歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

伊達市・宮脇遺跡 室町期の霊山寺跡 建物跡を囲む溝と石組みが出土

2009年12月12日 | Weblog
 宮脇遺跡(伊達市霊山町大石字宮脇)からは、2007年度に、新たな礎石建物跡1棟と掘立建物跡1棟が発見され、霊山寺跡とほぼ断定された。礎石建物跡には火災で倒壊した可能性があり、大量の瓦が出土していることから、当時では珍しい総瓦葺きの建物だったと推定された。
 2008年度は、新たに寺院の生活関連施設とみられる室町時代の建物跡が見つかり、礎石が確認され茶碗や茶壺の一部が出土した。
 今年度は、礎石建物跡を取り囲むような施設が見つかり、同市教委は今回の建物跡が本堂などの主要施設である可能性が強まったとしている。調査では建物跡の南側と東側を囲む掘割のような溝と石組みが見つかった。また、池のような跡も見つかっており、さらに規模などの調査を進める。
 12日午後一時半から一般公開が行われた。
[参考:福島民報]

過去のニュース
  2008.10.29宮脇遺跡 室町期の霊山寺跡 発掘調査現地説明会開催案内
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福岡市西区・金武青木A遺跡 古代山城・怡土城に関する木簡が出土

2009年12月12日 | Weblog
 市教育委員会は11日、奈良時代の8世紀、唐や朝鮮半島に対する防衛のために築かれたとされる怡土城跡(前原市)に近い金武青木A遺跡(福岡市西区金武)から、「延暦十年」(791)あるいは「怡土(いと)郡」などと書かれた木簡9点が出土したと発表した。
 「怡土郡擬大領」「郡専當其事案主」「□令専當其事案主□」「三二人」と記された木簡も見つかり、怡土郡の長官に対し、城の造営に携わる人員の手配を指示したものとみられ、大宰府防衛の拠点として同郡に築かれた古代山城「怡土城」の造営とのかかわりもうかがえるという。
 別の木簡には「志麻郡」や人名の「物部嶋□、谷田部長足」「□公浄足、三家連敷浪」(注)などとあり郡を越えて人が動員された可能性がある。
 同遺跡は6月から調査を開始。8世紀中頃から末期にかけて使われたとみられる建物跡が見つかり、周辺から鉄を作った鍛冶炉跡や木簡や土器などが発見された。築城や武器製造のために鉄を供給した施設があったとみている。延暦10年(791)は、施設が使用された期間の最終盤に当たるという。同遺跡から木簡が出土したのは今回が初めて。
 現地説明会が13日午前10時~午後3時に開かれる。市埋蔵文化財センター(博多区)では、15~20日まで出土品の展示会が開かれる。
[参考:西日本新聞、読売新聞、スポーツニッポン新聞]

(注)「三家連」
①「古事記」神武天皇の条に「神八井耳命は…筑紫の三家連(みやけのむらじ)…等の祖なり。」と記される。
②「観世音寺文書・筑前国」の「三家連豊継解案」(天平宝宇二年、758)に、早良郡額田部人夫戸主・三家連息嶋、同豊継、三宅黄金などの名が見える。

福岡・金武青木遺跡 広域防衛示す木簡出土 怡土城 近隣から人員動員?(西日本新聞) - goo ニュース

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