意欲的だねぇ、本番までまだ2カ月近くあるのに、通し稽古だってさぁ。これも演出手放した成果だな。20年近く、作・演出一手引き受け個人商店でやってきたからなぁ、様々構造疲労も出て来るさ。慣習見直し!マンネリ打破!
通しって言っても、台本渡して1カ月ちょい、場転から何からすべてやってみるってわけにゃいかない。演出さんの意図としちゃ、各チームで仕上げてる一人芝居を見る、つまりネタ見せ、と、ものの出はけや時間の確認ってあたりが目標だ。
いやぁ、一人芝居てのは難しい!これが一番の印象だな。わずか5~6分程度の短いものだが、一人ですべてを取り仕切るってのは、かなりの力量が求められる。長すぎてセリフが入っていない、なんてのは論外だが、まず、役者の癖、それも未熟さがもろに見えてしまう。発声の不確かさ、早口、あるいはその逆のもっさり感。声も小さかったり、大き過ぎたり。全員で一緒に作る舞台なら、個性ってことで、見過ごされてたことが、欠点として浮かび上がってきてしまう。
短い台本と言えども、そこは山あり谷あり野原ありだ。全員舞台なら登場人物のやり取りの中で自然と作られた抑揚やストーリー性も、役者一人で作り上げるしかない。ここが弱い。理由は、まず台本の読み込みが足りないってことだ。書き込まれた微妙な気持ちの波立ちを読み切れていない。感情の発露も単調だし、一方的だ。つまり、自分ができる表現でしかない。例えば、怒りだって、爆発もあれば、内にこもったものもあり、シニカルにもわびしげにもなり、涙を伴うこともある。ここいらの機微を生かして行くには、役者としての全人生を投げ込んでいかねばならない。これまで演出が手取り足取りしてきた部分を自らつかみ取る、そんな意欲が必要だな。
今回の一人芝居には、見えない相手役がいるものと、独り語りのものとがあるんだが、前者にあっては、相手の人物を観客に可視化できていない。それは、つまり、役者自身が相手が見えていないってことだ。話しかけてはいても、視線が彷徨っていたり、距離感が違っていたり、相手の動きが見えなかったり、人柄が感じられなかったり、中途半端な独り言になってしまってる。
独り語りのものは、たしかに難しい。一人で5分も6分もぶつくさ言ってるなんて、まあ、あり得ないからね、現実には。そのリアルじゃない設定をどう有りそうに!見せるか、そこに力技が要求されるんだ。それは、登場人物の強いこだわりの感情なんじゃないかと思う。何かしらわだかまったものがあって、それが心から漏れ出して来る、そんな必然性を見つけねばならないと思う。台本には、それは書き込んであると思っている。あとは、個々の役者がそれを発見することだ。
ほぼ出演者全員の一人芝居を見せてもらって、こまごま気づいた点も数多くあった。それはそれで直に伝えるようにしよう。ただ、演出の頭越しにダメだししてはいけない。それも本を渡してしまった作者のたしなみだ。つまり、部をわきまえろ!ってこと。渡された台本はもう演出と役者のものだ。横から好き放題言いがかりつけるわけにはいかない。場転で挟まれる音楽に唖然としても、そこはぐっと飲み込んで、ここでは、ただ、基本的なところだけ指摘したつもりだが、どうだろう。小姑根性に陥っちゃいねえかな?