ステージおきたま

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舞台作り続けて22年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

無理は無理:高校演劇東北大会殴り書き③

2008-12-26 22:06:48 | 演劇

 さて、東北大会殴り書きシリーズも最終回だ。大会で気になったこと、気に入ったこと、幾つか書いて仕舞いとしよう。

 まず、作品でうーむ、これはいかがなものか?って思ったのは、とっかかりの設定に随分無理のある作品が多いなぁってこと。単位不足の生徒を教育相談員にして卒業認定に持ちこもうって作品、これってありえねー!って最初から引いてしまう。教育相談なんて、僕だってできれば近づきたくない分野だもの。専門性も要求されるし、信頼されるってことも絶対条件だし、アドバイスには広い視野と相談者をよっくと理解してなけりゃならない。さらに、プライバシーの保護の問題もあるしね、とても生徒に任せられる役割ではないと思う。ところが、この設定からすべてが始まるってわけだ。

 さらに、バイクで退学を迫られる女子校生の話しも、ええーっ!そんなんあり?って部分が基本設定の部分にどかっと腰を下ろしている。その生徒がバイクに乗っていたのを目撃した先生が、実はど近眼で、しかも、そのとき酔っぱらっていて、さらに、飲み屋でぼったくりにあってむしゃくしゃしていたところでって、おいおい、そんな奴の証言、だれがまともに取り上げるって言うんだよ。

 こんなのもあった。三流大学歯学部の推薦入学面接会場、やる気のない面接官がただ一人で受験生の相手、しかも、理事長からは定員割れだから絶対入学させろと矢の催促。そこで、無理矢理入れるための面接が始まる、とまうあ、こういう具合だ。まず、三流だろうが、五流だろうが、腐っても歯学部でしょ、こんなことってあんの?仮に有ったとして、だったら、理事長やら教授やらずらっと居並んでもったいつけるもんじゃないの?少なくともやる気のない職員一人に任すなんて、まずありえねー!って話しだよね。

 と、まあ、こういった、ええっ!とか、おいおい!とか、ちょっと待て!っていった設定や展開がやたら多いと感じた。どうしてこうなるかって言うと、シチュエーション喜劇を作りたいからなんだよね。三谷幸喜お得意のシチュエーション喜劇。奇妙に捩れた設定ゆえに吹き出す笑い。先生と生徒の立場が入れ替わるとか、合格させたい面接官と不合格になりたい受験生とか。これはたしかに美味しいんだよ。僕もそんな作品作ったことがある。そのときは身代わりのお見合いだったけど、僕にしちゃあ笑いがとれていた。

 で、こういう喜劇的設定作るとき大切なことは、見てる人が許せる範囲にこじつけるってことなんじゃないかと思うんだ。うーん、ちょっと無理があるけど、目をつぶろう!とか、まあ、その後の笑いが面白いから勘弁しよう!とか。それなら、問題ないんじゃないの?観客ほとんど納得してたから、って言うかもしれない。でも、そこが実は一番問題なんじゃないだろうか。

 つまりこういうことだ。高校生は笑いに対して寛容すぎる!ってこと。笑えれば許す。少しばかり筋立てに無理があっても、面白ければ認めよう。いやいや、最初から筋立てのリアリティなんて気にしていないじゃないだろうか。まあ、その気持ちはわからないわけじゃない。どたばたとかナンセンスとかだって立派なもんだから。僕も毎年子どもミュージカルでそんなの書いてるし。

 でもね、その笑いに対する脇の甘さが、高校演劇固有の世界を形作っているように感じるんだ。どことなくなあなあの世界をね。三谷さんなんか、この点ほんと苦労していると思う。最新映画の『トワイライトタイム』なんて、もう、その苦労がそちこちに透けて見えて、それがまた、なんとも笑いを誘う、といった作りになっていた。笑いたい観客に笑わせたい作者。この馴れ合いをどっかで断ち切らないとね。

