オープニングをダンスで、好きなんだなぁこのパターン。幕が上がる、お客さんの目に飛び込んでくるのは、歌い踊る役者たち。びっくりするよね、芝居見に来たのに、、ダンスって。なにこれ?って思っても、開始そうそうだから、気分害するって人は、まずいない。ほとんどの人は、あれれっ?不思議な始まり方だ、ってぐいっと食いついて来る。そこが狙いだ。ともかく、オープニングは一気に観客の興味を惹きつけなくちゃいけない。蜷川さんの教えは正しい。
ダンスで幕を開けるってのは、菜の花シニアプラザ団の舞台ではもう恒例になっていて、常連さんなんかは、どんなダンス見せてくれるか、心待ちにしている。『Goodnight Baby』の時など、手拍子もちろん、掛け声までかかる大受けだったから、その華やかさが、こっちも向こうも忘れられない。シニア演劇学校の本公演では、カーテンコールは必ずダンス!これもお定まり、上手くないのはもちろんだが、心暖かく声援してくれる。ダンスには、お芝居で身構えた気持ちを解きほくしてくれる力がある。
菜の花座の公演となると、そんな好意的な応援を期待するわけにはいかないので、ダンスはご法度の舞台作りが続いてきた。コミカル作品でたまにはやったけど。若手の娘たちは大いに不満で、シニアの舞台を見ては、ダンス、ミュージカルと騒いでいるが。菜の花座でやるなら歌も踊りも水準を超えたものでなくちゃいけないわけで、おいそれと彼女らの願いを聞き届けてやるわけにはいかない。
なのに、今回は、幕開けにダンスを組み込んでしまった。歌は「満州娘」、李香蘭の歌に合わせて歌い踊る。満州開拓女子義勇隊の娘たちが、兵士たちの慰問で披露する出し物、その練習をしているという設定で、踊る。振付担当は、実際義勇隊員として舞台で踊る若手と、こちらは娼婦役で踊りとは縁がないが、幼稚園の園長さんに手慣れたところでお願いした。あっ、幼稚園の先生が娼婦って凄いね、これが芝居の醍醐味ってものだ。ダンスとともに、途中出てくる日本体操、やまとばたらきと読む、という義勇隊の特殊な体操の動きも考えるように指示した。なんせ、昔の話、しかもどちらかと言えば、負の遺産満州開拓ってこともあって、日本体操の中身は、指導書のかろうじて1ページ分の画像がネットで認められるだけ、歴史の偽造になってしまうけど、新たに作り出すしかいない。
明るい話しでも、コミカルな舞台でもない、しかも時代は戦中、所は満州僻地、なのにどうしてダンスなのか?外、あるいは未来から振り返ってみて、乏しい食料、身近な死、悲惨な生活、誰もが戦争に向けて肩肘張ってた時代と見えても、実際、何気ない穏やかな日常は健在で、笑いもあれば楽しみもある、そんな実相を描きたかったってことが一つだ。実際、今の時代から見れば、そんな馬鹿な!と信じられないことだって実際に起こっていた。例えば、終戦の1年前、本土は空襲に恐れおののく中、満州に行けば空襲もない、食料も潤沢だと満州行きを決意した人たちが数多くいたって事実だ。これは、宮尾登美子の自伝的小説「朱夏」に何度も書かれている。戦争と言えば、暗い、忌々しい、そんな思い込みをひっくり返してみたかった。逆に言えば、日々の何気ない暮らしの中で、戦争は着々と進んでいくってことを心に留めることにもつながる。
もう一つの理由は、素直にストーリーを紡いでいく、そんな常識的な作り方をしたくなかったってことだ。ダンスがあり、日本体操があり、日本からの船出があり、合同結婚式があり、そういった彼女らを彩る日々の一コマをぶつぶつと切り取り、ナレーションを接着剤としてつぎはぎして全体として満州に嫁いだ女たちの有様を浮かび上がらせたいと思った。心地よくお話しに身を寄せさせてなるものか、っていう気負いだ。いつだって、何かしら挑戦していく、それが僕なりの矜持ってもんだ。ただ、成功するかどうかは、やってみなくちゃわからない。演出の出来に左右される部分も多いから、これからが勝負と言える。
さて、仕上がった振付、メンバー全員の前で披露してもらった。二人が頭を振り絞っただけあって楽しくあの時代を彷彿させるダンスに仕上がっていた。きっと、関東軍の守備隊兵士たちを前にして、こんな踊りが披露され、兵士たちも涙し、喝采し、残してきた家族や恋人を思いやったことだろう。役者の一人一人の表情や仕草が付け加われば、もっと楽しく時代を映すシーンになることだろう。
日本体操の方は、これは、ブーイング!却下!完全に勘違いしてる。みたましずめ!とか、をろがめ!とか、天晴れおけ!とか、あな面白!なんて今の常識じゃ想像もつかない掛け声に体操の動きがつくんだ。これはかなりの難物だ。担当者は、これを1動作と勘違いしてしまっていた。1掛け声に4拍×2回の体操が付く、はずだ、多分。ということで、こちらは差し戻し。次回再度のトライアルってことになった。
と、こう、着々とは言えないが、一歩、また一歩と進みつつある。が、中国語の発音指導はまだだし、なにより、配役がまだ埋まっていない!!!!考えだすと鬱になる。が、そこで立ち上がる。いつだってそうやって超えてきた。一つ一つ、一歩一歩だよ。舞台の神様はきっとお見捨てにならないから。