太宰府市教委は12日、政庁から南に延びる「朱雀大路」の東側(同市朱雀3)で発掘中の西鉄操車場跡地の大宰府条坊跡遺跡について、古代文献に登場する奈良時代から平安時代初期にかけて外国使節を宿泊させた、大宰府「客館」跡の可能性が高いと発表した。
遺跡から新たに、錫と銅の合金「佐波理」製の食器3点、「奈良三彩」2点、漆器1点が出土した。 東大寺正倉院の宝物に見られるような高級食器類がまとまって出土し、遺跡の重要性が裏付けられたとしている。
佐波理は新羅伝来とされ、これまでに同遺跡では匙(さじ)など2点が見つかっている。 新たに見つかった3点のうち、鋺とみられる1点は3枚重なった破片で出土し、当時の保管状況が類推できるという。 奈良三彩は同遺跡では初の出土となった。
一連の調査では、大宰府政庁跡の建物に匹敵する長さ約30m、幅約8mの大型建物跡も見つかっている。
大宰府の外交施設は、博多湾沿岸にも「鴻臚館(こうろかん)」(福岡市中央区)があり、本遺跡との役割分担など興味があるところ。
[参考:西日本新聞、毎西新聞]
■「日本書紀」に、筑紫・大郡と小郡が設けられていたことが記されており、小郡が「客館」に対応する可能性がある。
天武天皇二年(673)十一月壬申廿一日 饗高麗邯子。新羅薩儒等於筑紫大郡。賜祿各有差。
持統三年(689)六月乙巳廿四日 於筑紫小郡設新羅弔使金道那等。賜物各有差。
■「続日本紀」には、「客館」と2ヵ所記されるが、こちらは平城京内の施設の可能性が高い。
天平四年(732)十月癸酉・辛未朔三日 始置造客館司。
天平十二年(740)正月丙辰廿九日 遣使就客館。贈渤海大使忠武將軍胥要徳從二位。首領无位己閼棄蒙從五位下。并賻調布一百十五端。庸布六十段。
■ほかに、平安時代成立の「延喜式」などに大宰府の客館の記述がみられる。
過去の関連ニュース・情報
2009.11.6 太宰府市・大宰府条坊跡 新羅・佐波理製の匙が出土
2009.2.19 大宰府条坊から、大きな建物跡2棟が出土
遺跡から新たに、錫と銅の合金「佐波理」製の食器3点、「奈良三彩」2点、漆器1点が出土した。 東大寺正倉院の宝物に見られるような高級食器類がまとまって出土し、遺跡の重要性が裏付けられたとしている。
佐波理は新羅伝来とされ、これまでに同遺跡では匙(さじ)など2点が見つかっている。 新たに見つかった3点のうち、鋺とみられる1点は3枚重なった破片で出土し、当時の保管状況が類推できるという。 奈良三彩は同遺跡では初の出土となった。
一連の調査では、大宰府政庁跡の建物に匹敵する長さ約30m、幅約8mの大型建物跡も見つかっている。
大宰府の外交施設は、博多湾沿岸にも「鴻臚館(こうろかん)」(福岡市中央区)があり、本遺跡との役割分担など興味があるところ。
[参考:西日本新聞、毎西新聞]
■「日本書紀」に、筑紫・大郡と小郡が設けられていたことが記されており、小郡が「客館」に対応する可能性がある。
天武天皇二年(673)十一月壬申廿一日 饗高麗邯子。新羅薩儒等於筑紫大郡。賜祿各有差。
持統三年(689)六月乙巳廿四日 於筑紫小郡設新羅弔使金道那等。賜物各有差。
■「続日本紀」には、「客館」と2ヵ所記されるが、こちらは平城京内の施設の可能性が高い。
天平四年(732)十月癸酉・辛未朔三日 始置造客館司。
天平十二年(740)正月丙辰廿九日 遣使就客館。贈渤海大使忠武將軍胥要徳從二位。首領无位己閼棄蒙從五位下。并賻調布一百十五端。庸布六十段。
■ほかに、平安時代成立の「延喜式」などに大宰府の客館の記述がみられる。
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