萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第41話 久春act.5―side story「陽はまた昇る」

2012-04-27 23:55:34 | 陽はまた昇るside story
花、ほころぶ



第41話 久春act.5―side story「陽はまた昇る」

父と姉は予定通りの時間に訪れ、茶の席に座った。
茶道口から現れた周太の端正な袴姿へと、父が賞賛の視線を送ったのが解かる。
姉も見惚れながら微笑んで、そっと英二に目配せを送った。

「初めてお目にかかります、湯原周太です。お出で下さって、ありがとうございます」

挨拶に微笑んで、周太はゆるやかに辞儀をおくった。
静かに姿勢を戻した端正な姿が美しい、あわい翡翠色の着物に薄紫の衿は菫の花を想わせる。
いまベッドサイドに活けられている薄紫の花、あの花の記憶を想う視界の端で父が返礼をした。

「初めまして、英二の父です。伺っていた通り、きれいな方ですね。男性に失礼かもしれませんが」
「お恥ずかしいです…でも褒めて頂いて、ありがとうございます」
「奥ゆかしい方ですね?お席の設えも、着物も上品で。どうぞ今日は、よろしくお願い致します」

恙ない挨拶に点法が続き、和やかな茶の席が穏やかな空気を作っていく。
やさしい空気を作っていく婚約者の手捌きが美しい、見惚れながら英二は真昼の夢を見つめた。

―…すみれ、きれい…

真白なリネンのベッドに沈みこんだ幸福な時間。
この時を過ごす前に白木蓮の薫る浴室で、明るい光のなか小柄な体を裸身にした。
紅潮そまる肌は桜いろ咲いて、湯を弾く水の玉が滑るのを見つめながら、恥らう体を指でほどいた。
自分の手で仕度を施した恋人の体はベッドで、やわらかな撓みに添い合えて、あまやかな温もりに溺れこんだ。
そして見上げてくれた黒目がちの瞳は、薄紫の花に微笑んでくれた。

―…英二が、いけてくれた?
 …うん、周太が好きな花だなって想って、ひとつだけ摘ませて貰った
 …ありがとう、うれしい…いいかおり、
 …この花、周太と似ているね?でも周太の方が、きれいだ、
 …はずかしい、英二…でも、ありがとう…大好き、

やさしい幸せな温もりの時間が、嬉しかった。
ふたり肌を重ねあわせた感覚に溺れた後の、薄紫の花を眺める時間はおだやかで安らいだ。
この席が控えていたから好きなだけは出来ない、それでも体ごと心繋げた時と想いが幸せだった。
そうして真昼の夢にふたり微睡んで、目覚めて見つめあえた幸せが嬉しくて泣きたかった。

雪崩から生還した緊迫と安堵。
この家に纏わる哀しみの原因を見つめた沈思と痛切。
そして馨の抱いた恋の行く末に見た哀しみは、恋人への深い愛情に変わった。
この3つが重なりとけあって、殊更にいま愛するひとを求めふれたい想いが強い。

こんなことをこの茶の席で考えている自分は、雑念だらけで点法など出来そうにないな?
そんな自嘲を心に笑った英二の前に、美しい萌黄色の茶がそっと据えられた。

「どうぞ?」

黒目がちの瞳が恥ずかしげに微笑んで、茶を勧めてくれる。
ひとつ礼をする端正に伏せた衿元のぞく、首筋から背になめらかな肌が視線を奪ってしまう。
ゆるりと正される姿勢にうなじが消えて微笑が見つめてくれる、その優しい微笑にすら誘惑を見たくなる。
その微笑みの向うに映る床の間の白木蓮に、真昼の夢の幸せを見つめてしまう。

―…あの、英二?…あ、洗うの、自分でするから…

淑やかに恥じらう声も顔も愛しくて、見惚れて、溺れこんだ。
あの真昼の夢に見た白木蓮の香に、この端正な袴姿にすら夢の記憶を見てしまう。
ほら自分はこんなにも恋狂い、この恋に縛られて惹き寄せられっぱなしだな?
こんな恋の奴隷ぶりが可笑しい、そっと微笑んで英二は茶碗を双掌に抱いた。
そうして見つめた萌黄色に、姉が告げた言葉にこもる父の真意を見つめた。

―…あんたも覚悟しときなさいよ?

父がこの家を訪れた理由、その真意が自分には解かるように想う。
冷静で直情的な堅物、この性格が父と自分は映したよう似ている。だから父の表情の奥にある、父の考えと想いが解かってしまう。
そんな父とは姉も似ている、きっと姉は父の覚悟に気づいていた。だからこそ覚悟が必要だと姉は自分に告げてくれた。

―この茶を飲むのは、最後になるかもしれない

そんな覚悟と一緒に英二は、恋人の点てた茶を飲みこんだ。
さわやかな香とあまさ、そしてほろ苦い味わいに今の心が映し出されていく。
この愛しいひとの優しい茶を、自分はもう飲めないかもしれない。
だからこそ、今この目の前に座っている姿を見つめておきたい。

薄紫色の衿に匂いやかな首筋、さっきキスでふれた。
薄紫に重ねられる淡い翡翠の衣、さっきあの肩を抱いて庭を眺めた。
そして茶を見つめる瞳を視線でからめて、軽く結んでいる唇をキスに結わえていた。
やわらかな黒髪に顔うずめて香に溺れて、なめらかな頬よせて温もりを愛しんだ。
この菫にも似た愛しい姿をいま、この心に刻んでおきたい。

