社会科の先生に、ある写真を見せていただいた。庚申塔である。
勤務校からそれほど離れていない場所にあり、「靑面金剛供養塔」「〇享三寅年」「十一月庚申日」と読める文字が刻んである。
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興味をもって、いろいろ調べてみた。
靑面金剛(しょうめんこんごう)とは、日本仏教における信仰対象の1つ。靑面金剛明王とも呼ばれる。
・・・知らないなあ。
でも、信仰対象だから供養塔が作られた。そのことは理解できる。
写真では建立年が、ややはっきりしない。「〇享三寅年」は間違いなく年号(元号)と干支だ。残念だが僕は1文字目が判読できなかった。
元号で2文字目が享のものを調べると、以下の4例。カッコ内は読み方と西暦での開始日である。
永享(えいきょう,1429年10月3日)
長享(ちょうきょう,1487年8月9日)
貞享(じょうきょう,1684年4月5日)
延享(えんきょう,1744年4月3日)
これらで、三年が寅年のものがあれば、建立年と考えていいだろう。
永享三年は亥年。室町幕府六代将軍足利義教のころ。
・・・ちがう。
長享三年は酉年。室町幕府九代将軍足利義尚のころ。
・・・ちがう。
貞享三年は寅年。江戸幕府五代将軍徳川綱吉のころ。
・・・ヒット!
延享三年も寅年。江戸幕府九代将軍徳川家重のころ。
・・・あらま。
貞享三年も延享三年も「ひのえとら」なのだ。
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中間考査の日、午後年休。現地に出向き写真を撮影した。
帰宅後写真を拡大し、1文字目は「貞」か「延」か考えた。素人目でも後者である。「三寅年」の寅の字の右上に、やや小さく「丙」(ひのえ)の文字が読み取れた。これらから、この塔は徳川家重の治世、延享3年11月庚申日(かのえさるのひ、こうしんのひ)を日付として建立されたものと考えられる。
庚申日は十干十二支に基づくもの。60日周期である。この年の庚申の日は11月にある。
延享2年に八代将軍吉宗は隠居。その後、大御所として数年間は権力を掌握した。
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延享3年11月。グレゴリオ暦では1746年12月12日からである。この年に塙保己一(はなわ・ほきいち)が誕生している。アメリカは独立前。イギリス等の植民地である。
270年ちょっと前のものが、21世紀、令和の時代に存在する。それが僕の目の前にある。これはなかなかすごいことである。