<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ゆりかもめに乗って新橋から東京ビックサイトに向かう。
レインボーブリッジを渡って台場を過ぎ、休館中の船の科学館の前を通りかかると、科学館横の埠頭に繋留されたオレンジ色の船が目にとまる。
かつて日本中の注目を集めて南極に向かった南極観測船「宗谷」だ。

この初代南極観測船「宗谷」が実は元海軍の特務艦だったことは、私は全く知らなかった。
太平洋戦争では多くの将兵が玉砕した激戦地の南洋で活躍、敵魚雷も命中したが幸運にも不発弾だった。
4年間の戦争を奇跡的に生き延び、戦後は邦人の引揚船として、そして灯台補給船として活躍しているところを砕氷能力を備えていたことと強運の持ち主ということから南極観測船として白羽の矢があたり、日本人に勇気と希望を与えるために南極に赴いた、劇的な経歴を持つ艦船なのであった。

先月、大阪難波の書店でいつものように何か面白そうな本はないものかと探していたら、平積みされた「宗谷の昭和史ー南極観測船になった海軍特務艦」大野芳著(新潮文庫)と表紙に書かれた本書を見つけたのだ。
ただ単に「宗谷」と書いているだけだったら、もしかすると買わなかったかもしれない。
南極観測船については興味がないことはないが、どちらかというと現在活躍している2代目しらせの方が興味がある。
ところがそこに「海軍特務艦」という文字を見て、宗谷が海軍の軍艦であったことを知り、その数奇な運命を知りたくていてもたってもいられなくなり、買い求めたのだった。

それにしても船の生涯は人のそれによく似ているという在りきたりの言葉があるけれども、「宗谷」のそれはあまりに劇的だ。
「宗谷」はその誕生からドラマであった。
宗谷の発注主はなんとソ連。
同時発注された3隻の砕氷能力を備えた貨物船のうちの1隻だった。
しかし、宗谷はソ連に引き渡されること無く日本のために活用されることになる。
昭和13年の当時、時代がソ連に引き渡すことを許さなかったからだ。

驚きは誕生から今日まで、様々な人と関わっていくのだが、それは読んでのお楽しみ。
初代南極観測船「宗谷」の物語は、戦前戦後を生き抜いていた私たちの祖父母や父母の世代と共通しており、今の日本人にも勇気を与えてくれるのは間違いない。

それにしても「宗谷」ってもとは蒸気機関で動く船だったなんて。
さらに今でも法的には現役の船としていつでも出帆できるよう検査もしっかり受けて認可されている船なんて。
齢75歳。
次にゆりかもめに乗ったら、船の科学館駅で下車して宗谷を訪れたくなる一冊なのであった。

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