大野城市教委は15日、同市乙金2、3丁目の古野遺跡の丘陵から24基の小規模方墳と円墳(群集墳)を発掘し、1基からは県内3例目の銅鏡「四禽文鏡(しきんもんきょう)」や県内4例目の青銅製鈴などが見つかったと発表した。
丘陵の最も高い所にある2基のみが方墳で、石棺系竪穴式石室を持つ。5世紀後半の須恵器が出土し、ここから一帯の古墳築造が始まったとみられる。
竪穴系横口式石室をもつ6基の円墳は、方墳築造後間もなくして造られた。
横穴式石室をもつ4基(直径4~7m)の円墳は、6世紀末前後に造られたらしい。子供用とみられる、他のものより半分程度の石室もある。
8号墳は、東西2m、南北0・9mの竪穴系横口式石室があり、直径7cmの四禽文(しきんもん)鏡が被葬者の胸の辺りから、100点以上のガラス玉が顔の付近から見つかった。 腰付近にはまだ音が出る直径2・3cmの鈴があった。 ほかに鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、鋤先、須恵器の壺なども埋葬されていた。 小地域を治める中小クラスの有力者の墓と考えられるという。
付近は乙金古墳群でこれまで100基超の古墳が出土しているが、今回発掘した群集墳がその先駆けだった可能性もあるという。
現地説明会が7日午前10時~正午、乙金天満宮先で開かれる。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]
丘陵の最も高い所にある2基のみが方墳で、石棺系竪穴式石室を持つ。5世紀後半の須恵器が出土し、ここから一帯の古墳築造が始まったとみられる。
竪穴系横口式石室をもつ6基の円墳は、方墳築造後間もなくして造られた。
横穴式石室をもつ4基(直径4~7m)の円墳は、6世紀末前後に造られたらしい。子供用とみられる、他のものより半分程度の石室もある。
8号墳は、東西2m、南北0・9mの竪穴系横口式石室があり、直径7cmの四禽文(しきんもん)鏡が被葬者の胸の辺りから、100点以上のガラス玉が顔の付近から見つかった。 腰付近にはまだ音が出る直径2・3cmの鈴があった。 ほかに鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、鋤先、須恵器の壺なども埋葬されていた。 小地域を治める中小クラスの有力者の墓と考えられるという。
付近は乙金古墳群でこれまで100基超の古墳が出土しているが、今回発掘した群集墳がその先駆けだった可能性もあるという。
現地説明会が7日午前10時~正午、乙金天満宮先で開かれる。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]