<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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もうかれこれ10年ほど前になるのだが、大阪市内のお客さんのところに納品した製品の不足していた部品を取り付けに行った時のこと。
作業している途中で部品を目隠しするための金属製パネルがツルッと落ちてきて、作業していた右手の甲を切ったことがあった。
ちょうどギロチンの要領だ。
あまりにもスパッと切れたので、切った時は痛くなかったのだが、切れ目が長くて深いので、
「これは大変な傷ができたわい」
とすぐに分かった。
自分が凄く冷静だったのは先述したように痛くなかったことと血が出ていなかったこと。
そしてお客さんが雰囲気が静かな弁護士事務所であったことだろう。

「すいません。ちょっと、病院へ行ってきます」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。」
「救急車呼びます?」
「救急車を呼ぶに及びません。ほら、傷は大きんですけど、血が出てないので」
「ホントですね」
「ホントです」
「血、無いんですか?」
「そんなわけありません」
「そうですよね」

と妙な会話を事務の女性と交わしてから北区役所の近くにある総合病院へ向かった。

病院に到着したら係の人が傷を一目見るなり、

「すぐこっちに来てくださいね」

と救急受付へ私を誘導。
すぐに診察室から呼び出しがかかって私より5つ以上は上の年齢らしい男の先生が、

「これはこれは。よ~切れてますね」
「はい」
「痛くないですか?」
「あまり痛くないんです」
「スパっと切れてますもんね。縫いましょか。」
「ない」
「え~と、(看護婦に)みんな呼んできて」

先生が「呼んできて」と指示したのはインターンの学生で、白衣を着た学生5~6人が私と先生を取り囲むとボードを片手にメモを取り始めた。
私は麻酔薬を注射され、あとは先生のなすがまま。

「ここ、白いの見えてるでしょ。これだけ深く切れてるのも珍しい。」

真剣な学生たち。一方私は「実験台かい」と心のなかでつぶやく。

「消毒します。それピンセット。(傷口に綿に含んだ消毒液を擦り付けながら)ほれほれ、これ、麻酔なかったら、この患者さんメチャクチャ悲鳴上げてるはずやけど、麻酔しているから、ケロッとしているでしょ」

「放っといてくれ」と私は心でつぶやく。

結局7針を縫ってそのまま客先へ帰って残りの仕事を部下に指示。
今ではその傷跡もほとんどわからなくなった、まあ、ちょっとした事件だった。

それで思い出すのが「もし麻酔がなかったら」
というシュチュエーション。
人類が医学の中で最も大きな発明というか発見をしたといえば、もしかすると「麻酔の発見」だったのかもわからないと、今更ながら思うのであった。

ジェリー・M・フェンスター著「エーテル・デイ 麻酔法発明の日」(文春文庫)は1864年にボストンのマサチューセッツ総合病院で初の麻酔手術が行われたその日を中心に、麻酔薬の発明・発見に関わった男たちを取り上げたノンフィクション小説だ。

当然、この1864年までは外科手術は麻酔なしで実行され、腕の切断、足の切断、抜歯、内蔵摘出、がん摘出、なんでもかんでも麻酔なしで行われていた。
そのため患者の苦痛は並大抵ではなく、このあたりは今でも想像するとサブイボが立ってしまうくらい恐ろしい。

まず、手術室は今とは全く違った。
中央には手術台ではなく患者を縛り付けるための台または椅子が置かれ、外科医は体格の良い男性で、補助する看護師たちは屈強な男たちであった。
執刀する外科医は飛び散る血を受ける作業ズボンとエプロンという姿。
手術室は患者の叫び声が聞こえないよう病院の最上階に設置されていた。

患者の扱いも当然異なる。
患者は手術用の台または椅子に縛り付けられ身動きできないようにされた上、外科医の執刀を受けた。
これを恐れるがあまり、手術の前に自殺する患者さえいたという。

麻酔の登場で、この地獄の外科室は一変した。
外科医にとっても非常に苦痛だった、患者を押さえつけ、その叫び声を聞きながらの作業はなくなった。

当然こういう薬が登場すると金に群がる人たちも登場するのは今も昔も変わらない。
本書はそのへんを詳しく描いているのが魅力的で、ともすれば、麻酔の登場が人の命を金にすることに人が無神経になった最初のケースではないかとも思えるのだ。

エーテル・デイ。
手の傷を考えるたびに、麻酔があってよかったと思う、一冊なのであった。

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