 次に感心したこと。高校生ってやるもんだなって、なんか、高校教師が言うことじゃないね。でも、正直、今回の大会では高校生の底力を見せてもらえた。

 一つは、スタッフの生徒たち。生徒たちが舞台袖の綱元にまで入って仕事していたのには驚いた。スタッフと出場校との打ち合わせも生徒中心で進んでいたし、とてもとてもスタッフさんのお手伝いなんて域を超えていた。しっかりと指導して、信頼して任せれば、十分にこれくらいの仕事は出来るんだってこと、よーっくと教わった。

 それと生徒講評委員会。これも実に見事だった。一つ一つの舞台について的確に批評し、遠慮することなく意見を述べていた。その、暖かく心のこもった講評には、上演した立場として、ほんと、救われた思いがした。また、代表生徒の、もっともっと勉強しなくては、という謙虚な発言、分析的にならずに全体を感じ取る必要性という反省など、そのまま、置農の部員たちに何度も言って聞かせた。

 あと、このブログ見てる人が結構いるって知ったことも、ちょっと意外、かんなし!嬉しい出来事だったかな。ということで、東北大会については、これにて!これにて!

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演出の力!

2008-12-25 20:01:46 | 演劇

 高校演劇東北大会のこと、書くと思うでしょ。違うんだなぁ、これが。こまつ座『太鼓たたいて笛吹いて』のことだよ、昨夜(ゆんべ)見ちまったからね。そう、もちろん置農演劇部も全員参加だ。なに?東北大会帰ってきたばっかなのにってか?なんも驚くことはない。この程度のスケジュールは置農演劇部にも、僕にもごくごく当たり前のことだもの。前にも書いたけど、1月の東京公演では、着いたその日に会場下見をしてすぐ、新国立で観劇だから。

 さて、芝居の話しだ。よかった!実によかった!置農の『Let's Dance1946』とかぶる内容だったから、ますます興味深かった。て、言うより、さすが井上ひさしさん!脚本見事だよ。同じようなテーマで書いても僕の作品なんか足下にも及ばない。当たり前か。深いんだよなぁ。いいせりふたくさん有るんだよなぁ。極めつけは「滅びるにはこの日本、あまりに美しすぎるわ」かな。歌もよかった。「ひとりじゃない 心の声に耳をかたむけるなら・・・・」とか、「文字よ 飛べ飛べ」なんかも。時代は物語を必要としているんだ、なんて認識もはっとさせられた。それと、三木卓役の木場さんにびっくりした。歌、上手いもの!声いいもの!!

 でも、昨夜の舞台で一番心惹かれたのは、実は演出なんだ。この芝居5年前の初演の時にも見ている。なのに、ほとんど覚えていないって、こりゃ僕の単なる老化現象なんだけど、今回、はっとするようなシーンが幾つもあった。

 例えば一幕のラスト。脚本では、芙美子の「私は兵隊さんが好きだ、・・・・」で始まる戦争賛美の詩の朗読がラジオから流れる中、キク、こま子、時男の三人が身を寄せ合って聞く、となっているんだけど、そこで演出の栗山民也さんは、時男をにぎりめしを頬張りながらうかれはしゃがせたんだ。しかも、シルエット!しかも、朗読の声は徐々に不気味な共鳴となって会場をぐるりと一巡したんだ。

 どうさ、このシーン?美しく始まった芙美子の言葉はしだいに現実から遊離した魔物になっていく。悪魔のたたく太鼓、吹く笛へと変わっていく。時男のような庶民を踊らせて戦争へと駆り立てていく、鳴り物。その先には間違いなく戦場での死か、大きく狂わされる生活が待っている。

 たった一つのシーンにこの芝居のすべてを描ききってしまっているじゃないか。これが演出ってものなんだ!演出の力ってものなんだ。演出は台本を舞台に可視化させるだけのことではない。大胆に作者の思いを作者の下意識を引きづりだす仕事なんだ。そんな発見をさせてくれたこの舞台、僕にとって一つの出発点になるよ、きっと。もちろん、脚本書くって立場からも、うん、もっともっといいもの書かなくちゃ!