― ね、周太?…さよならかもしれないんだ。それとも、

別離か、それとも?
ふたつの道の分岐点に今、自分は座している。
この座への覚悟に微笑んで、ゆったりと英二は茶を飲み終えた。

点法が終わると周太はコーヒーを淹れて供してくれた。
和室にすえてある座卓へと、藍模様のコーヒーカップを並べてくれる。
ゆるやかに昇る芳しい湯気に、父は微笑んだ。

「とてもいい香です。コーヒーを淹れるのも、上手なんですね。どこかで教わったんですか?」
「ありがとうございます。父がよく、母に淹れていたのを教わったんです…父も喜びます、」

おだやかなトーンの声が嬉しそうに微笑んだ。
やさしい謙虚と亡父への感謝をこめた、素直な言葉に英二の父が目を細めている。
きっと周太の答えに満足している、そんな父と羞んでいる周太の様子を眺めていると姉が周太に声を掛けた。

「周太くん、お庭を見せて貰いたいな?とってもお花が素敵だから、見せてほしいの。一緒にお願いできる?」
「はい、もちろん。…あの、中座をさせて頂いてもよろしいですか?」

姉に快く頷いて、けれど英二の父へときちんと聴いてくれる。
どうぞと頷いた父に微笑んで礼をすると、周太は姉と連れ立って庭へ降りていった。
南面の窓から楽しげに花を見あげる2人が見える、やさしい光景から目を戻すと父は周太の母に微笑んだ。

「とても上品で、きれいな息子さんですね。優しい心が現れた、良いお茶でした。こういう方には中々、お目にかかれません」
「ありがとうございます、」

端正な会釈で父へと礼を述べてくれる。
ゆるやかに頭を上げると、彼女はきれいに笑った。

「夫が上品できれいですから、良いものを受け継いでいて。大切な宝で、自慢の息子です」

穏やかな口調に堂々と、惚気と親馬鹿を告げて彼女は微笑んだ。
宝物で自慢の息子よ?そんな明るい宣言が気持ちいい。桃の節句の時も彼女は自分の友人に、堂々と子供を自慢していた。
こんなふうに夫と息子への愛情を、軽やかに表白できる笑顔がまぶしい。
素敵だな?素直に心うち褒めた英二の隣で父が、コーヒーを受け皿に戻し、姿勢を正した。

「湯原さん、謝らせてください。大切な息子さんに、私の妻は手を挙げました。本当に申し訳ありません、」

落着いた低い声で告げ、父は潔く頭を下げた。
やはり父は解かってくれている。いつも穏やかで静かな父、けれど本当は見守ってくれている。
この父の想いと理解が温かい。そして父の覚悟は容赦なく自分の心と想いを締め上げてくる。

― 始まる、

この家に父が来た真意が裁決する、自分の運命の分岐が始められる。
これから見つめる温もりと痛みを覚悟して、英二は父と共に頭を下げた。

「はい、確かに腹は立ちました。けれどもう、溜飲が下がりました。だからどうぞ、お顔をあげて下さい、」

自分たち父子に周太の母は、率直に気持ちを告げて明るく微笑んでくれる。
けれど父は頭を下げたまま、真直ぐに言ってくれた。

「ありがとうございます。けれど本当は、あなたに顔向けなど出来ません。私は一家の主として、湯原さんに謝らねばならない」

頭を下げる英二の隣で、父も自分の膝元を見つめたまま端然と頭を下げている。
瞳だけ動かして見た父の横顔は、おだやかでも決然と口を開いた。

「この息子は、私に似て気難しい男です。だから私には解ります、今の全ては息子が好きで選び、始めたことです。
息子は直情的で、自分で納得した事しか出来ないし言えません。ですから周太くんの事も今回の事故も、すべて息子の責任です。
それを妻は身勝手にも周太くんへ責任転嫁しました。そして大切な男の顔を叩きました、これは、詫びて赦されるものではありません」

きれいな渋めの低い声が、ひとつずつ見つめて言葉にしてくれる。
この父の想いが沁みるよう温かい、そして痛い。そんな温かな痛みを抱いていく英二の隣で父の声は続いていく。

「周太くんは息子と同じ年で、まだお若い。けれど既にお父さまの跡を継がれて、立派に家を守られている。
それは頂いたお茶から、お庭やお宅からも、よく解ります。この年齢でここまで出来ることは、並大抵のことではありません。
周太くんは立派な一人前の男です。そんな立派な男の顔を、軽率に妻は叩きました。同じ男として私は許せず、心から恥に想います、」

周太は立派な一人前の男。

このことを英二は忘れていた、だから冬富士のあと平気で周太を強姦出来た。
小柄で可愛らしい周太の中性的な部分ばかり見て、大切な男の誇りを尊重していなかった。
けれど父は真直ぐに周太を見て、1人の立派な男だと認めている。この父に対して自分の未熟が恥ずかしい。
こんな自分は浅はかで母の軽率な考えより酷い、この未熟さが痛い。こんな自分だからこそ、自力では母を納得させられなかった。
そして母に周太へと手を挙げさせた。もし自分が母に正しく理解させられる練熟を備えていれば、あんなことは無かった。
この未熟さのために父が今、一家の主として此処に座り息子の運命を裁決にかけていく。

