歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鳥取県八頭町・奈免羅・西の前遺跡 弥生時代中期後半の有鉤銅釧片が出土

2009年12月11日 | Weblog
 八頭町教委は11日、同町船岡、下濃にまたがる奈免羅(なめら)・西の前遺跡で、弥生時代中期(紀元前後)の青銅製腕輪・有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)の破片(長さ3cm、幅0・7cm、厚さ0・4cm)が山陰両県で初めて発見されたと発表した。当時の先進地域である北部九州や畿内と交易していた勢力が、因幡南東部に存在したことを裏付ける貴重な史料としている。
 有鉤銅釧は、南方に生息するゴホウラ貝で作られた腕輪を模したもので、一部が角のように突出しているのが特徴。
 釧は縄文晩期(紀元前3世紀頃)から、九州北部で大型巻き貝の殻を使って作られるようになり、弥生中期からは鉤(かぎ)状の突起を持つ青銅製に変化。身分の高い層が呪術的な目的で身に着けていたと見られている。福岡県で古墳時代の鋳型が見つかり、関東や近畿地方を中心に全国30遺跡で破片を含めて80個が出土している。北部九州を除いて、日本海側では南新保C遺跡(石川県)、西山公園遺跡(福井県)、大風呂1号墳(京都府)に次いで4例目の出土となる。
 腕輪が出土したのは竪穴住居跡で、一緒に出土した土器から時代を特定した。銅質がよく、錆もほとんどなかった。日本海沿岸部ではなく内陸部で出土したことから、この地域が広範囲な交易の拠点となっていた可能性があるという。
 町教委が10月まで約6700㎡を発掘調査していた。弥生時代中期から古墳時代初期の集落跡で、竪穴住居跡16棟、木棺墓4基などが確認され、土器や石器、水晶の玉などが出土した。
 21日まで同町宮谷の郡家公民館で有鉤銅釧などの出土品を展示している。
[参考:12.11山陰中央新報、日本海新聞、12.17読売新聞、12.19毎日新聞]
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仙台城三の丸跡 榧森御酒屋敷を裏付ける木簡が出土し公開

2009年12月11日 | Weblog
 仙台市教委は10日、この7~11月に同市青葉区の仙台城三の丸跡(現市立博物館)に隣接する外側の門付近(注)を発掘し、仙台藩主伊達政宗ゆかりの「造酒屋敷」が仙台城内にあったことを裏付ける木簡などの出土品を公開した。
10月24日に市民向け遺跡見学会を開催し、その時点では屋敷内の排水施設と考えられる石組み溝や井戸跡が見つかっていた。
 その後、井戸跡から出土した遺物を洗浄し精査したところ、墨書木簡35点があり、このうち25点から文字が読み取れた。
 その中3点は表に「御酒塩(おさかじお)」(料理酒)、裏に「榧森与左衛門」と記されていた。「御」は献上を意味しており、伊達家に献上された料理酒に付けられた札とみられる。裏面に記された名は正徳元年(1711)から寛延2年(1749)まで榧森家6代当主を務め、5代仙台藩主伊達吉村に御用酒を献上してきた人物名と一致した。
 その他の木簡は表に「御年貢米」、裏に産地や差出人の名が書かれていた。これらは年貢米を藩に納めた際に使われた札で、仙台近郊で収穫された年貢米を酒造りのために榧森家に支給されていたことを示すとみられる。
 井戸跡からの出土品は、井戸を埋め立てた際に廃棄された遺物の可能性が高い。木簡の他にも米俵や四斗樽以上の大型樽に使われた側板、さまざまな形をした木栓、大型の陶器瓶の破片や家紋を刻んだ瓦などが見つかった。
 榧森家は最高級酒とされた南都(奈良)流の酒を造り、「御酒屋(おさかや)」と呼ばれた。仙台藩祖の伊達政宗が、徳川家に剣術指南をしていた柳生宗矩(むねのり)の紹介で大和国(現奈良県)から招き、城中に屋敷を与えて酒を造らせ「榧森(かやのもり)」と名乗らせた。慶長13年(1608)から廃業した明治9年(1876)まで酒を造り続けた。
 市教委は来年以降の調査で酒造地跡の解明などに取り組む方針。
[参考:河北新報、毎日新聞、読売新聞]

(注)博物館北側直近の清水門跡付近のことか。



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