<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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えらいことになった。
かつて日本の自動車メーカーはトヨタと日産の2社寡占だった。
その他のメーカーは自動車というよりもスズキ、ダイハツ、ホンダが軽自動車メーカー。
マツダが軽とロータリーに代表される奇抜自動車。
富士重工はもっとマニアックで一部ファンのための自動車メーカー。
三菱自動車は自衛隊御用達。

と、そんな感じだった。

ところがバブルが弾け、2つの大震災が日本を襲い、金融ショックにコロナのパンデミックが終わってみるとトヨタ自動車が市場のかなりパーセンテージを占有し、日産は国内3位。
バイクと軽自動車のホンダに抜かれ、気がついたらトヨタの3分の1、ホンダの7割の売上というような状態に転落していたのだった。

その日産がホンダと経営統合を発表。
三菱グループのお荷物と揶揄される三菱自動車もそのに加わるとみられているが、要はホンダが2社を飲み込んでしまうようなイメージだ。
なんといっても会社トップはホンダで決めると言うのだから。

日産はそもそも鮎川義介が興した会社というイメージがあるが、実際は多くの中小自動車メーカーを飲み込み地位とブランドを作った。
初めてアメリカへ行った1978年。
ロサンゼルスの市内で「ダットサン」なるブランドの日産車を数多く見かけたが、それが日産に買収されたメーカーのブランドであることをアメリカで知ったのであった。

その日産が今度は吸収されてしまうのか。

ホンダの創業者は伝説の本田宗一郎。
この人は本田技研を起こす前、つまり戦前はトヨタ系の自動車工場の工場長をしていたということを聞いたことがある。
間接的にトヨタが日産を飲み込むイメージなのか。

ともかく「バイクのメーカー」と日産が馬鹿にしていたホンダは今や航空機メーカーでもあり日産にイメージを凌駕しているんじゃないかと思えなくもない。

スカイラインやエルグランドがホンダのマークを付けて走る日はそんなに遠く無いのかも知れない。


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