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百済木簡から「赤米」の墨書を確認

2011年01月11日 | Weblog
 扶余郡文化財保存センターは10日、昨年10月に忠南扶餘邑旧衙里の扶余中央清渓教会増築工事予定地を発掘調査した結果、百済時代木簡8点を収集し、このうち「太公西美前部赤米二石」と読むことができる墨書木簡を確認したと発表した。同センターは今回の成果を今月7日、清渓川文化館で開かれた韓国木簡学会定期発表会で報告した。
 この木簡から初めて確認された「赤米」は、日本では飛鳥京遺跡出土木簡で朝廷に捧げる献上物の一つとして発見されたり、藤原京や平城京などの木簡でも現れる。 さらに正倉院が所蔵する文書にも、地方から中央朝廷に赤米を献上したという記録が発見されている。
 このような日本側発掘成果と比較すると、今回扶余で出土した木簡の「赤米」もまた、地方から捧げられた貢物の一種と考えられるとしている。
 合わせて、他の木簡から当時の百済首都の行政区画5部のうち、「前部」、「中部」、「下部」を示す文字が発見された。
 ほかに、多量の木製品や磁器類、土器類、金属類、石器類、草本類、動植物遺体類なども確認された。
 さらに、一部遺跡では寄生虫が検出され、お手洗い(화장실)があったとみられるとしている。
 今回発見された遺跡は西暦6~7世紀ぐらいのもの推定されている。
[参考:聨合ニュース、国民新報]
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