歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都市上京区・相国寺旧境内 鹿苑院を示す江戸時代の石柱が出土

2011年01月27日 | Weblog

 写真は、相国寺塔頭・瑞春院「雁の寺」。 説明板には、「直木賞受賞の作『雁の寺』の舞台として有名であり、作者の水上勉氏が雛僧時代を過ごした禅院である。」とも記されている。

 同志社大学が発掘調査を進める、同大今出川キャンパス(京都市上京区)内にある相国寺旧境内の遺跡から、室町幕府の3代将軍、足利義満(1358-1408)が建立した塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」と関連するとみられる江戸時代の石柱が見つかった。
 石柱は高さ40cmほどで、発掘現場の東側から出土した。西を向いた面に、南側に「鹿苑」、北側に「瑞春」と刻まれていて、それぞれ当時存在した塔頭を示したと考えられる。また「鹿苑」「瑞春」の下には「境」の文字があり、塔頭の敷地境界を示すために設置されたとみられる。
 また、同志社大学歴史資料館HPでは1月19日付けで、底面に「鹿苑衆寮□□」と墨書された白磁皿が出土したと報告されている。
[参考:京都新聞、同志社大学歴史資料館HP→相国寺旧境内と薩摩藩邸跡の発掘調査速報]

過去の関連ニュース
 2010.11.25相国寺旧境内 足利義満建立の鹿苑院の遺構が見つかる

下の地図は、瑞春院を中心としている。
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大津市・関津城遺跡 山城から高楼のような主郭跡が出土

2011年01月27日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が26日、大津市関津3丁目の関津城(せきのつじょう)遺跡の山頂部標高118mで戦国時代後期(16世紀後半)の山城の主郭跡が見つかったと発表した。 城は土造りの山城の構造で、城郭の内部からは土蔵や城主の屋敷とみられる建物跡なども見つかった。
 建物跡は周囲を土塁(高さ2m)で囲み、整地した約13m四方(169㎡)の曲輪で見つかった。直径約20~50cmの柱穴や礎石が見つかり、建物は幅約10m、奥行き約5mの規模だったとみられる。建物の正面からは門の跡(幅1.8m、奥行き3m)も見つかった。柱穴や礎石の位置から主郭は物見櫓や舞台、高楼のような建物であったとみられ、また、周辺で酒甕や多量の土師器の皿や杯、陶磁器も出土していることから、宴会としてもよく利用されたとみている。
 関津城は、清和源氏の流れをくむという宇野源太郎守治が承久3年(1221)の承久の乱で戦功をたてたことから、恩賞として鎌倉幕府から与えられたといわれ、彼の子孫も長く城主を務めたと思われる。しかし、城の構造や、いつ築造され、いつ頃まで機能していたかなど、よくわかっていない。
 現地説明会は29日午後1時半から開かれる。
[参考:共同通信、京都新聞、BBCびわ湖放送、滋賀県文化財保護協会HP]

過去の関連ニュース
■2010.8.8 関津城遺跡・現地説明会
 滋賀県文化財保護協会が8月4日、戦国時代後期(16世紀後半)の山城跡である関津城遺跡(大津市関津)から、地盤沈下を防ぐため、土中に地覆石(じふくいし)を並べて建物の土台とした土蔵跡が出土したと発表した。8日に現地説明会が開かれた。
 調査成果は
①北裾の曲輪から、虎口と櫓台と櫓門と想定される遺構が出土。
②西裾の曲輪から、土塁、曲輪壁面とその内側を巡る排水溝、礎石建物跡3棟、1棟から酒や油などを貯蔵したと考えられる甕倉(埋甕)、土塀を伴い地覆石を基礎とし土蔵跡が出土。
③頂部の曲輪と竪堀および北裾・西裾の曲輪までの斜面から、土塁・礎石建物(調査中)が出土。
出土遺物
 調度品(屏風、厨子など)を飾る金属製品、武器(鉄砲の弾など)・武具、鉄釘、漆器椀、土器類(信楽焼すり鉢、備前焼大賀目、中国製の青花、青磁、白磁、天目茶碗、朝鮮製の壺など)など。
[参考:京都新聞、滋賀県文化財保護協会HP]


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