鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺で、南北朝時代の暦応2年(1339)建長寺42世中巌円月(ちゅうがんえんげつ)禅師を開山とし、大友氏時(うじとき)により創建された。
当時、上野国利根庄は鎌倉武士大友氏の領地であり、九州に移った後、先祖の発祥のこの地に聖地建立と菩提供養の為に寺を建立したのが始まりである。 [参考:吉祥寺パンフレットより]
山門(写真左上)
文化12年(1815)に再建された。入母屋造で、間口8.5m奥行き5.5m。山門にある「青龍山」(写真上中)の額は、後光厳(ごこうごん)天皇(1338-1374)御染筆によるもの、裏には「文和元年壬辰(1352) 後光厳院 喜平上幹」とある。
山門右手(写真は裏から撮っているので左)の階段を登ると、楼上には文殊菩薩(写真右)を中尊に江戸中期に創られた木造の十六羅漢が安置されている。
釈迦堂(写真左下)
寛政2年(1790)に建築された宝泉殿(注1)。 堂内中央には鎌倉時代後期(南北朝期)に創られた釈迦三尊像(写真下右)、左右奥には中興開山和尚像が祀られている。中央正面の釈迦如来像は(像高3尺4寸3分、ヒノキの寄木造、硬地漆箔仕上げ)、当山の本尊で鎌倉時代後期の作と伝えられる。(県重文) 左には獅子に乗った文殊菩薩像・右には白象に乗った普賢菩薩像が配されている、どちらの像も江戸期のもの。
創建の伝説
吉祥寺開基は、大友家8代氏時(うじとき、?-1368)公(注2)であるが、大友家の初代能直(よしなお、1172-1223)公誕生にまつわる源頼朝公と利根局(河波姫)のロマンスとして、今でも、川場村吉祥寺に語り伝えられている。藤原時代のこの利根庄は相模守波多野氏の領地であった。その波多野四郎の娘は河波姫と称していたが、流浪の身であった若き源頼朝との間に儲けた子が、豊後大友家の開祖となった大友能直との事である。鎌倉幕府を創立の後、赤城の狩りに出た折、頼朝は離ればなれとなった河波姫を探したそうである。そして、ついに青龍の滝の下で、源氏再興を祈願していた河波姫と再び出逢ったそうだ。
他に、本堂、鐘楼などの建物と、庭園・臥龍庭や青龍の滝、昇龍の滝、不動の滝、丈六の滝が配されている。
[参考:青龍山吉祥寺HP、パンフレットおよび境内説明板(川場村教育委員会)]
(注1) 釈迦堂の算額(下中)は法泉殿と書かれているようである。
(注2) 大友能直、親秀 、頼康 、親時、貞親 、貞宗 、氏泰 、氏時 と続く。有名なキリシタン大名の大友宗麟(義鎮)は21代目となる。