八頭町教委は11日、同町船岡、下濃にまたがる奈免羅(なめら)・西の前遺跡で、弥生時代中期(紀元前後)の青銅製腕輪・有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)の破片(長さ3cm、幅0・7cm、厚さ0・4cm)が山陰両県で初めて発見されたと発表した。当時の先進地域である北部九州や畿内と交易していた勢力が、因幡南東部に存在したことを裏付ける貴重な史料としている。
有鉤銅釧は、南方に生息するゴホウラ貝で作られた腕輪を模したもので、一部が角のように突出しているのが特徴。
釧は縄文晩期(紀元前3世紀頃)から、九州北部で大型巻き貝の殻を使って作られるようになり、弥生中期からは鉤(かぎ)状の突起を持つ青銅製に変化。身分の高い層が呪術的な目的で身に着けていたと見られている。福岡県で古墳時代の鋳型が見つかり、関東や近畿地方を中心に全国30遺跡で破片を含めて80個が出土している。北部九州を除いて、日本海側では南新保C遺跡(石川県)、西山公園遺跡(福井県)、大風呂1号墳(京都府)に次いで4例目の出土となる。
腕輪が出土したのは竪穴住居跡で、一緒に出土した土器から時代を特定した。銅質がよく、錆もほとんどなかった。日本海沿岸部ではなく内陸部で出土したことから、この地域が広範囲な交易の拠点となっていた可能性があるという。
町教委が10月まで約6700㎡を発掘調査していた。弥生時代中期から古墳時代初期の集落跡で、竪穴住居跡16棟、木棺墓4基などが確認され、土器や石器、水晶の玉などが出土した。
21日まで同町宮谷の郡家公民館で有鉤銅釧などの出土品を展示している。
[参考:12.11山陰中央新報、日本海新聞、12.17読売新聞、12.19毎日新聞]
有鉤銅釧は、南方に生息するゴホウラ貝で作られた腕輪を模したもので、一部が角のように突出しているのが特徴。
釧は縄文晩期(紀元前3世紀頃)から、九州北部で大型巻き貝の殻を使って作られるようになり、弥生中期からは鉤(かぎ)状の突起を持つ青銅製に変化。身分の高い層が呪術的な目的で身に着けていたと見られている。福岡県で古墳時代の鋳型が見つかり、関東や近畿地方を中心に全国30遺跡で破片を含めて80個が出土している。北部九州を除いて、日本海側では南新保C遺跡(石川県)、西山公園遺跡(福井県)、大風呂1号墳(京都府)に次いで4例目の出土となる。
腕輪が出土したのは竪穴住居跡で、一緒に出土した土器から時代を特定した。銅質がよく、錆もほとんどなかった。日本海沿岸部ではなく内陸部で出土したことから、この地域が広範囲な交易の拠点となっていた可能性があるという。
町教委が10月まで約6700㎡を発掘調査していた。弥生時代中期から古墳時代初期の集落跡で、竪穴住居跡16棟、木棺墓4基などが確認され、土器や石器、水晶の玉などが出土した。
21日まで同町宮谷の郡家公民館で有鉤銅釧などの出土品を展示している。
[参考:12.11山陰中央新報、日本海新聞、12.17読売新聞、12.19毎日新聞]