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負けて納得!:高校演劇東北大会殴り書き②

2008-12-23 18:56:43 | 演劇

 今回最優秀、優秀に選ばれた上位4校のうち、青森中央、宮城第三女子、八戸聖ウルスラの三校の舞台は、誰がどう見ても、間違いなく素晴らしかった。残りの大館鳳鳴は、見ていないから、わからない。先の三本は、誰が見ても納得の作品だし、どれが最優秀になってもおかしくなかったね。

 で、僕としては、宮城第三女子の『卵の勝利』に最優秀上げたいぃぃぃ!って、すべての上演終わった後、ずーっと念じてた。まっ、僕がいっくら念力込めたってしょうがないんだけど。でも、そう願いながらも、きっと青森中央の『ともことサマーキャンプ』が勝つだろうなって予測はしていた。その通りになった。

 『ともことサマーキャンプ』(作:畑澤聖悟)は、いじめによる自殺を発端として、とことん白をきりとおそうとする加害者の女子高生たちと、我が子可愛さに証拠隠滅に走るその母親たちの姿をどこまでも妥協することなく描ききった作品だ。人間のえげつなさ、卑劣さ、醜さ、もう、これでもかってくらい見せつけてくれた。刻一刻と状況が変転し、その度に、深みにはまりこんでいく生徒たち、母親たち、畑澤さんの脚本は、揺れ動きながらも結局は自己保身へとはまりこんでいく様子を、実にスリリングに描がいていた。さらに、それをひるむことなくやり通した生徒たちの演技と気迫も凄いものだった。だから、最優秀だろうな、と半ば理解しつつも、『卵の勝利』(作:安保健)に勝たせたかったんだよぉぉぉ。

 理由その一。まず、暗いでしょ、救いがないじゃなか。もう、どうしようもないよ、あそこまでやっちゃったら。そりゃたしかに、人間にはああいう面があるってことは認める。僕だって、もし、加害者やその保護者になってしまったら、もしかしたら、同じように自己保身に走るかもしれない。だけどね、だからって、それ舞台で突きつけられたくはないだよ。甘いと言われるかもしれないが、どこかに救いが欲しいんだ。去年の青森中央の『河童』には、それがあった、救いがね。河童に変身していく少女を慕って自ら河童になることを願う男の子がいたもの。彼の純愛は切なく愛おしかったと思う。

 理由その二。これは生徒講評委員が勇気をふるって?発言したことだけど、ここに描かれたいじめと責任逃れの様子って、マスメディアが作り上げたイメージなんじゃないのって疑問。そう、僕も同じ感想をもったんだ。僕も高校教師だから、様々ないじめの現場に立ち会った。その経験を通して感じるのは、ここに描かれた世界とはかなり様子が違うんだ。加害者と被害者がこんなにくっきり区分けできなかったり、果たして被害って言えるのか?って場合も少なからずあった。こうやって、白黒つけちゃうとわかりやすいんだけど、どうも、現実から遠ざかってしまうような気がする。

 じゃあ、『卵の勝利』は、ってなると、これはもう、まるで正反対、完全受容、とことん許しの世界だから。癒しの究極ってことだ。突き詰めてしまうと、いじめで不登校になった下級生と白血病で余命幾ばくもない先輩との交流ってことで、まっありきたりの題材を二つ重ねた作品ってことなんだけど、描き方が、これは、もうもう、本当に心穏やかでおおらかで上質のユーモアに溢れていた。「がんばれぇぇぇ」「いいと思うよぉぉぉ」突飛な行動を繰り返す下級生にかけるこの脱力系のおおらかなせりふは、今大会の流行語大賞に輝いたものね。誰が決めたんだそんなもの?観客全員!間違いなし!だったよね。

