県文化財保護協会が17日、相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡(同市永源寺相谷町)で、縄文時代晩期前半(紀元前1000年頃)の「土器棺墓」14基などの遺構が出土したと発表した。10基以上の土器棺墓が一度に見つかったのは県内では北仰西海道遺跡(高島市今津町)と「滋賀里遺跡」(大津市)の2例しかなく、近畿圏内でも数例しかないという。また、愛知川上流域での縄文時代の遺跡の発見は今回が初めてという。
一帯は鈴鹿山脈と湖東平野を結ぶ愛知川上流域で、東海地方で作られたとみられる石鏃や磨製石斧などの遺物も見つかったことから、他地域との交流の拠点的な集落だった可能性があるとする。
土器棺は高さ40~50cm、口径30~40cmの深鉢形で、土器の破片や小石などで蓋がされていた。中に人骨はなかったが、埋葬されていた土から細粒化した骨片を確認。また、周辺で祭祀に使ったと推定される土器棺のミニチュア(高さ3・8cm、口径5・5cm)なども見つかり、墓と判定した。
このほか、石蒸し調理用に小石を敷きつめたとみられる縄文時代前期(紀元前4000年頃)の集石遺構や、炉跡と想定される同時代後期(同2000年頃)の配石遺構も検出した。
20日(日)午後1時30分から現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞、びわ湖放送]
一帯は鈴鹿山脈と湖東平野を結ぶ愛知川上流域で、東海地方で作られたとみられる石鏃や磨製石斧などの遺物も見つかったことから、他地域との交流の拠点的な集落だった可能性があるとする。
土器棺は高さ40~50cm、口径30~40cmの深鉢形で、土器の破片や小石などで蓋がされていた。中に人骨はなかったが、埋葬されていた土から細粒化した骨片を確認。また、周辺で祭祀に使ったと推定される土器棺のミニチュア(高さ3・8cm、口径5・5cm)なども見つかり、墓と判定した。
このほか、石蒸し調理用に小石を敷きつめたとみられる縄文時代前期(紀元前4000年頃)の集石遺構や、炉跡と想定される同時代後期(同2000年頃)の配石遺構も検出した。
20日(日)午後1時30分から現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞、びわ湖放送]