子供の頃はテレビで歌っている歌手の力量などあまり気にすることはなかったように記憶する。
私は1960年代の生まれなので、極端なへたくそな歌手はそう簡単に見つからない時代でもあったのかもしれない。
ところが小学生高学年の時に浅田美代子が現れ、「歌手は歌が上手い」という思い込みは、単なる幻想にすぎないことがわかった。
「赤い風船」
を歌った浅田美代子の歌唱力は当時、群を抜くへたくそさで、それでいて大ヒットしたのだから、小学生の私にも歌謡曲のヒット条件は必ずしも歌のできではないことがわかった。
それでもまだまだ、
「浅田美代子は特別だ」
との微かな願いを、胸に秘めていたのだが、やがて大場久美子が登場し、田原俊彦がアイドルの頂点に経つに至って、
「歌の質などどうでもいい」
という境地に到った。
先日、民放で懐かしのアイドルのビデオ特集が放送されていて、
「お~、昔はこんな歌の下手な歌手がいたものだ」
と感無量になったのだが、少し間を置いて愕然としたのは、そのへたくそな歌に妙な愛着をもってしまっていることと、ついでながら、現在のアイドルの上手いようでメチャクチャへたくそな歌に味わいのないことに気づいてしまったことであった。
たとえば、私が大学生時代のアイドルと言えば松田聖子や小泉今日子なのであったが、松田聖子はともかく、小泉今日子の歌唱力は浅田美代子や大場久美子と比べても遜色のないくらいに「音痴」なのだ。
ところが、この小泉今日子の音痴の魅力は、それがなんてったってアイドル的に、いわゆる今日も魅了されているきょんきょん的魅力に直結していることで、あのつたない歌唱力が小泉今日子の魅力を十二分に増幅していたのであった。
小泉今日子よりも若年世代になるカミさんなども、
「きょんきょんって、下手やけど、上手い」
とわけの分からない評価を、テレビを見ながら下していたのであった。
他にもヘタッピ歌手はたくさん現れた。
とりわけジャニーズ系アイドルは3人以上のグループを形成しているのだが、現在のアイドルグループと比較しても歌のテクニックは「上手い!」とは言いがたく、それでいて味があるのはどうしてなのだろうか、と思ったのであった。
とどのつまり、昔のアイドルと現代のアイドルではプロとアマもしくはセミプロといった違いがあるのではないか、と思ったのであった。
きょんきょんはきょんきょんで小泉今日子の舌ったらずの歌い方で魅了するよう綿密にプロモーションされており、それは他の売れたアイドルすべてに言えることではないかったのではないか。
おニャン子登場以来の「素人っぽさ」を売りにするようなことはなく、ティーンズはティーンズとしてのプロのアイドルとしてしっかりとプロモートしていたのだろう。
だから当時のアイドルはスキャンダルも少なく、やっている本人もプロ意識があるので、失言はほとんど聞かなかった。
今のように、男を作っては丸坊主になったり、左遷されたりするということもなかったのだ。
ということで、アイドルの歌唱力を真剣に考えるのは無粋なことかもしれないが、それはそれで芸能界のプロ精神をはかるには、なかなか面白い尺度かも知れないと思ったのであった。
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