ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

型を破る難しさ

2008-10-29 23:44:16 | 演劇

 今日は久しぶりに、でもないか、大声を張り上げて怒鳴り散らしてしまった。小学校の公演前のリハーサルだって言うのに、ほんと、大人げない。何が気に入らなかった?それは、いくら言っても自分の演技の型から抜けようとしない?あるいは抜けられない?部員が何人もいたからなんだ。

 笑顔で歌え、と言っても、どうしてもできない!他のシーンでは楽に自然に笑顔が浮かぶのに、その歌になるとぱたっとすまし顔になっている。何度言ってもダメで、とうとうかんしゃく玉を破裂させてしまったってわけだ。

 決して悪気があるわけじゃない。逆らうつもりなんて毛頭無いってことはよーくわかっている。あるいは、当人は必死で僕の指示に従っているつもりなのかもしれない。だけど、さっぱり変わらない!いったいどういうことなんだ?

 今日の経験で思い浮かぶのは、自分の型を変えることの難しさってことなんだ。人間だれしも自分なりの身ごなし、表情、行動様式のパターンを持っている。辛いときに刻まれる皺、何気なく漏れるため息、そのときの背中の丸め方、人は誰しもその人独特の身体表現を持っている。それが、言うならば、その人固有の人となりってものにもつがっている。

 それが役者でなければ、なるほどあの人はああいう風に反応するんだ、ですむことだ。しかし、ひとたび舞台に上がる身となれば、そうはいかない。何気ない自分のくせ、あるいは無意識の型を破らねばならぬ場合がいっぱいある。歩き方、姿勢、視線の流し方、口調のくせ、立ち姿、すべてについて、役に相応しいものに作り替えていく必要がある。だって、演じるのは役者そのものじゃあないわけだから。役柄こそが表現の目的のわけだから。

 ところが、これが意外と難しい!特に、演技入門の人たちには至極難題なんだ。自分ってものが客観視できないからね。自分がどうしゃべっているのかつかめない。自分がどんな格好しているのかわからない。もちろん、表情なんかとてもとても!しかも、無意識のうちに自分の中に、こうなりたいとか、これがいいんだとか言った理想モデルを埋め込んでしまっている人ってやっかいなんだよ。この下意識ってやっはそうとう頑固だから。

 そのこわばり方に辟易して、今日は怒鳴り散らしてしまったってわけなんだ。自分が無意識に作り上げている演技の型、これをどう意識化し、それをどう手なづけるか、これって本当に難しいことなんだと思う。演劇初心者には、これがきっと最初の大きな壁なんじゃないだろうか?このことに気づかないと、何回ダメだししても、性懲りもなく同じ演技を繰り返す恐怖のワンパターン役者になってしまうってことなんだ。

 さらに、高校生の場合は、自分が頼っていけるようなオルタナティブがない。おっと、難しい言葉、きざったらしく使っちまった。代替え品ってことね。これの持ち合わせがない。だから、もう、延々とワンパターンが続いていくことになる。

 これをどう破るか?これって本当に難しいことだ!言ってみれば意識されない癖のようなものだからね。僕の演技指導の大部分はこの難敵との戦いに明け暮れているって言っても言い過ぎじゃないだろうな。だからって、もういい、好きなようにやれ!って言うわけにはいかない。何度も何度も、指摘し、言い直し、ダメを出し、他の表現を伝授し、表見方法を提示し代替え品を少しずつ少しずつ仕込んでいくしかない。

 わかっちゃいる!わかっちゃいるけどね、ついついいらだちが罵倒となって吐き散らかされしまうってことなんだ。今日、とばっちりを受けた君、勘弁しろ!でも、やっぱり、そのワンパターンからは抜け出してほしいんだよ、お願いだ!

 

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再会!『法王庁の避妊法』

2008-10-26 22:09:14 | 演劇

 自分たちが上演した作品を、他の劇団の公演で見るってなかかな微妙なものだ。うろ覚えながら、菜の花座でやったことも覚えているし、台本かなり読み込んでいるからね。ついつい比較してしまう。しかも、のど元過ぎればのたとえ通り、過去はとかく美化されやすい。う~ん、あのシーンはこうするといいんだよな、とか、そのせりふ回し、違ってないか?ついつい、舅根性丸出しで見てしまうんだ。これはいかん!断じて良くない!とわかっていても、ついついそうなっちまう。

 だから、今日の劇団ぬーぼー公演『法王庁の避妊法』も極力そんな身びいきをたしなめつつ見た。で、まず、最終的な感想から言えば、良かった!楽しめた!ってことだ。特に後半に入ってからは役者たちもしっかりと役をつかみ、作者の意図を伝えていたって感じた。荻野久作が、患者の死に打ちのめされて無為に過ごす日常から、研究行き詰まりを打開するヒントを得て助手とともに、小躍りしつつデータを探し回るシーン。研究の最後の決め手として、妻トメに計画的妊娠を迫り拒絶されるシーンなど、ぐいぐいと引き込まれるものがあった。特に、妻トメが、授かりものしての妊娠にこだわり、ためらい揺れ動く演技は出色だった。