 次々繰り出されるギャグも、知的で品が良くて、こういう笑いって多分高校演劇では初めてなんじゃないのかな?五体倒地とか、なんたらって言う回転宗教やら、こんなのギャグになるんだぁぁって目から鱗の連続だったもの。それと使ってた歌も良かったねぇぇぇ。井上陽水の『傘がない』をもだえ苦しみながら歌うシーなんて、もう、僕一人で笑ってた。つまり、他の観客は引いてた?『チャンチキおけさ』がホームレスの望郷の歌だなんてのも、強引ですっごく納得できた。そして、チャックベリーだよ!ロックンロールを脱力系で踊るって、これ凄いよ。見る者全員が心の底から癒された1時間だった。もちろん、三人の役者が演技力も高く個性的で、役にぴったりはまってたってこと、当たり前だよ、あの三人に当て書きしたに違いないもの、東京の春フェス、見に行こうか?ってついふらっと思ってしまったほど良い舞台だった。

 最後に八戸聖ウルスラの『わがうちなるラピュタ』。もう、プロです。役者たち。昨年『どんがら山奇譚』のお婆ちゃん役で注目されたミドリが5人もそろったって感じ、こんなことってあるんだ。誰もが感じたことでこの舞台もお見事でした。

 こんな素晴らしい作品がそろった東北大会、参加できたってこと、幸せの一語だね、まあ、願わくば、置農もベスト4に入れてたらもっとね。

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まずは憂さ晴らし:高校演劇東北大会殴り書き①

2008-12-23 11:29:24 | 演劇

 大会ってほんと健康によくない!体中にむらむらが溢れてるからね。そう、だめだった!わけ東北大会。散々だったわけ。最優秀はおろか、優秀にも入れなかった。でも、それはまあ、今回は優れた作品が多かったので、上位4校のうち3校は納得。残る1校については見ていないので、保留。

 問題は置農に対する講評だ。いやはや、一つも評価してもらえなかった。誇張じゃない。言葉通り、文字通り!!まず、台本やストーリーについては、盛り込みすぎて言わんとするところが不明、これで終わり!役者や演技については一切言及なし!その後出てくるのは、すべてダメだし。まず衣装、黒い軍足はおかしい、裸足か足袋のほうがいい、あんなスリッパが1946年当時あったか、服装も当時らしくない。コーラは飲んだらよかった。次に装置、吊りもの、照明の影が出てて失敗、あれならやらない方がいい、最後のシーンはパネルだけでなく吊りものもとばした方がよかった。

 どう?この講評。辛口批評の人なのか?って言うとそうでもない。他の舞台は絶賛だったり、ほどほどに褒め言葉も織り交ぜたりしていたから。よほどうちの作品が気に入らなかったんだろうね。共感のひとかけらもない。

 ってことで、昨夜から僕の心の中はぶすぶすと不完全燃焼の怒りがくすぶり続けている。このまま、そんな熾きをため込んでおくのは、絶対健康に良くない!早く消火して放り出してしまわなくちゃなんない。で、このブログってことだ。

 まずは、講評に対する反論だ。

 ①詰め込み過ぎって指摘は確かにその通り、でも、だから、言いたいことがわからんって言うのは、えっ?ちゃんと見てた?って言いたい。言いたかったことは『生きろ』ってことだよ。バンバンの幸子が人生のやり直しを決意するのは、民子の「生きて、何したっていいから、生きて」のせりふだし、兄が隠し持っていたジャズのレコードを聞いて、民子が聞き取った兄のメッセージも「生きろ、そして、俺も行きたかった!」だ。時間が前後するけど、民子が幸子を励ましたのは、前夜兄の真情を知ったからだった。身巧者なら、その辺は見抜けるって思う。そして、最後のシーン、ジャズを踊り終えた民子が語るジャズの魅力も「生きることが楽しい、それがジャズ」って、これだけ言ってるのに、なぜ?生徒講評委員はしっかりとこのメッセージ受け止めてくれたって言うのに、なぜ?