―悔しい、こんな自分が…

こうした自分の未熟さを父に負わせ、今この隣で頭を下げさせている。
この未熟な息子の後始末を父にさせてしまう、これは男として大きな借り、だから父の裁決に従う覚悟をするしかない。
この無力が悔しい。唇噛みしめて頭下げる隣で父は、頭を上げないままに膝をずらし座布団から降りた。
そして畳に手をつくと、おだやかな声で周太の母へと告げた。

「そして英二のことです。あなたの息子さんを英二は望み、難しい人生に惹きこみました、」

きっぱりと父は、英二が望んだことだと言ってくれる。
これを認めることは勇気がいる、そう解るから父の想いが温かに痛い。そして父の裁決の始まりに心が軋む。
畳に手をついている父の姿が視界の端に映りこむ、その映像に温もりと痛みを想いながら、涙ひとつだけ膝に落ちた。
その涙の向こう側、おだやかな父の声は明確に話してくれた。

「この日本では男性同士の恋愛は、世間的に認められ難く、法律でも正式な結婚は出来ません。差別すら受けることもある。
子供にも当然恵まれません。男女の結婚で得られる社会的保障も、世間からの祝福も少ない。とても難しい現実があります。
私と同じように法律を学んだ英二は、当然これらを理解しています。それでも英二は、息子さんを求める心を止められませんでした」

―…普通の生き方は出来ない。差別もある、秘密も増えていく
  心の負担も、それなりに増えていくだろう。子供も勿論、望めない
  それでも一緒に居たいと、後悔しないと、今、決める事なんて出来るのか?

 …6ヶ月、その事を俺は考えていた。リスクは考えるほど厳しくて辛くて、生き難いと思った
  そんなリスクを、背負わせたくなかった。きれいなあいつを、引き擦り込みたくなかった
  けれど…何も伝えないまま失いたくない…今この瞬間を、大切に重ねて生きていくしかない
  いつまで続くかなんて、解らない。ただ、大切な人の隣で、この一瞬を大切に過ごしたい

卒業式の翌日、実家のベランダで父と交した覚悟の言葉たち。
あの質問と、自分の答えが蘇える。あのとき父と飲んだウイスキーの香が懐かしい。
あのときの会話を父は半年間、ずっと大切に抱いていてくれた。そして今、ここで周太の母に英二の想いを告げてくれる。
意外で、けれど、どこかで解かっていた父の態度が温かく切ない。そして自分の未熟な完敗を思い知らされる。
感謝と服従の悔恨、この2つの想いに心から頭を下げたまま、潔く英二は父の言葉を聴いた。

「周太くんはご長男で、お一人だけのお子さんです。当然、息子さんには跡取りを望みたいはずです。
今、お宅と息子さんを拝見して尚更に、跡取りが大切なお家だと思い知りました。そして息子の選択がどれだけご迷惑か、気づきました。
息子と周太くんでは子供は望めない。この重みは湯原さんと我が家では、全く違うはずです。どうか、お願いです、教えて下さいますか?」

ひとつ呼吸して父は、畳に手をついたまま静かに顔を上げた。
そして真直ぐ周太の母の、黒目がちの瞳を見つめながら父は、沈思の底から問いかけをした。

「湯原さん、どうか正直に答えて下さい。この息子は、お家にとって邪魔ではありませんか?
この息子がいれば、周太くんの跡取りは望めません。ですから、もし、ご迷惑であれば。今すぐ私が、無理にでも連れて帰ります」

呼吸が止まった。

名残りにかおる清明な茶の馥郁に、静寂が降りてくる。
この部屋に祀られる周太の祖霊たちが、おだやかに見つめる想いがふれていく。
シャツの胸のなか馨の合鍵がふれてくれる、この感触が命綱に想えてしまう。
もう周太の母からの返答は周太の誕生日に聴き、年明けに婚約の申込みをした時に聴いている。
それでも今この父が投げた問いかけに、いかなる答えがあるのか怖い。
この父に問われた彼女は本音を言うだろう。そしてもし、ここで「邪魔だ」と答えたなら?

―そのときは、頷く…愛しているから

そう、愛しているから、自分は頷く。
父に自分の後始末をさせる。この借りの為だけでなく大切な想いの為に、自分は頷く。

この母があっての息子だと、今はもう知っている。
この女性が抱きしめる桜と初恋の物語は、この家と夫と息子への純粋な愛に輝いていた。
あの愛情の美しさを知ってしまった今は、それを傷つける選択など自分に出来るだろうか?
そんな彼女を大切に想い、今もう実の母より想いが強い。この自分の想いに背くことなど出来ない。
この目の前に座る女性が「邪魔」だと言ったなら。この家に自分は居ることなんて出来ない。
この家と彼女が自分を選ばないのなら、この家に居る資格は無い。

それでも、愛している気持は変わらない。

この裁決の静寂に今、座っている。
この静寂のむこうから微かに聞こえる笑い声、あの声の主を愛している。
雪崩に呑まれる瞬間も想った、動かない左足をひきずる冷厳にも見つめた、唯ひとり唯ひとつの想い。
この想いの為だけに自分は、生きて帰って来た。

―ただ、逢いたかった、抱きしめたかった、温もりにふれたかった…見つめていたい

あのひとだけ求めて、帰って来た。
そんな自分それなのに、あのひとを取り上げられて自分は生きられる?
この疑問の答えは解かっている。だからこそ昨日も、この家の過去を見つめていた。あのひとを守るため必要だから。
見つめた過去には幸福の輝きに表裏して、今に近づくごと重たい闇が蟠っていく、それでも自分が背負いたい。
あのひとの為なら自分は何でも出来る、けれど「離れる」は出来るのだろうか?