 装置もとても丁寧に作られていて好感が持てた。さりげない汚しの入れ方など、早速置農演劇部員に見習うように指示したくらいだ。遠見を上手に生かした照明も玄人好みの出来で納得だ。さらに、衣装も丁寧に季節ごとに変えていて、これまた気合いが入っているのを感じた。ただ、荻野夫人トメはともかく、他の百姓のおかちゃんたちの着物は、良いもの過ぎたし、そんなに衣装替えにこだわる必要はなかったのしじゃないのかな?そのために、やたら場転に時間がかかってしまった。これはちょっと本末転倒ってことだよ。実際の生活でなら、時が移れば着ているものも変わるって当たり前のことだけど、芝居では、そこら辺は几帳面になることはないのじゃないかと思う。それよりは、スムーズな展開をとりたいな、僕ならば。

 さて、後半に入ってよくなるってよくあることだけど、これって、なんでなんだ?一つは、役者がだんだんと乗っていくってことがあるだろう。プロの芝居と違いアマチュアはたった1度が2度の公演だ。しかも、技量も不足だ。出だしから乗りまくりってわけにはいかない。どうしたって助走時間ってものが必要なんだ。それが一つ。

 あと、もう一つ大きいのは、見ている側がその舞台に、あるいは役者に慣れるのに時間がかかるってこともあるんじゃないだろうか?特に、キャスティングが予期したものと違っていたり、役者の演技や演出に馴染めなかったりしたとき、その違和感を薄めていくのに、どうしても時間が必要なんだ。

 そう、今回の舞台についてはたしかに後者の部分が大きかったな。何故って、以前やってるからね。荻野はこうだよ、とか、ハナさんはこうでなくちゃ、看護婦さんは、・・・みたいなものがなかなか抜けなかったってことなんだ。

 じゃあ、次に、僕の感じた違和感に普遍性があったのかどうか。残念ながら、前半については、やはり、台本の良さを生かし切れていなかったように感じた。理由は簡単!笑いが少なかったもの。この本は喜劇としても大変良くできているから、すなおに役者が演じさえすれば大爆笑ものなんだ。お見合い相手のとり違いとか、産婦人科医と若い患者とのセックス談義とか、七人目を妊娠中のおかちゃんの逞しさとか、随所に笑いが仕込まれている。前半はあちらでくすくす、こっちでげらげらと腹を抱えながら、いつの間にか話しに引き込まれていくという仕掛けになっている。それが成功していなかったものね。

 それでは、笑いが不発に終わった理由はなにか?役者が、あるいは演出が?この本の笑いの質を十分にとらえ切れていなかったことにあるんじゃないだろうか。ごめん、ナオミちゃん、勝手なこと言って!ああ、ここで間が必要なんだ、とか、その反応はどうなんだ?って歯がゆく感じることがままあった。それと、若い人特有のやりすぎで笑いをとろうって演技も何度かあった。それは違うぜって心中ひそかに突っ込み入れた時もあった。

 じゃあ、お前やってみろよ、って言われると自信は全然ない。この本のようなおおらかで自然な笑いを書くこと、そして、そんな舞台を創ること、それが僕の究極の願いなんだけどね。作りたい作りたいと常々願いつつ、つまらぬ駄洒落やナンセンスでお茶を濁しているわけなんで、まったく、ここに書いたことは、そのまま僕自身に降りかかってくるわけだ。本当に笑いは難しい。

 それにしても、この作品は考えさせるものがぎっちりと詰まっている。試験管べービーや代理母出産なんてものは当たり前になり、クローン人間だって身近な可能性となりつつある今、改めて、妊娠・出産について人間の本来あるべき姿はどうなのか、面と向かわねばならない課題が満載だ。この舞台を置農演劇部全員参加で見せた理由も、そこら辺、しっかり心に止めてほしいと思ったからだった。もっともっと多くの若い人たちに見てもらわなくちゃならない作品なんだよな。なのに!どうして見にこないんだよ、若けえ奴ら!!