 ついでに言うなら、『生きろ』って言葉は、命の価値がますます希薄になっている今の時代に向けたメッセージのつもりだったんだけど、気づいてくれた人はいたんだろうか?

 ②衣装について。舞台で裸足はないでしょう!絶対危険だもの。じゃあ、足袋?足袋ってどんだけ高いか知ってますか?スリッパが当時のものじゃない、そうでしょ、きっと。でも、そこまで見る?それって粗探しってことじゃない?そりゃ、アディダスやらアシックス履いてたら、芝居の興を著しく削ぐと思う。でも、黒軍足とスリッパは許容範囲だと思う、金と蓄積のあるプロ劇団ならともかく。聞いてみたいね、観客に、役者たちの足もとが気になって集中できなかった人がどんだけいたかって。衣装についても同じ。多分らん子先生のモガ時代のドレスのこと言ってんだと思うけど、まあ、多少切れ込みが大きすぎでセクシーになりすぎてしまったってことはあるけど、生徒がネットで調べながら作ったものなんだ、そんな冷たい言葉で切り捨てて欲しくはない。講師も僕も1947年の生まれ、なんか勘違いしてないか?プロだから、あの時代のことは自分の方がよく知ってるって。例えば、こういうこともあった。公演後の研修会で、他の審査員から、コーラがこの時代山形にあったか?って質問を受けたんだ。これどうも、審査員会で話題になったらしいんだ。彼が言うには東根の神町に進駐軍がいたからなんたら、って、おいおい!せりふ聞いてたのかよ!あのコーラは東京で闇屋やってる義男からのプレゼントって言ってるだろ。当然、東京の進駐軍からの横流し品だよ。もう、そこまで説明しなくちゃなんないの?

③最後に装置の件。開き足、平台でステージを作り、18枚ものパネルを組んだことに対する評価が一切なかったってことには触れない、ってまあ、言っちゃったけど。吊りものと照明がけんかしたってことだけど、講師の言うように一番前のバトンに吊ってるんだ。サスの影が出るってことは百も承知だ。そんなこたぁ、わかってるよ。だから、地元でうちだけの公演打った時は、さらに前のボーダーに吊った。でも、大会じゃできないでしょ。ボーダーとばしっぱなしにするわけにいかないんだから。それとサスの高さだってこっちの希望じゃ変えられない。リハーサル前の30分で吊ってみて、初めてどんな影が出るかわかるんだ、それが高校演劇の大会ってもんなんだ。そこで、瞬時にどう判断するか、体育館の照明が梁より上にあったってことだって考えられる、とすれば、梁の影がフロアに出ていても不自然じゃない。よし、行け!この判断、そんなにまずいですか?さらに、ラストシーンで吊りものも同時にとばした方が良かった、って、あのね、山形県では、綱元はプロのスタッフ以外一切触れないの!そして、スタッフはほとんど舞台には一人しかいないの!!だから、同時に二つの吊りものとばすなんてできない相談なんだ。今回の岩手では高校生も綱に関わっていたけど、そんなの会場来て初めてわかったことだから。こういう、舞台裏の現実を無視したアドバイスってまるっきり!意味なし!!

 どうですか?もう、体中が怒りの炎に焼かれるのがわかるでしょ。要するに、こういうこっちゃないか?なんか漫然と見てたらいろんなエピソードが次々出てきて、せりふ追えなくなった、だから、詰まらない、となると、末節の欠点が気になる、さらに、舞台への興味が薄れる、流れが反対かもしれない。まっ、こういった1時間を過ごしたんだろね。

 高校演劇の審査・講評は好意的に励まし的に行うのが基本だなんてことを持ち出そうと思わない。何も無理してリップサービスしてほしいなんて言うんじゃない。高校演劇の舞台作りの現場をしっかり理解して批評してほしいってことと、台本よく読んで、芝居をしっかり見てほしい、それだけだ。僕は、一つ一つのせりふを伏線としての意味も含めつつ吟味して書いている。もっとしっかり聞いてほしかった、せりふの意味もせりふのニュアンスも。