―…これはね、白木蓮…好きな花なんだ…この花、英二と似てるな、って想って選んだから

いまから6時間ほど前の、恋人との優しい時間。
あの優しい時に与えられた言葉が愛おしい、自分を花に準えた想いが嬉しかった。
あの白い花の香にくるまれる浴室で、湯のなか抱きしめた素肌が幸せだった。
そして白いベッドに沈みこんだ幸福の熱に、永遠の約束を深く結びあった。
あの幸福は、この真昼の夢が最後かもしれない

あの幸福な時の始まりに恋人が手折った白木蓮。
あの白木蓮はいま、床の間から自分を見つめている。
白い高雅な香がいま頬ふれる、その頬に静かな涙がこぼれおちた。

―ね、周太 さよならかも、しれない

もし君の大切な母が「邪魔」と言ったなら。
俺と君との時間は、終わりになる。
君から俺は離される。
それでも信じてほしい、俺の君への想いは終わることなんてない。
もし君と離れることになっても、俺は君を守ることは止めない。
君の隣にいられなくても俺は、きっと君を守り続けて、そして君の幸せと笑顔を守りたい。
だから信じてほしいよ?
いま、どんな答えになっても、俺は君を愛している。

―…愛している、君だけなんだ

いつも抱いている面影に微笑んで、心に想いを告白する。
この告白は変わらない、この永遠に微笑んで英二は、愛するひとを生んだ存在の言葉を待った。
静かに俯き頭を下げた空間に、コーヒーの香がゆれる。この静寂を、おだやかな声が透った。

「英二くん、」

呼ばれた名前は、いつもどおりの優しいトーン。
けれど英二は頭を下げたまま、短く答えた。

「はい、」

答えても、顔が上げられない。
父に言われた通りだと自分で一番わかっている、だから顔が上げられない。
けれど周太の母は、いつものように軽やかに笑ってくれた。

「ほら、頭を上げて?イケメンの顔を見せてよ、私のもう1人の、自慢の息子くん?」

いま、なんて言ってくれた?

驚いて思わず顔をあげた英二に、黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
ほら笑ってね?そんなふうに可笑しそうに見つめてくれながら、彼女は父に言ってくれた。

「宮田さん。いま、申し上げた通りです。私は英二くんを息子だと想っています、お断りも無く申し訳ありません、」

頭を下げたままの父の、肩がすこし震えた。
そんな父を見つめて、おだやかな瞳が微笑んだ。

「どうぞ、お顔をあげて下さい。私の方こそ恨まれて当たり前なんです、だって確信犯は、私の方ですから」

彼女の言葉に父がゆっくり頭を上げていく。
まっすぐ背を整えて、切長い目が真直ぐ彼女に微笑んだ。

「確信犯?」
「はい、確信犯です、私は。でも、謝りませんよ?」

黒目がちの瞳が微笑んでいる。
そして穏やかな声が軽やかに話した。

「初めて英二くんが遊びに来てくれた時です。私はすぐに気がつきました、英二くんが息子に恋をしてくれていると。
それが嬉しかったんです、息子も英二くんを想っていましたから。そして安心しました、これで息子を独りぼっちにしないで済むと」

ひとつ言葉を切って黒目がちの瞳がすこし細められる。
どこか懐かしむような表情で、彼女は言ってくれた。

「息子は純粋です、とても繊細で感受性が豊かです。そんな息子は主人が亡くなったショックで、記憶と一緒に笑顔も失いました。
それでも英二くんは息子の笑顔を取り戻してくれました、主人を亡くした悲しみで孤独に沈んだあの子を、助け出してくれました。
純粋すぎて息子は相手を気遣い過ぎる、だから心を開く事が難しいんです。けれど英二くんにだけは、心から素直に甘えられます。
だから私は思いました、英二くんなら息子を幸せにしてくれる、やっと託せる人が現れてくれた、これで周太は独りぼっちにならない」

最愛の息子への想い、それを託したい願い。
おだやかでも強靭な母の想い語られていく、そして黒目がちの瞳は潔く微笑んだ。

「そして私から英二くんにお願いしたんです、あの子の最期の一瞬を、あなたのきれいな笑顔で包んで、幸福なままに眠らせてほしいと」

この家の庭のベンチで、あの日に彼女が告げてくれた言葉たち。
あの約束と誓いの想いが懐かしい、そして誇らしい。あの日の誇らしさを見つめる先で彼女は微笑んだ。

「英二くんが息子と生きることは、英二くんが本来生きるべきだった、普通の幸せを全て奪う事だと解っています。
けれど誰を泣かせても、私は息子の幸せを願います。家の名を絶やしても、私の宝物の幸せを守ります。それを責められても構いません。
いつか遠い未来に。生まれてきて良かったと息子が心から微笑んで、幸福な人生だと眠りにつく。この為に私は英二くんを掴まえました。
そして英二くんを自分の息子にしました、ご両親に何の断りもなく。こんな私は確信犯です、でも謝りません、どうぞ存分に恨んで下さい」

