今日は久しぶりに、でもないか、大声を張り上げて怒鳴り散らしてしまった。小学校の公演前のリハーサルだって言うのに、ほんと、大人げない。何が気に入らなかった?それは、いくら言っても自分の演技の型から抜けようとしない?あるいは抜けられない?部員が何人もいたからなんだ。
笑顔で歌え、と言っても、どうしてもできない!他のシーンでは楽に自然に笑顔が浮かぶのに、その歌になるとぱたっとすまし顔になっている。何度言ってもダメで、とうとうかんしゃく玉を破裂させてしまったってわけだ。
決して悪気があるわけじゃない。逆らうつもりなんて毛頭無いってことはよーくわかっている。あるいは、当人は必死で僕の指示に従っているつもりなのかもしれない。だけど、さっぱり変わらない!いったいどういうことなんだ?
今日の経験で思い浮かぶのは、自分の型を変えることの難しさってことなんだ。人間だれしも自分なりの身ごなし、表情、行動様式のパターンを持っている。辛いときに刻まれる皺、何気なく漏れるため息、そのときの背中の丸め方、人は誰しもその人独特の身体表現を持っている。それが、言うならば、その人固有の人となりってものにもつがっている。
それが役者でなければ、なるほどあの人はああいう風に反応するんだ、ですむことだ。しかし、ひとたび舞台に上がる身となれば、そうはいかない。何気ない自分のくせ、あるいは無意識の型を破らねばならぬ場合がいっぱいある。歩き方、姿勢、視線の流し方、口調のくせ、立ち姿、すべてについて、役に相応しいものに作り替えていく必要がある。だって、演じるのは役者そのものじゃあないわけだから。役柄こそが表現の目的のわけだから。
ところが、これが意外と難しい!特に、演技入門の人たちには至極難題なんだ。自分ってものが客観視できないからね。自分がどうしゃべっているのかつかめない。自分がどんな格好しているのかわからない。もちろん、表情なんかとてもとても!しかも、無意識のうちに自分の中に、こうなりたいとか、これがいいんだとか言った理想モデルを埋め込んでしまっている人ってやっかいなんだよ。この下意識ってやっはそうとう頑固だから。
そのこわばり方に辟易して、今日は怒鳴り散らしてしまったってわけなんだ。自分が無意識に作り上げている演技の型、これをどう意識化し、それをどう手なづけるか、これって本当に難しいことなんだと思う。演劇初心者には、これがきっと最初の大きな壁なんじゃないだろうか?このことに気づかないと、何回ダメだししても、性懲りもなく同じ演技を繰り返す恐怖のワンパターン役者になってしまうってことなんだ。
さらに、高校生の場合は、自分が頼っていけるようなオルタナティブがない。おっと、難しい言葉、きざったらしく使っちまった。代替え品ってことね。これの持ち合わせがない。だから、もう、延々とワンパターンが続いていくことになる。
これをどう破るか?これって本当に難しいことだ!言ってみれば意識されない癖のようなものだからね。僕の演技指導の大部分はこの難敵との戦いに明け暮れているって言っても言い過ぎじゃないだろうな。だからって、もういい、好きなようにやれ!って言うわけにはいかない。何度も何度も、指摘し、言い直し、ダメを出し、他の表現を伝授し、表見方法を提示し代替え品を少しずつ少しずつ仕込んでいくしかない。
わかっちゃいる!わかっちゃいるけどね、ついついいらだちが罵倒となって吐き散らかされしまうってことなんだ。今日、とばっちりを受けた君、勘弁しろ!でも、やっぱり、そのワンパターンからは抜け出してほしいんだよ、お願いだ!