20011年12月19日 現地説明会にて。 写真上方の緩やかな湾曲状に石垣がきれいに並んでいるのが江戸時代後期の白堀の手前側の側面。向こう側(さらに上方)の側面は見つかっていない。
小日向一・二丁目南遺跡
東京都文京区小日向2丁目16-15の旧第五中学校(2009年閉校)跡地から、江戸時代に造られた神田上水の「白堀(しらほり)」とみられる遺構の一部が発見された。 文献に記述はあったが発見は初めて。
神田上水は、三鷹市の井の頭池を水源に、文京区関口付近で取水し、当時の江戸市中に給水した。このうち白堀は、関口大洗堰(おおあらいぜき)から現在の小石川後楽園にあった水戸藩上屋敷までの開渠(蓋のない地上の水路)部分の約2kmで、1629年に完成した。
今回発見されたのは、江戸後期のものとみられる長さ約30mで、深さは1m程度(注1)で、石垣で底と片方の側面が覆われていたが、もう片面が見つかっていないので幅は不明。 地形や史料などから約4~5mと推測されている。 側面には、30cm四方の石が縦三段に隙間なく積まれていた。
また、約5m離れた場所からは江戸初期のものとみられる長さ約1mの遺構も見つかった。
白堀は、「東京市史稿 上水編」には「小日向上水」として記録が残る。 明治9年(1876)に埋められ、現在の区道「巻石通り」となった。
今回の調査で、白堀に使われた石が江戸城石垣と同じ伊豆石だったことが新たに判明した。 また、石を固定するため石段の下に敷く「胴木(どうぎ)」と呼ばれる木材が、非常に高品質だったことも裏付けられた。
区は、白堀の一部を現地保存し、2015年に開業を予定する新しい福祉センターで、常設展示する調整を進めている。
現地見学会が20日(火)午前10時~正午と午後1~3時に開かれる。
(注1)下流の水道橋駅付近で昭和62年から平成3年にかけて、暗渠部分の調査が行われ、幅、深さとも1・2~1・5m程度だったとみられる。
出土した石類。 江戸初期には伊豆石、江戸後期には房州石を使用したりしている。
[参考:2011.12.3読売新聞、2011.12.7産経新聞、2011.12.14東京新聞]
追記2011.12.21
20日の現地説明会にて撮影した写真をいくつか使用。若干の修正・追加を行った。
関連情報
小日向神社
神田上水と小石川上水の区別が難しい。
神田上水は、小石川上水を前身とし、寛永年間(1624-1645)に開設されたとする。関口から水戸屋敷までも開渠の堀で、こちらの方は白堀または素堀と呼ばれ両岸には石垣が築かれた。
江戸名所図会をみると、小石川上水(堀)の名を使用しており、絵には上水堀の左側は石垣が列をなしているのがわかる。反対側がどうなっているのかは見えない。