潔癖な開き直りに、黒目がちの瞳がきれいに笑った。
そんな彼女の笑顔に父は綺麗に微笑んで、愉しげに笑ってくれた。

「素敵な方ですね、あなたは。とても恨むことは出来ません、そして私はもう、心から納得するしかありません、」
「ありがとうございます、納得されるんですか?」

にこやかに礼を述べながら彼女は尋ねた。
尋ねられ父は頷くと切長い目を細めて綺麗に微笑んだ。

「穏かな静謐は安らいで、清楚な雰囲気は温かい。あなたも家も、周太くんも心から居心地が良い。息子がこちらを選ぶのは当然です。
同じ男として私は息子が羨ましい。居心地のいい愛する伴侶と居場所を自分で選び手に入れる、これは男の幸せです、だから納得します」

率直なまま告げてくれる父の想いが温かい。
未熟さの為に父に責任と謝罪を負わせた自分を、こんなふうに父は言ってくれる。
それが申し訳なくて、ありがたくて、肚の底から込みあげる想いが熱い。
熱い切ない想いに佇む向かいから、黒目がちの瞳が穏やかに父に問いかけた。

「納得して頂いて嬉しいです。では英二くんを、息子に頂いても、よろしいんですか?」
「英二が選ぶなら、私には止められません、」

明快に答えて父が、英二に笑いかけてくれる。
そして視線を目の前の女性に戻すと、父は言ってくれた。

「この息子は私に似て、気難しく頑固です。一度心に決めたなら動かせない、生涯かけて貫くでしょう。
この息子が伴侶と家を自分で選んだこと、それは息子にとって誇りでもあるはずです。だから息子の誇りを私は大切にしたいです、」

きれいに笑って父は、再び手を畳みについた。
そして黒目がちの瞳を真直ぐに見て、きれいな低い声が微笑んだ。

「息子が選んだのは山と警察官の道です、どちらも危険と隣り合わせの厳しい場所です。
この危険のために息子は既にご迷惑をかけました。きっとまた、ご迷惑をお掛けするでしょう、それでもどうぞ、息子をお願い致します」

端正に腰を折って父は手をついて辞儀をおくってくれた。
そんな父の姿が温かい、素直に微笑んで英二も座布団から膝すべらして父の隣に座った。
そして真直ぐに周太の母を見つめて、きれいに英二は笑いかけた。

「お母さん、改めて言わせてください。父が言う通り俺はご迷惑を掛けます、それでも周太と家の為に力を尽くします。
必ず周太を笑顔にします、決して周太を独りにしません。だから、お母さんの息子にして下さい、この家を俺に守らせてください、」

父の隣に並んで英二は畳に手をついて、端正に礼をした。
そして並んでくれる父への想いに心うち微笑んだ。

― ありがとう、父さん、

共に下げた頭に感謝の想いがふれてくる。
こうして父と並んで頭を下げられる、これは幸せな事なのだと今は解かる。
昨日に見つめたこの家の哀しみは、父と息子たちの哀しい連鎖の存在を予感させていく。
この哀しみの連鎖にはない自分たち父子の幸せが、当たり前では無いことが肚の底からもう解る。

― あなたも、こんなふうにしたかった。そうでしょう?

そっとシャツの胸もと眠る合鍵に、英二は微笑んだ。
そんな想いに父と並んで下げる頭上、やわらかなトーンが明るく声を掛けてくれた。

「では遠慮なく、英二さんを頂戴いたします。どうぞ、こちらこそ、お願い致します」

そう言って彼女も座布団から座をずらし、畳に手をついてくれた。
差向い頭を下げながら、そっと英二は心映る面影に微笑んだ。

―周太、認めて貰えたよ?

こんなふうに、自分の親が認めてくれること。
望んでいなかった訳じゃない、けれど無理だろうと諦めていた。
それなのに父は自分の為に謝罪と挨拶を述べて、頭まで下げてくれている。
この切欠を作ってくれたのは、吉村医師の病院で母と出会った周太の、母に対する真直ぐな言葉と態度。
あのときに母のなかで何かが変わった、その母を見て父は覚悟を固めて、認めてくれた。

―認めて貰えたよ、君の優しい心のお蔭で…周太、

どうして君は、こんなに綺麗なんだろう?
こんなふうに自分が愛するひとは、やさしい純粋な心のままに自分の願いを叶えてくれる。
もう諦めかけていた親からの温もりが幸せで、この幸せを与えてくれた恋人が愛しい。

―愛している、君だけを

幸せと愛しい想いに、ひとつ涙が膝にこぼれた。



庭へと降りた父を見送って、周太の母に英二は笑いかけた。

「お母さん、本当に、ありがとうございました、」
「あら、こちらこそよ?」

黒目がちの瞳が愉しげに笑ってくれる。
いつもどおりに明るく穏やかな笑顔が、ほっと余分な力を抜いてくれる。
このひとに自分は一生きっと頭が上がらないな?そう見つめる先で彼女は言ってくれた。

