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サイズが小さな国ベトナムと大きな国中国。
この2つの国は歴史的にとっても仲が悪いことで知られているが、例えば日本が付き合うべきはどちらの国であるのか、明らかだ。

1974年。
日本政府はベトナムのハノイ市内のホテルに大使館準備事務所を開設。
来るべきサイゴン解放に伴う南ベトナム崩壊に備えて、ベトナム全土を統一することになるであろう北ベトナムを正式の国家として認めて大使館を置く準備を始めた。
この準備には外務省から外交官が一人だけ派遣され任務についたという。

準備室に相応しい事務所を確保したホテルにはオランダ他、日本と同じ他の西側の国々が大使館設置準備のために事務所を開いていたという。

ある日、雇い入れている公用車で郊外に出かけ、戻ってくる途中に大きな橋があり、そこを通りがかった所で橋を渡る群衆に遭遇し、車が前に進めなくなってしまった。
外交官は「大丈夫かな」と思ったという。

長年に渡り日本は米国が肩入れしてきた南ベトナムを支援。
当然、北ベトナムの国民は米国や南ベトナム軍の空爆などで大きな犠牲を出していて、少なからず日本に敵愾心を抱いている可能性が考えられる。
折しも、大使館準備室の車だけに、通せんぼされてしまった車には日の丸が翻っていた。
群衆が車の日の丸に気づいた。
男たちが車を取り囲む。

「これはやられると思った」

というようなことが確かその本には書かれていた。
日本の外交官の乗った車だとわかったら、石礫でも投げつけられるものと思ったのだ。
ところが違った。
ベトナム人の群衆は日本政府の公用車を取り囲み、ニコニコしているではないか。
ドライバーだったか、通訳だったかが、その日本人外交官に通訳した。

「みんな『嬉しいな、懐かしいな、日本が帰ってきたよ』って言ってます」

北ベトナムの日本への感情は悪いものではなく、みんな自動車についていた日の丸を見て喜んでいたのだった。

考えてみれば第二次世界大戦中にバシー政権下のフランス領ベトナムに進駐した日本軍はベトナム人にとっては特別の存在だったことが様々な書籍に書かれている。
それまで主人格であった白人にとって代わり、自分たちと全く同じ顔立ちと肌の色をした日本人が正々堂々と白人国家に対している。
ベトナム人がこれに大きく動かされ、戦後、独立への険しい戦いに臨んだのは歴史のとおりだ。

このエピソードが書かれていたのは確か元外交官、今川幸雄著「ベトナムと日本」(連合出版発行)。
駐ベトナム民主共和国日本大使館の開設準備をした人で、私もこの本を読んだ時はビックリしたと同時に、ベトナムが日本にとって良きパートナーになっている現在を納得もしたのであった。

翻って中国はというと。
走行中の日本大使の公用車を別の自動車2台で塞ぎ、日の丸をもぎ取って走り去ったのだという。
まるでチンピラ、暴力団。
ハリウッド映画の1シーンのようだ。
これがメキシコと同じなら拉致もありうるシチュエーション。

ベトナムと中国。
国の大きさと民度のレベルは比例しないいい例だ。

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