台風21号で関西空港が大変なことになって、その大変なまま運行再開をした9月7日。
私は幕張メッセで開催されていた展示会へ日帰り出張。
行きは新幹線だったのだが帰りに成田空港からピーチエビエーションの関西空港行きに搭乗した。
私は大阪〜東京は自宅が関西空港のほうが新大阪駅よりも圧倒的に近い関係で飛行機で移動することが多い。
その日、大阪から東京へ向かう時はさすがに朝の飛行機便は復活しておらず新大阪から新幹線でゆっくり東京へ向かった。
あまりに久しぶりなのでエキスプレス予約の会員番号とパスワードを忘れてしまっているのではないかと思い、前夜にメモをひっくりかえして確認した。
そしてスマホでの予約の手順も忘れていているかもしれないので、念のためにパソコンで予約をいれておいた。
新幹線に乗るときはいつも駅に着いてからきっぷを買っていたのだが、スマホでの操作に自信がなかったのだ。
新幹線の予約を入れたのはピーチでの往路の欠航をピーチが飛ぶのかどうかを確認してからだった。
実は今回の展示会出張は1ヶ月以上も前から決まっていて場所が幕張ということもあり、成田からが近いのでピーチのチケットは買っておいた。
それも経費節約で最も安いシンプルピーチを選んでいた。
シンプルピーチならオプションの保険を入れても大阪〜成田往復1万6千円ほど。
さすが、空飛ぶ電車。
LCC。
新幹線の片道料金に若干プラスの高速バス並み料金なのであった。
ところがこのチケットは客の都合でキャンセルを入れるとキャンセル代を徴収されるチケットだった。
キャンセル代は決して安くなく、いわばチケット代を放棄するような感覚でのキャンセル代なのだった。
これまでピーチを何度も利用してきてキャンセルになったことはなかった。
だから今回も遅れることはあってもキャンセルになるようなことはないだろう、と勝手に思い込んでいたのだ。
ところが台風が関空に決定的ダメージを与えた今回。
飛行機が飛ぶのか飛ばないのかが大きな問題となった。
キャンセル料は払いたくないので飛ぶのであれば乗る必要があり、飛ばないのであれば代替ルートを確保する必要がある。
もちろんピーチから「フライトキャンセルの知らせ」を確認する必要がある。
にもかかわらず、ピーチはなかなか飛ぶのか飛ばないのかを発表しないので、こっちも伊丹から青い翼で飛ぶのか新大阪から新幹線に乗るのか決断することができない。
ようやく行きはキャンセル、帰りの便はフライトするというのがわかったのは前夜遅くなのであった。
成田空港へ着いたときいつもなら長い列ができているピーチのチェックイン機の前には数人がいるだけ。
これはやはり大勢がフライトキャンセルをしたのだと思った。
ところが実際に乗ってみると座席の8割は埋まっており、相変わらずの人気であることがわかった。
安さはフライトの便利不便利よりも魅力的あるようだ。
搭乗口に表示されていた「行き先 関西空港」という表示がなんとなく、阪神大震災の4ヶ月後に大阪駅で見た新快速「姫路」と書かれた表示を見たときの感動に似たものがあった。
関空までのフライトはいつもの通りで第2滑走路への着陸もいつもの通りだった。
いつもの通りではなかったのはフライトポイントをつける登録機が休止されていたことと、第2ターミナルから乗ったバスが第1ターミナルを経由するもそのまま南海電車の泉佐野駅まで行ったことだった。
第2ターミナルは銀座ライオンが閉まっていたがプロントもコンビニも営業していて、いつもとあまり変わらない風景だったが、第1ターミナルは薄暗く寂しげな雰囲気だった。
道路を走るバスから眺めると空港には数機のANAの飛行機がターミナルに接続されたままになっていた。
鉄道の無いのは本当に不便だ。
そこで思い出したのは初めて利用したときの大阪空港。
あれは1981年の春なのであった。
当時、大阪(伊丹)空港はアクセスがバスしかなかった。
大阪市内からはリムジンバスで向かうのだが、これが時間が正確ではないという欠点があった。
今も多少ある。
市内から空港へ向かう阪神高速道路空港線(現 池田線)は空港だけではなく中国自動車道へ抜けるアクセス道路でもありその混雑はかなりひどい。
とりわけ空港から大阪市内へ抜けるには通常30分ほどがひどいときは90分はかかるということも珍しくなかった。
私はこのバスでのアクセスが大嫌いで、当時は高校生でもあったことから「イライラするな、もう」という感覚なのであった。
このため「空港は不便。よって飛行機は値段も高くてもっと不便」という思い込みがあった。
あれから40年近く。
すっかり時代は変わったのであった。
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