「周太のこと、親子できちんと考えてくれて嬉しかった。お父さま、英二くんとそっくりね?」
「ありがとうございます。そんなに、似ていましたか?」
「ええ、そっくり」

コーヒーをひとくち飲んで、ほっと彼女はひと息ついた。
そして悪戯っ子に瞳が笑んで、可笑しそうに彼女は笑った。

「雰囲気と笑った顔がそっくりよ?英二くんの未来予想図だな、って思ったわ。たぶん、周太も同じこと想ってるわよ?」
「周太も?」

コーヒーカップを受け皿に置いて英二は訊きかえした。
軽く頷いて彼女もカップを戻すと、楽しげに教えてくれた。

「あの子、こっそり英二くんとお父さん見比べて、羞んでいたの。きっと『英二くんが二人みたい』とか考えていたわよ?」

そんなふうに恥ずかしがってくれるのは何だか嬉しい。
いつも気恥ずかしげにしている恋人を想う英二に、周太の母は軽やかに笑いかけてくれた。

「英二くん、お見送りに行くでしょう?その間に私、周太と少し話したら出掛けるから。
留守番と周太をよろしくね。あの子きっと、うんと緊張しているわ。だから、いっぱい笑わせて、甘やかしてあげて?」

「はい、笑わせて、甘えて貰います」

こういうお願いは嬉しいな?
そう笑った英二に、彼女は愉しげに言ってくれた。

「あとね、私の部屋に風呂敷包みがあるの。それは英二くんへのプレゼントが入っているから、周太に言って受けとってね?」
「プレゼント?」

なんだろうな?
そう見た英二に彼女は、嬉しそうに謎かけをした。

「きっとね、周太も喜ぶと想うわ?夜にでも忘れずに、あの子に言ってね、」

そんなふうに微笑んで彼女は、のんびりコーヒーを啜りこんだ。

和やかに湯原家を辞した父と姉を駅に送る道、父はすこし後から歩いてくれる。
きっと姉と話す時間を作ってくれているな?そんな父の気遣いに並んで歩く道、姉が英二に笑いかけた。

「周太くん、また綺麗になったわ。ついこの間、奥多摩で会ったばかりなのに?ちょっと驚いちゃった、恋する力?」
「だったら光栄だな、俺、」

心からの本音に英二は微笑んだ、確かに周太は綺麗になったろう。
一昨日の朝にも思ったし、真昼の夢に目覚めた時には響くよう見惚れた。
いつも周太は英二に抱かれるたびごとに、花がほころぶよう美しくなっていく。
だから今日、抱かれ微睡んだすぐ茶席に侍った周太は、本当に菫のよう美しいと見つめてしまった。

もっと見つめたい、早く帰りたいな?

つい、父と姉には失礼なことを考えてしまう。
さっきの父との席での緊張感に、余計にいま周太が恋しくて仕方ない。
こんなんで自分は大丈夫かな?そんな英二に姉は、周太から贈られた花束を見せて微笑んだ。

「こんなに綺麗なブーケを、自分で育てた花で作ってくれる子って、貴重よ?大事にしなさいね、あんた、」
「うん、大事にする。ありがとう、」

ほんとうに姉の言う通りだな?素直に微笑んで頷いた。
そして駅まで着いた時、すこし後ろを歩いていた父と向き合って英二は頭を下げた。

「父さん、ありがとうございました、」

母のことを謝罪してくれた潔さが、頼もしかった。
自分の責任を父に負われたことは男として悔しい、けれど子として嬉しかった。
そして何よりも、周太のことを真直ぐ見て、率直に認めてくれたことが嬉しかった。
この全てへの感謝だと父ならきっとわかるだろう、そんな信頼と頭を上げると父は笑ってくれた。

「こっちこそ誇らしかったよ、おまえみたいな息子と頭を下げられて。本当に綺麗な人を見つけたな、おまえは。大事にしなさい、」

すべての父の言葉がありがたくて幸せだと、素直に喜べる。
この父の息子で良かった、心からの感謝に英二はきれいに笑った。

「うん、ありがとう。大事にするよ、」

ありがとう、心から。
目でも告げた想いに父が、すこし感心したように笑ってくれた。

「本当に良い顔になったな、英二。なかなか機会が出来ないままだが、近々飲もう。周太くんも一緒にな、」

きれいに笑って父は改札口を通って行った。
そんな父に微笑んで、姉は英二に言ってくれた。

「英二、言わなくても解かってると思うけど。お母さんはまだ、時間がかかるわ。でも、良い方に変わって行っていると思う」
「良かった、でも姉ちゃん、いろいろ迷惑をかけて、ごめん」

率直に英二は姉に頭を下げた。
この姉には実家をすべて丸投げしている、その申し訳なさを見つめる英二に、姉はやわらかに微笑んだ、

「そうね、いろいろね?だから今度、ご馳走してね?周太くんも一緒にね。じゃあ英二、手続きとったら教えてね?」
「うん、連絡する。ありがとう、」

またねと花束を軽く振った姉に、英二も手を挙げて微笑んだ。
そうして父と姉は世田谷の家に帰って行った。



かちり、玄関扉の鍵がひらかれる音に英二は微笑んだ。
この合鍵で、この家に帰ってこられた。この権利を自分は認められた、この幸せが嬉しい。
そして今から2つの夜と2つの朝を、愛するひとと見つめることが出来る。
素直な喜びに開いた扉のむこう、薄紫の衿匂いやかな袴姿が佇んでいた。

「周太、」
「おかえりなさい、英二、…待ってたよ?」

呼んだ愛しい名前に、無垢の微笑がそっと抱きついてくれる。
このひとを失うかもしれない、そう覚悟した瞬間この身を裂いた痛切が恋心を起こさせる。
いまが幸せで離したくない、自分の幸せを抱きしめて英二は微笑んだ。

