンなんかも出てくる刺激的な作品になったもの。

 なんでこんなもの書くのか?一つには、たかだか60年前に、平成の今からは空想すらできないような厳しい現実を生きた人たちがいたってことと、スイングガールズで一躍評判になったスイングジャズってものが、なんと7,80年も前に出来たものだったってことを、今時の若者たちに知らせておきたいって思ったからだ。たかだかじいちゃんばあちゃんの青春時代だからね。って言うと、ずいぶん説教ぽいんだけど、平たく言えば、SingSingSingを舞台で踊らせたかったってこと。

 結果的に短時間で書き上げられたけど、手強い壁はいくつかあった。その一つがエンディングの工夫だ。最後は、主人公2人が静かにダンスを踊るシーンでしめるってことは決めていた。ところが、その直前の場面はごっそと登場人物が舞台に溢れているシーンなんだ。はて、このじゃまな連中をどうやったら、外に出して二人だけの甘いエンディングに持って行けるか?悩んだねえ。二日二晩考え抜いた。飲み会の席でまで、ああだこうだと悩み抜いた。

 で、突如!やってきましたよ、芝居の神様のご降臨だ。飲み会から帰る代行車の中でのことだったね。

 ひらめきはこうだ。ガールフレンドと二人きりになりたい息子の気持ちを察した母親が、夜空に彗星か流星が流れる時間だと言い張ってみんなを戸外に連れ出すって寸法。で、早速、インターネットで調べてみた。1946年の秋に接近した彗星とか流星がないものか?

 ありましたよ、ありました。『ジャコビニ流星群』。これがなんと1946年10月10日に大接近してたんだ。よっしゃ!これで書けた。母親のせりふ「おや、流星の降る時刻じゃないかい?みんな見にいかなくちゃ」でどやどやと邪魔者を追い出して、最後息子に「Have a good time!」ってウィンクするんだ。そして、二人きりになった恋人(まではいかないけど)は抱き合ってダンスを踊る。その頭上に無数の流星群がふりそそぐ、くー!いいじゃないか。

 ただし、この話にはウソがある。。『ジャコビニ流星群』、実はアメリカ、ヨーロッパにしか接近してなかったんだ。でもまあ、そのくらいの脚色は許容範囲だよね。おっと、ついでにもう一つ。劇中で『東京ブギウギ』を歌うことにしたんだけど、これ本当は1947年の作品。ええい、これも許容範囲だあ!ってことで、ちょっと荒技もあるけれど、全体としてはなかなか良い作品に仕上がった。これでなんとか、県大会でも勝負できるかな?さあ、問題は、これを後1ヶ月で仕上げなくちゃならないってこと。でも、今の演劇部の実力なら、何とかなるだろう。何とかしねば。何とかするんだ!と言うことで、またまたノンストップ大会行きの出発だ。

  

 

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