先月は京都の伏見で仕事の納品があって、週に何度か訪れた。
京都伏見といえば大阪方向からは京都の玄関口であり、造り酒屋が多く、古い町並みと淀川水系の河川の風景の美しいところだ。
伏見には大学時代の友人の一人が住んでいるのだが、伏見のエリアは非常に大きくいわゆる三十石船の船着き場があった伏見にはなかなか出向ことがなかった。
従って、坂本龍馬で有名な伏見の船宿「寺田屋」へ行くこともなかったのだ。
たまたま納品場所が京阪電車中書島駅から歩いて10分のところにあり、途中にこの有名な「寺田屋」がある。
予てからその寺田屋をひと目見てみたいと思っていた私は少しく道をそれ、伏見の古い町並みの一角に残る寺田屋の建物前に初めて立ち止まったのであった。
大学時代を京都で過ごした幼馴染の話によると「寺田屋には刀傷が当時のままで残っていて、なかなか歴史をリアルに感じせさせる面白い場所だ」なんてことを聞いていた。
だから私も寺田屋事件の舞台になったこの江戸時代の宿屋を一度訪れ、ぜひその「おいごと切れ!」などと凄い乱闘の合った場所の空気を感じてみたいと思っていたのだ。
実際に訪れてみると木造の古いその作りが当時を思い起こさせ、戸をあけるとお竜が出てきそうな雰囲気もないことはない。
小説で読んだり、地図で見るのと違って現場へ出向くと周辺との距離感も含めて感ぜられるのがこれまた面白い。
寺田屋からは伏見の船着き場は司馬遼太郎の小説の中に描かれていたようにすぐだし、歩いて100mもしないところに長州藩伏見屋敷跡(京都市伏見土木事務所)なんてものもある。
伏見の激戦場跡などという石碑もあったりして幕末維新の雰囲気が今も感ぜられるようであった。
ところが、帰宅してFBに写真をアップしたりしていると、その伏見の友人が、
「大きな声では言えませんが、江戸時代の伏見寺田屋維新後焼けて今あるのは明治に再建されたものなんでっせ」
とのこと。
刀傷なんかは詳細に復元されたディテールのひとつなんだという。
幕末維新から150年。
たった150年。
されど150年。
歴史の幻は幻のままであったほうが良かったのかも知れないと、すこしばかり考えてしまった令和最初の一ヶ月なのであった。