「周太、ただいま。逢いたくて、急いで帰ってきたよ?」

やわらかな唇にキスでふれる。
ふれる温もりに融けそうで心侵されてしまう、このまま抱いてしまいそう。
真昼に抱いたばかりで?そんな自問に心宥めながら、ゆっくり離れると瞳のぞきこんで笑いかけた。

「周太、オレンジのケーキを買ってきたんだ。今夜のデザートになるかな、」
「ん、ありがとう…このお店、覚えててくれたんだ?」
「うん、同じ名前だな?って思ってさ、覗いてみたら同じケーキがあったから、」

心から嬉しそうに微笑んで、箱を受けとってくれる。
この笑顔を見たかった、逢いたかった、いま逢えて嬉しいな?
そんな想いにミリタリーコートを脱ぎながら、英二は周太に笑いかけた。

「お母さん、もう出掛けたんだ?」
「ん、さっき…英二は、知っていた?お母さん、旅行に行くって、」
「うん、昨日から楽しみにしていたんだ、お母さん。でも、周太に怒られるかな?って心配してたよ、」

すこし拗ねたんだろうな?そんな様子を見とって英二は微笑んだ。
見抜かれて気恥ずかしげに首筋そめながら、ちいさく周太は笑ってくれた。

「…あ、そんなこと、言ってたんだ?…恥ずかしいな、」
「恥ずかしくないよ、周太?それだけ周太が、お母さんを大切にしているからだろ?」

そんな彼女はきっと、英二と周太を2人きりにしようと気遣ってくれている。
今日の対面で英二も周太も緊張するだろうと、だから2人きり寛いで寄添える時間を贈ってくれた。
こんな彼女には頭が上がらない、この幸せに微笑んだ英二に周太は言ってくれた。

「ありがとう、英二。…英二のこともね、すごく大切だよ?母と比べられない位に、」

この言葉がいま、どれだけ自分には宝の呪文に聴こえるだろう?
見つめて、腕を伸ばし淡青の肩くるんで抱きよせて、幸せに英二は微笑んだ。

「うれしいよ、周太?…俺はね、いちばん周太が大切だ、なによりもね、」
「ん、…いちばん、うれしいな?俺もね、…恋して、愛しているのは…英二だけだよ?」

抱きしめる人の衿元から薄紅の肌が咲いていく。
薄紫の衿に映える桜いろ愛しくて、見惚れるまま英二は困りながら笑った。

「ありがとう、嬉しいな…そして困るよ、周太」

言葉と一緒にキスを重ねて、求めたい想いを口移しする。
黄昏しのばせる陽がふるリビングで幸せなキス、そっと離れると周太は微笑んだ。

「ね、英二?夕飯、何時にする?…なにが食べたいとか、あるかな?献立次第で、買物、行くけど、」

今日は心が昂揚している。
雪崩からの生還、過去に眠る哀しみの痛切、美しかった馨の恋の悲愁。
この3つに「別離の覚悟と赦された喜び」が加わって今、いつにない高揚感が強い。このままだと歯止めが効かない。
だからアルコールで少し鎮めたい、それに今日を祝福したい。そんな想いに英二はリクエストした。

「そうだな、今夜はゆっくり一緒に酒を飲みたいな。それに合うもの、ってお願いできる?」
「ん、できるよ?…お酒は、なに飲む?それに合わせて、献立考えるけど、」

いつもなら日本酒かビール。
けれど今日はささやかでも祝い事をしたい、英二は華やいだ酒を提案した。

「たまには周太、ワインとか飲んでみる?甘めのなら周太でも、飲みやすいと思うけど、」
「ん、英二が選んでくれるんなら、…じゃあ買い物、行った方が良いね?」
「そうだね。でも無理しないでいいから、周太?疲れただろ、今日は、」

昨日は当番勤務、それで今日の対面の緊張感。
きっと疲れているだろうな?そう見た恋人は頬まで薄紅にそめながら幸せに微笑んだ。

「平気、さっき、ひるねしたからだいじょうぶ…だよ?」

午睡「昼寝」にこもる、思いが嬉しい。
ありふれた会話、けれど心が弾んでしまう、得難いと知っているから。
だって今から3日を共に生活できる、ふたりきり見つめ合う2晩を過ごせる。
こんなふうに、本当に2人きり数日を過ごすのは初めてのこと。そう想うと嬉しくて、面映ゆい幸せが温かい。

…この幸せだけ見つめて、3日を過ごしたい

この先のことも今は考えないで「今」与えられた幸せに笑っていたい。
この幸せの喜びを見つめて、この先見つめる哀しい真実にも折れない柱を心に入れたい。
この想いに微笑んで英二は、きれいな笑顔と婚約者に告げた。

「こんな会話、ほんとうに夫婦みたいだね、周太?」

恥ずかしい、けど、すごくうれしい。
そう黒目がちの瞳が微笑みながら、薄紫の衿元伸びやかな項が、あざやかな紅に染まる。
あわい翡翠いろの着物にくるむ肌が衿からのぞく。その肌に視線を落としてしまう。
愛しくて英二は薄緑色の肩を抱きしめ微笑んだ。

