
途中の駅「石才駅」に到着した。
ここでは結構な人数が乗降するようで運転席横の扉は混雑していた。
電車に乗ってくる人も少なくなく、次の扉からは次々に乗客が乗り込んでくる。
私の車両の扉は開いていない。
ふと、外を見てみると夫婦と思われるお爺さんとお婆さんが開いていない扉の向こう側に立っているのだ。
どうやらドアが開くのを待っているようで電車に乗りたいらしい。
ところが一向にドアが開く気配がないので、どうしようかと困っている雰囲気なのだ。
時間は刻一刻と過ぎていく。
しかし二人の待っている扉は開かない。
前述したように、こんなシステムの電車は大阪では阪堺電車ぐらい。
阪堺電車は路面電車なので1両編成がほとんどだから迷うことはまずない。
でも、二両編成の水間鉄道では二両目の扉が開かないことは、正直地元の人しか知らないかもしれない。
ああ、このままでは二人を残して電車が出発してしまう。
運転手はこの二人に気づくのだろうか。
私と同じように何人かの乗客が二人に気づき、
「乗るのは前やで」
と私も含めた何人かが二人にジェスチャーで「前へ行け、前へ」とやり始めたのだが、やはりそこはお年寄り。
なかなか気づかない。
乗降が終わりそうになってきた、運転手は電車を発車させるかもしれない。
「おーい、前や前へ」
お爺さんのほうが、中の乗客のジェスチャーに気づいた。
指で前を指して、
「?」
てな表情をしている。
そんなことしている場合やないのだ。
二人よりも乗客のほうが焦ってきた。
なんで電車で緊張感が走らなければならないのだ。
電車の中と、外の二人。
運転手はそのような状況に気づいていないのかドアを閉めようとした。
「あかんあかん、待って」
と誰かが言った。
そこで運転手も気づいて扉を閉める手を止めた。
お爺さんは呆然とするお婆さんの手をとって前に小走りに移動し始めた。
そして乗車口を通過し、下車口のほうへ歩いていった。
「違う違う」
と電車のなかの乗客にはオーラが漂う。
運転手が「あっちから」というように言っているのか、二人はまたまた小走りに方向を180度変えて、乗車口に回り込んだ。
整理券に気付かなかったが、周りの人が、「整理券取りや」と言ったのか、二人は整理券を発行機からとってロングシートの座席に座ったのであった。
車内では安心感が漂い、電車の扉が閉まり再び走り始めたのであった。
終点の水間観音駅には往年の車両が展示されていた。
クリーム色とオレンジのツートンカラー。
木造レトロな車体。
映画「千と千尋の神隠し」に登場した一方方向にしか走らない電車を彷彿させるその車体は、水間鉄道が和歌山まで延伸するかもしれないという期待に胸膨らませた時代の象徴なのだろう。
今ではその横に小さなハウスが建てられていて、マルシェやギャラリーが開催されているようだ。
水間観音こと水間寺は9世紀に勅令によって行基が建立した寺ということで、大阪南部でも重要な位置を占めている。
したがって何かと法要や祭などのイベントが多く、参拝者は少なくないのだが、殆どの人は自動車で訪れる。
自動車のアクセスも阪和自動車貝塚ICから10分もかからないし、関西空港からも車だと府道外環状線を使うとすぐの位置だ。
だから今では水間寺の参拝に水間鉄道を利用する人は多くはない。
しかし、他の多くのローカル線と同じように一旦廃止してしまうと、その復活は難しい。
水間鉄道は都心部でもローカルエリアでもない都市部を走る鉄道として、どのような生き残りを図るのか。
地方で赤字に苦しむ鉄道会社と比較して、様々な選択肢と可能性に恵まれているのではないかと私は思ったりしながら、水間観音駅から水間寺までを歩いたのであった。
それにしても枕木プレート、ヘッドマーク、マルシェなど、水間鉄道の様々な取り組みは利用者や周辺住民に大きな元気を与えているように感じられた。
「利用者が30万人減少する」
と恐れながら、一方では外国人旅行者の急増で利益を上げながら、未だに英語での車内アナウンスもない南海電車と比較すると、もしかすると水間鉄道の方が会社としては至極真っ当なのではないか、と思えるミニ鉄道旅なのであった。
なおこのブログを書いている間に産経新聞でも水間鉄道が取り上げられていた。
タイミングの良さにビックリしたのだが、注目する人は注目する鉄道なのであろう。
ついでながら、水間鉄道の親会社のうどん屋さんはグルメ杵屋で、この大晦日には振る舞いうどんのイベントもあるという。

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