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新キャラは一年生

2008-10-22 20:59:02 | 演劇

 ふるさとCM大賞のビデオ録りが終わったら、目の前に食育子どもミュージカルの連続公演だよ。25日(土)川西町小松小に始まって、27日(月)南陽市梨郷小、29日(水)高畠町和田小、11月1日(土)高畠町生涯学習館(高畠町の保育園の先生方の研修会)、8日(土)長井市はぎ苑(長井市食生活改善推進協議会の厚生労働大臣賞祝賀会)と連続5回の公演が続く。

 問題は、一年生6人のために新しいキャラ作っちゃったことだよ。

 5月の公演では、一年生は”残飯グルグル”ってゴミ袋かぶってちょこちょこっと踊る役を交代でさせていた。でも、これじゃあまりに可哀相じゃないか。惨めじゃないか、グルグルみたいに。あっ、見てない人には分かんないね。入部して半年にもなるんだから、ちょい役でもいいからせりふのある役上げなくちゃって思ったんだ。

 それに、ここらで舞台に立たたせて、力付けてもらわないとね。舞台に上がると、なんてったって鍛えられるから。一人でせりふ言えば、欠点がたちどころに見えてくる。昨日なんかも、緊張のあまり胸式呼吸になってしまうのを発見してしまったもの。当然、上級生に混ざれば声も小さい、動きもぎこちない、視線もきょどる。自分の拙さにもろ直面するってことだ。これが、いいんだよ。こうやって自分自身の未熟さに向き合い、それをとことん突っ込まれて、ようやく、板の上の役者らしくなっていくんだ。

 そう、目的はすこぶる良い!問題は、時間がない!!!ってことなんだ。本番までなんと、稽古日が四日だぜ!時間にして12時間!!愕然!!やたらびっくりマークが付くが、これでも足りないくらい、今焦っている。たったこれだけの短時間で、ど素人の一年生を人並みに仕上げ、それをシーンとして成り立たせようって、これどう考えても無謀じゃない?衣装や小物も作らなくちゃなんないしね。

 って、今頃気づいたってもう遅いてえの。公演引き受けちゃったんだから。だから、今度も、もーっ!やるっきゃない!今日から基本トレーニングなんてやってやってらんねえよ、部活開始とともに、即稽古だよ。それでも足りないのは見え見えだから、公演前日には先週に引き続き夜9時までの特別練習を組んだ。ごめんなさい、保護者のみなさん!

 でも、1月には東京公演だってあるわけだし、一年生もお手伝いさんなんかじゃなく舞台の担い手として主体的に参加してもらわなくちゃだめなんだから、ここは一つ踏ん張り所だと思う。これ、上手くいけば、芝居も厚みが増すし、何より一年生がぞろっと一人前に育つってことだ。そう言って、部員たちにも話し、というより、僕自身に何度も言い聞かせつつ気合い入れて、明日明後日を乗り切ろう!

 

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明け方のビデオ撮影

2008-10-20 19:21:15 | 地域文化

 ふるさとCM大賞・川西町編ビデオの撮影、やっと終わった。今回は、いや~きつかった!僕もだけど、部員の方はもうめちゃくちゃだったね。学園祭の準備しながらビデオ撮影用の張りぼて作りだから。

 学園祭準備の時間なんて関係ない。クラスの仕事なんかほっとけ!演劇部の出し物・ダンス披露なんて、出来た所まででいい!ともかく、ともかく、撮影の期日までには絶対間に合わせんなねんだ!!追いまくったねぇ!尻たたき続けたねぇ!発破かけまくったねぇ!最後の金曜日はとうとう全員9時までの時間延長、保護者のみなさんにもずいぶんと迷惑をお掛けした。

 で、昨日と今日が、その撮影日だった。詳しくは、昨夜遅くと今朝の明け方。学園祭で3ステージも踊り続けたそり夕方から作戦開始って、あまりに惨くないか?でも、仕方ないんだ。泊まりがけでやるとなると寮に泊まるしかない。となると、寮生が帰省している日しかない。ということは、ここしかない。

 せっかくの合宿だから、お楽しみプログラムも用意しようと夕食は、全員で芋煮会。わいわい大騒ぎしながら鍋作って、結構な量だったけど、みんな平らげた。若さの食欲!さあ、腹一杯芋と肉を詰め込んで、作戦開始!

 撮影現場は学校の野菜畑。ここに1メートル近い高畝を作った。どうやって?機械じゃないよ。すべて手作業と工夫だ。ちょっと見には、畝と言うより、野戦陣地の趣だったけど、まずはそれらしくなった。

 いよいよ撮影。いやー、夜の畑って、やっかいだぁ!電源どこにもないもの。当たり前だろ!仕方ないので、体育館のピロティから延々とコードを引っ張って、照明用と音楽再生用とビデオカメラの電源にした。

 たき火の明かりも生かしつつ、参加者全員が浮かび上がる照明ってけっこう大変だった。灯体をあっちに運び、こっちに移動し、それも真っ暗な畑の中の作業だから。でも、本物の炎ってとっても魅力的!舞台ではではできない怪しい雰囲気が漂う。たき火をを囲んでの演技、って言うより奇妙なダンス、って言うより火祭りの大乱舞!たった4シーンだったけど、気がついたら11時だった。