「はにかんでるんだ、周太?ほんと可愛いな、俺の花嫁さんは…困るよ、」

最後の言葉はつぶやくように、うなじにキスでふれた。
唇ふれる肌のこまやかさに熱がまた昇りだす、このまま抱きしめて夢に溺れこみたい、そんな想いに囚われかける。

「あの、英二…あんまりまっかになるとこまるから…かいものいけなくなるから…ね?」
「周太、俺の方がいま、困ってるから…可愛すぎるよ、周太、」

首筋のキスが離せないまま、恋人の体を英二は抱き上げた。
あわい翠の袖がひるがえる様が美しい、愛しい袴姿を抱き上げたままソファに座りこんで、幸せに英二は微笑んだ。

「着物、本当に似合うね、周太?きれいで可愛い、…父さんにも言われたよ、俺、」
「お父さんに?…」
「うん、きれいな人だな、大事にしろよ。そう言ってくれたよ?近々、ぜひ飲みに行こうだってさ、」
「ん、そうなの?…はずかしいな、」

膝に抱えたまま話す想いの真中で、首筋から背にそまる薄紅が襟足にあざやいでいる。
初々しい恥じらいが可憐で、覗きこんだ黒目がちの瞳が愛しい。
恥じらい奥ゆかしい恋人が嬉しくて英二は笑いかけた。

「買物、周太は着物で行く?」

周太の和服姿が自分は好きだ、一緒に歩いてみたいなとも思う。
けれど少し考えて周太は小さく首を振った。

「ん、洋服に着替えてから行こうかな?…料理の時とか、楽だから、」

着替え。

この単語にまた反応してしまう。
一昨夜の甘い罪悪感の幸福に惑うまま、英二は言ってしまった。

「着物、着替える所見せて?」
「…え、」

黒目がちの瞳が大きくなって驚くまま見つめてくれる。
それでも英二は微笑んで、そっと押してみた。

「着物の脱ぎ方とか、畳み方、俺よく知らないから。教えて?」

教えて。この単語に周太は弱い。
こんな弱みを盾に自分はまた、恋人の恥じらいを見ようとしている。
こんな自分はやっぱり変態?ちょっと自嘲を楽しみながら見つめる先で、赤い頬のまま覚悟した顔が頷いてくれた。

「ん、…おしえる、よ?…」

お許しが出た。
自分の恋の主人の赦しが嬉しい、嬉しいまま英二は袴姿を抱き上げた。

「周太の部屋で良いの?」
「あ、…はい、」

抱き上げて階段を昇って行く。
その懐で恥じらいが薄紅あざやかに途惑っている。
こんな初心なところが自分は好きだ、好きな想い抱きしめて英二は部屋の扉を開いた。
そっとベッドに腰掛けさせて降ろすと、きれいに英二は笑いかけた。

「手伝う事とかって、ある?」
「ううん、…だいじょうぶです、ひとりでできます…」

薄紅の頬すこし俯けて白足袋を脱ぐと、袴姿が立ち上がる。
黒目がちの瞳が英二を見、そして指を袴の紐にかけた。

しゅっ、

潔く袴の紐がとかれて、紫紺の衣が落ちていく。
あわい翡翠の衣がとけた紫紺から現れて、藍織りこんだ白い帯が鮮やかに映えた。
細やかな腰のラインに見惚れてしまう、その視線の先で帯の結び目がとかれた。

ぱらり、ほどけた帯は掌に巻き取られていく。
手早く袴を畳んで帯とまとめると、ためらうよう指が腰ひもに掛けられた。
その指がかすかに震えている。

…はずかしい、

そんな心の声が、ふるえる指先に伏せた睫に映りこんでいる。
それでも自分の願いに応えようとしてくれる婚約者が愛しい、愛しい想いに英二は微笑んだ。

「周太?…無理、しなくていいよ?俺、階下で待ってるな、」

微笑んで立ち上がると、英二は扉の把手に長い指を伸ばした。
けれど扉を開けようとした背中に、やわらかな温もりふれて英二は抱きしめられた。

「待って、…いかないで、お願い、」

お願い、って言ってくれるの?
期待にふり向く肩越しに、やわらかな黒髪がふれている。
素直に把手から指を離すと英二は、おだやかに訊いた。

「周太、ここに居ればいい?」
「ん、…いて?ひとりにしないで?…ね、」

ねだってくれながら微笑んで、そっと離れると周太はすこし背を向けた。
あわい翡翠色の衣を見つめる先で、腰を結わえる布紐が、さらり解かれて床に零れた。

…あ、

翡翠の色が肩からこぼれ落ちる。
そのしたから藤色ゆかしい衣が現れて、その腰を結う紐もとかれて落ちた。
なめらかに藤色は素肌すべり落ちて、英二の心も墜とされた。

「…周太、」

露な素肌を抱きしめて唇よせる。
ふれる肌理のなめらかさに心が惑う、温もりの香が心を撫でる。
床に散る藤と翡翠の彩から抱き上げて、真白なベッドに埋めて抱きしめた。

「…きれいだ、周太、」

鎖骨うかぶ肌に唇をおとす。
おとされた唇に淑やかな恥じらいが香って、黒目がちの瞳が困惑した。

「待って、英二?…あの、かいもの、いかないと、ね?」
「うん、行くよ?でも5分だけ、ふれさせて?…お願いだ、」

お願いの言葉をキスで唇にとかして、瞳見つめ合う。
その瞳にYesの色を見て、幸せに微笑んで英二は5分の甘い温もりに酔いしれた。





(to be continued)

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