大学を卒業し、社会人になったばかりの頃。
つまり1980年代の半ばのこと、建築設備関係の会社で働いていた私は毎朝現場で実施される朝礼の後に必ず現場近所の喫茶店に行くのが日課になっていた。
つまり朝の早くからサボっていたわけだが、これは私の責任ではない。
いつも行動を共にしていた私の上司の習慣に私が巻き込まれていただけで、それが感染してしまったのは私の責任ではある。
加えて私は朝のコーヒータイム以外に、午後のコーヒータイムを楽しむようになり毎日一日に二回は喫茶店に足を運ぶようになった。
午前午後、都合1時間は「休憩」という名のサボリをしていたというわけだ。
この頃の喫茶店は新聞や雑誌を置いてあり、テーブルにつくとウエートレスやおばちゃん、おっちゃんなどの店員が注文を取りに来てくれるような場所であった。
コーヒー一杯は郊外なら250円、大阪市内や神戸市内なら270円から300円、京都なら300円から350円というところだった。
このオーソドックスな喫茶店がいつの間にやら姿を消してしまった。
それに代わって登場したのがセルフサービス式の「カフェ」。
喫茶店とは呼ばずに「カフェ」と呼ばれる店が街に溢れるようになった。
ドトール、スタバ、タリーズ、サンマルク、カフェデクレア、プロント、エクセルシオールなどなど。
厳選されたコーヒーを自分スタイルでおしゃれに、そしてリーズナブルに提供するのがこれらのお店の共通点でだが、雑誌や新聞を置いている店は少ないし、春夏の高校野球を観ることのできる場所は、まずない。
このカフェビジネス。
市場規模2兆円とも言われるこの恐るべきビッグ市場なのだそうだが、これをレポートしたのが高井尚之著「日本カフェ興亡記」。
東京、大阪、名古屋のカフェ文化、そしてドトールとスタバを代表として、そのビジネススタイルを経済的、文化的な視野からとらえている目から鱗的情報に溢れているノンフィクションだ。
実際、この本を読むまでプロントがサントリーとUCCがほぼ折半で出資しているカフェチェーンであることなど知らなかったし、コーヒー一杯のびっくりするような原価も知ることはなかった。
さらに、この市場の一割がドトールとスタバで占有されていることも知らなかったし、私にとっては新しいはずのこのカフェ市場が、今、マクドナルドやモス、ミスドなどの進出により急速に変化を始めていることにも気がつかなかった。
つまりカフェとファーストフードの垣根が無くなってきているというのだ。
本書を読むと、コーヒーを楽しむ感覚も、別の意味で深みを増す。
なかなか面白い、あっという間に読み終えた一冊なのであった。
~「日本カフェ興亡記」高井尚之著 日本経済新聞刊~
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