「石川県の人口は130万人で全国トップだった」
(明治20年頃の調査では新潟県がトップ)
というのは明治維新の頃の話。
当時は東京や大阪よりも人口が多かったという。
現在の石川県の人口は110万人弱。
あまり人口として変わりはないように思われるけども、人口の半分が金沢市に集中している。
そのことを考えると他の地域は過疎地域といっても間違いはない。
全国的には東京への一極集中がなかなか是正できないできているが、ひとつの自治体をとっても県庁所在地にのみ人口が集中している状況だ。
この県庁所在地集中は地方行政にも大きな問題で、昨年の地震から能登半島の各市町は人口減に拍車がかかり復興事業にも影響が出ている状況だ。
なぜ明治維新の頃、地方の人口が多いかというと、それは農業生産のためだった。
当時、農業は人海戦術。
田植えも草取りも稲刈りも、精米も、すべて人力で行っていた。
だから村方に人数が必要だったこともあるし、江戸時代はある程度農業従事者の往来が規制されていたということもあり、大都市圏よりも人口が多かったのだ。
つまり農業という人材を必要とする職業が地方に存在して重要な地位を占めていた。
果たして今はどうか。
ちょっとしたヒントがあるように思える明治維新頃の石川県の人口なのであった。