 こんな言われ方しなくちゃならない作品だなんって、ぜーーーーーーーーーーーーーーーったい!!思えない!!!理不尽な評価をされたときの、衆目の前で一方的に批判される側の、この怒りのボルテージをしっかり心してほしい、審査・講評に当たる人は。

 ちなみに、県大会では、三人の審査員全員が、詰め込みすぎだが、それを不自然に感じさせない力があった。それは台本の巧みさだって言ってくれた。今回とのこの違い!なによ!!救いは、生徒講評委員が優れた鑑賞眼を保ってくれたってことだ。そう、高校生の目の確かさ、次回触れたいと思うけど、これはこの大会の大きな収穫だった。凄いぞ!高校生!お見事!生徒講評委員会!!

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こうなりゃ奥の手だ!

2008-12-15 22:39:03 | 演劇

 置農演劇部東北大会出場記念公演『Let's Dance 1946』無事終了!よかった!

 何が良かったか?まず、赤字が出なかった。次にお客さんがたくさん入った。さらに、置農生も真面目に見てくれた。さらに、って言うより、これが一番大きいけれど、確実にレベルアップできた。

 まず、演技。主役のクライマックスの長せりふ、命を惜しむ兄の気持ちを思いやれず、特攻に追いやってしまった妹が、自分の過ちに気づいて自己を責めさいなむせりふ。これまでは、最初から最後までだらだらと泣きで通していた。だめだよ、それじゃ。それを前半抑えに抑え、兄の気持ちに行き当たって激情がこぼれ落ちるそんな言い回しに変えたいと思った。それがなんと本番3時間前。無茶だよね。可哀相に!できっこないじゃない!でも、何故か、やれるんじゃないか?って予感がした。3年生だし、これまでずっと主役で通してきた生徒だったから。

 何度も何度も繰り返させた。できない。ダメだ。どうしても泣きが抜けない。後は自分でなんとかしろ!って突き放した。結局、昼公演は迷いに迷ってめろめろ!終わった後、僕の罵倒に近いダメだしをとことんあびて、悩み続けた。そして、夜公演、やったんだよ、ついにできたんだ。いやぁ、僕も涙を抑えきれなかった。せりふに動かされた涙なのか、彼女の努力に感動した涙だったのか?

 僕のだめ出しを横で聞き、一人悩み苦しむ彼女を見ていた他のメンバーも、それぞれに考えたんだろうね、これまでになく心を込めた演技ができた。こういうもんなんだよ、レベルが上がるってことは。一人が真剣に自分の表現にぶち当たっていけば、それが他の役者の励みになるんだ。ということで、確実に演技の質が上がった。よかった!

 もう一つは、オープニングを全面的に作り変えたこと。面白くなかったからねぇ、これまでは。なんとか、明るく軽やかで笑いのこぼれる出だしを作りたいと思ったんだ。で、奥の手だよ、こうなれば。置農子どもミュージカルでお馴染み、かぶり物の登場!そう、リンゴのかぶり物をかぶらせてコミカルなダンスシーンで幕を上げることにしたんだ。

 いいのか、こんなことして?上手くいくのか?お客さん、和むどろか、逆に引いちゃうんじゃないか?悩んだ末の決断だったが、これが予期した通りの効果を上げることができた。このシーンそのものは笑いはとれなかったが、その後のギャグは、確実に笑いのクラッチが入って入っていたものね。笑いは、その最初の出足がとっても大切なんだ。それがこのリンゴのかぶり物お陰で、上手く行った。よっしゃ!!

 こんな大きな成果のあった記念公演。支えてくれた皆さんに感謝しつつ、いよいよ東北大会に向けて出発だ。残る稽古日はわずかに三日!でも、この三日で変身するよ、大化けするよ。そんな気がふつふつとたぎってきた。みなさん!期待していてください、って、この時期はいつだって元気はつらつなんだよな。

 

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