井手町教委は24日、奈良時代中期(8世紀中ごろ)に左大臣橘諸兄が創建したとされる井手寺跡(同町井手)から、寺の南端にあたる築地塀と排水溝の跡が見つかったと発表した。これまでの調査と合わせ、寺域が南北約240mにわたることが確定した。
町教委は2007年度から5年計画で、寺域画定に向けた発掘調査を行っている。本年度は10月から、寺跡南側の約80㎡を調べ、築地塀跡とみられる多数の瓦片と、溝跡を発見した。
溝跡は幅約1m、深さ約30~40cm。築地塀の内側に沿うように東西に伸び、底から多数の石が出土した。また、溝の近くから、鞴(ふいご)に使われる素焼きの羽口の一部や鉄の滓、焼けた土なども見つかった。金属を加工するための、小さな工房跡らしい。
南端の溝跡と、07年の調査で判明した北端の溝跡との距離は約240mで、町教委の推定通り寺域は約240m四方とみられる。
10年度は東西方向の寺域画定を目指し、東側を調査する。
25、26日の午前9時半~正午に現地公開される。
[参考:京都新聞、毎日新聞]
町教委は2007年度から5年計画で、寺域画定に向けた発掘調査を行っている。本年度は10月から、寺跡南側の約80㎡を調べ、築地塀跡とみられる多数の瓦片と、溝跡を発見した。
溝跡は幅約1m、深さ約30~40cm。築地塀の内側に沿うように東西に伸び、底から多数の石が出土した。また、溝の近くから、鞴(ふいご)に使われる素焼きの羽口の一部や鉄の滓、焼けた土なども見つかった。金属を加工するための、小さな工房跡らしい。
南端の溝跡と、07年の調査で判明した北端の溝跡との距離は約240mで、町教委の推定通り寺域は約240m四方とみられる。
10年度は東西方向の寺域画定を目指し、東側を調査する。
25、26日の午前9時半~正午に現地公開される。
[参考:京都新聞、毎日新聞]