<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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以前から行こう行こうと思っていて、ちっとも訪れることの出来なかった山種美術館へ行ってきた。
目的は「日本画鑑賞」。

高校生になるまで私は絵画といえば印象派のモネやマネ、ミレーやルノワールといった画家の作品が好みで、京都や大阪、神戸で開催される展覧会には小遣いを手にしてよく出かけたものだ。
とりわけ高校生の時に京都市立美術館で開催されたミレー展では大きな感銘を受け、ミレーの人となりを想像しては、

「画家は素晴らしい、しかし容易に生活できないのは素晴らしくない」

と思ったものであった。

そんな印象派オンリーの楽しみ方、というか西洋画から日本画への魅力にとりつかれたのは大学時代、大阪市立美術館で開催された池田遙邨展を訪れた時であった。

それまで日本画というと水墨画とそこに記された漢文の詩を連想してしまい、「堅苦しい」という印象しか持っていなかったのだが、池田遙邨の色彩豊かで、空気を感じさせる日本画は、私の心を捉えてしまったのだった。
以後、東山魁夷や平山郁夫、巨匠・横山大観などの日本画を楽しむようになりすっかり西洋画だけの世界からは足を洗ったのであった。

ま、要は勉強不足だっただけなのだったが、そんな日本画大好きな私は、頻繁に大阪と東京を往復する仕事について恵比寿駅で降りるたびに、

「ビールもいいけど日本画モネ」

という希望を抱き、日本画コレクションで有名な「山種美術館」を訪れようと思っていたのだった。

ところが山種美術館というところは、恵比寿の駅からは多少距離が離れている上、広尾に向かって伸びるなが~い坂を登らねばならなず、

「いきたいけど、面倒くさい」

という状態が続き、仕事が忙しくて開館時間内にこのあたりに行く事ができずに、これまできてしまった。
そんなところで、たまたま東京で休日を取ってカミさんも大阪から呼び出して合流し、この美術館をついに訪れたのであった。

山種美術館は想像していたよりもこじんまりとした美術館で、時節柄美術館経営が難しい今日、場所が場所だけに固定資産税を払うのが大変ではないかと想像していたのだったが、そのへんな先入観は間違っていたのであった。
美術館では「夏休み企画・美術館で旅行!東海道からパリまで」が開催されており、旅好きの私にはピッタリの展覧会なのであった。

「東海道からパリ」

まるで沢木耕太郎の深夜特急のルートでもたどるかのようなタイトルなのであったが、今回は前期ということで、東海道も江戸から静岡まで。
私の地元の大阪までは展示されておらず、

「後半も来いよ」

という構成は遠方から来ているものにとってはいささか迷惑な企画なのであった。
私はいい。
私は1~2週間に1度は必ず東京にきており、無理をすれば後期開催中もここ広尾までくることができるだろう。
でもカミさんはどうだ。
東京まで出てくるのは交通費自腹ということを考えるととても容易なことではない。
しかも、この手の美術展を二人で訪れたあと、

「後期、行ってきたで」

と一人で行ってきたりしたりすると、少々対応が面倒になる。
カフェでケーキセットプラス、ショートケーキぐらいは食べさせなければならないだろう。

ともかく、チケットを購入して入場した。
まずは永谷園のお茶漬け海苔でも有名な歌川広重の東海道五十三次の錦絵が展開されており、いきなりグググっと興味をひかれる。
永谷園のカード以外、しかも本物の摺物を見るのは滅多に無く、その刷り具合、絵の構成、版元の力量などが伺えて実に楽しいのだ。
その他、横山大観や川合玉堂の作品も展示され見応え十分。
平山郁夫のシルクロード絵も素晴らしいが奥村土牛の「伊藤博文の旧宅」の絵を見て、20年ほど前に萩にでかけて、街中ウロウロと歩きまわったことを思い出した。

あの頃。
私の旅は主に西日本中心で、その時は新幹線で新大阪から新下関へ出て在来線で下関駅で下車。
駅前で右翼の青年がビラ配りをしていたのが凄く印象に残っている。
なぜ印象に残っているのかというと、右翼といってもまったく怖い感じがなく、逆にものすごく礼儀正しい人でビックリしたので印象に残っているのだ。
さすが、長州山口だ、とヘンな感心をしたのであった。
あとは高杉晋作のお墓や赤間神宮などをお参りし、萩、津和野と巡ったのであった。
また下関からは山陰線を早朝の普通列車にのったため、仕入れた魚を担いで沿線の街々へ売りに出かける行商のオバサン連中の中に巻き込まれ、非常に楽しい想いをしたことも思い出したのであった。

たった一枚の絵画だけで、それだけ想像や思い出が蘇るだけに、展覧会を見終わって外に出たら、なんと2時間以上の時間が経過していたのであった。

ここ山種美術館の1階のカフェでは美術展の絵画にちなんだ和菓子を味わえるということで、私たち2人は迷うことなくカフェに腰掛けお茶セットを注文した。
私は鳴門のうず潮をイメージしたお菓子。
カミさんはお江戸日本橋をイメージしたお菓子。
カミさんはともかく、東京に来てまでワザワザ鳴門のうず潮のお菓子を食べてしまったのか、と後で少し後悔したのだった。

とはいえ、先々月に京都へ行った時に食べた「伝統和菓子」よりも何倍も美味しい江戸の和菓子にビックリし、香りの魅力的なお茶もいただき、美術館をあとにしたのであった。

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