改めて「深夜特急」を読み返してみると、前回まで読んだときの楽しかった記憶に加えて、
「案外、人って本の中身を覚えていないもんだな」
という、深夜特急とはまったく関係ないことを思ったりした。
というのも、私の記憶から「カトマンズ」訪問の章がまったく抜け落ちていたのだ。
その原因はいくつも考えられるのだが、カトマンズを訪れる前のインドでのエピソードがあまりにも刺激的過ぎて、続くネパールの印象が極めて希薄であったことがあげられる。
こういうことは実際の旅でもなくはない。
私は東南アジア、とりわけタイとミャンマー国内をうろうろすることが大のお気に入りなのだが、多くの町や村を回っているうちに、やはり同じような現象に出会うことがある。
刺激の大きな町を訪問した後で、あまりに変哲のない、ごく普通のところを訪れたりすると、旅行メモでもつけていない限り、その部分の記憶が欠落するのだ。
むしろ有名な街を訪れたことよりも、不通の何の変哲もない道路わきの屋台で買った「スイカが美味かった」なんてことのほうが、はっきりと記憶に残ったりするものだ。
このカトマンズの章を読んだ記憶が抜け落ちていたことは、印象が薄いということ以外にも、なにかあるのではないかというヒントが、「旅する力 深夜特急ノート」に書かれていた。
新刊「旅する力」には、深夜特急執筆にまつわる話が数多く載っているのだが、このカトマンズの章の大切な記録であるある文章(メモだったか)が著者の手元に残っていないのだという。
著者が自分の記憶に大部分を頼って描き出した「ノンフィクション」は、資料を駆使したノンフィクションと比較して、圧倒的に力が落ちる。
このカトマンズに於ける物語を読んだのを忘れてしまっていた、という私の記憶の欠落は、こういう「書物のオーラ」のような力が、少しばかり不足していたからかもわからない。
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