 寒い!疲れた!眠い!自然と動きも鈍くなる。ようやく片づけを終えて、寮に入る。待望の風呂に入って全員が眠ったのは、午前2時!!おっと、最後まで起きててくれたのは顧問Nだけどね。僕の方は、もうさっさと生徒と一緒に風呂に入ってバタンキューだった。

 翌朝は4時半に全員をたたき起こして、学校に戻ってメイク衣装付け。その間、顧問二人は暗闇の中、照明やカメラのセッティング。時刻が刻々と過ぎていく。夜明けの薄明の中をバンドが練り歩いてくるってシーンだ。狙いは朝靄の中から現れるって幻想的なシーンだったんだけど、生憎と、今朝は曇天、朝日も無ければ、置賜秋の名物深い霧も掛からなかった。がっかり。

 このシーンが一番苦労した。だって、明るくなる空との追いかけっこだから。それに、電柱とか、体育館の建物とか、畑のネットとか、やたら邪魔者が多くて、カメラや照明を抱えて右往左往しながら、8テークほど撮影した。

 次に紅大豆の発芽のシーン。ここで先の土塁のような高畝が登場。大きな双葉が現れて次に新芽が出て、1年生中心にかわいらしいシーンとして仕上げた。そして、最後がいよいよ問題の枝葉のダンス。これについては奇妙、奇っ怪、滑稽、爆笑がコンセプト、詳しくは書けません、絶対に!演じるのは男子全員、恥ずかしさをかなぐり捨てての怪演だった。さらに、男たちには恐怖の×××シーン(これも見てのお楽しみ!)も撮り終えて、すべて撮影は終了。なんとかかんとか、請負仕事をやり遂げることができた。

 よおやった!部員たち!文句も言わずに辛い毎日をよくしのいだ。大変なことでも、面白れーってぶつかって行く根性、これってとってもいいことだと思う。そうそう、撮影の後は、当然稽古だったしね。

 

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昨日も今日も張りぼて作り!

2008-10-18 23:08:00 | 地域文化

 学園祭だってえのに、部員たちはダンスの練習そっちのけで張りぼて作りに熱中している。置農祭?そんなんいいから、それよか、ふるさとCM大賞だよ。町から見込まれた以上、それなりのもの作らなくちゃならないじゃないの。町職員がこれまで作ったもので最高は、音楽賞?だったかな?要するに部門賞ってことだね。せめて、その線まではいきたよ。そりゃ芝居やってる者の意地ってもんだ。なーんて、いかなかったらどうしよう?

 でも、ビデオにはずぶの素人だからね、きっといろんな手法やら裏技やら約束事やらあるんだろうけど、そんなこと知っちゃいない。もう、がむしゃらに浮かんだアイディアで録るだけだ。それと、も一つは精一杯努力すること!じゃあ、置農演劇部なら何努力する?うちが他に誇れるノウハウって言ったら、何?それはやっぱり子どもミュージカルで養ってきた音楽使いと張りぼてでしょう。

 これまでもいろんなキャラクターを張りぼてで作ってきた。これ、結構子どもたちには評判がよかったんだ。これまで6年間も続いたのも、この張りぼてキャラクターの果たした役割って小さくないと思う。と、言うことで、今回は徹底的に張りぼてで迫ることにした。それも、紅大豆の一生をだ。

 まずは双葉と新芽、次に伸び上がる枝葉、そして最後は紅大豆。これをそれぞれ6人が扮することにした。着ぐるみとかぶり物の両方だから、都合36もの作り物を仕上げるってことになる。

 しかも、期限は後一週間!いやいや、子どもミュージカルの連続公演も次の土曜日から始まるので、実質、明日明後日しかない!ねっ、学園祭どころじゃないでしょ。

 と、言うことで、明日の夜から撮影に入り、寮で合宿して明後日の早朝から午前中にかけて撮り終えて、残りは音取りが水曜日とこういうスケジュールで動いている。本当は今日中に張りぼて作りを終わらせる予定だった。でも、終わらない!まるで、終わらない!!結局、9時過ぎまで延長しても終わらず、明日は早朝から取り組むことになった。

 なんだって、こんなやっかいなこと引き受けるんだ?って言ったら、そりゃやっかいだからだ、面倒なことだからだ、難しいことだからだ、って答えるしかないだろうな。ともかく、僕にとっても部員たちにとっても新しい体験だ。初めてのことはなんだってやってみるのがいいんだって思う。それが上手く行く行かないは別にして、必ずや得るものってあるはずだから。

 それにしても、手を絵の具で真っ黒に染めながら、ジャージもべたべたと色で汚しながら頑張ってる部員たちを見ると、いい加減なもの創れないよなって感じることしきりだ。絶対いい物録って、何回も放映されるようにしなくちゃね。

 よし!明日、明後日頑張ろう!!エイエイオー!ってなんなんだ?この気合いの入れ方は?

 

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