「免許を返上した」
不服そうにそう私に言った時、父はまだ80歳前。
長年自営業を営んできていたが高齢を理由に廃業して数年しか経っておらず、本人にしては「まだまだできる」と考えていたところで免許の返上をしたわけだ。
私は勇気ある判断だと思った。
しかし、その理由を聞いて、「親父らしい」と思ったのであった。
「なんか講習を受けぇ言うんじゃ。タダか?と訊いたら金が要るという。それも何千円も。わしゃ即座に免許の返上することにした。」
単なるケチンボなのであった。
年金生活を始めたところで生活費は母の管理下にあって小遣いは制限中。
何千円もする高齢者講習を受けてまで運転免許を更新しようとは思わなかったところが、まさしく私の父なのであった。
それ以降、父は自転車で頻繁にでかけるようになって遠方は最寄りの駅から私鉄か地下鉄で移動している。
もはや車は必要ないらしい。
一度だけ「車があったら」と言ったのは郷里の岡山で兄が亡くなった時で、その時は新幹線で大阪から出かけるのがかなり億劫に感じたようだった。
岡山の実家の村には鉄道の駅はなく、最寄りのJR伯備線の駅からはタクシーかバスになる。
吉備王国としての観光地でもあるのでレンタサイクルも選択肢としてはあるはずなのだが、父にはそのことは頭になかったらしい。
大阪や東京は公共交通が発達していた高齢者でも歩くことができれば移動はさして難しくない。
しかし、父のふるさと岡山のような地方都市の場合はどの街にも鉄道が通っているわけではないし、路線バスも本数が限られる。
畢竟自動車なしの生活は考えるのが難しくなり、免許の返上が選択されることも難しくなるのだろう。
ただ1つ、高齢者の免許返上促進は高額な更新費を設定することである程度抑制できるのではないか。
私の父の例を思い出したら、そんな考えが浮かんだ。