萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

弥生の水曜

2019-03-13 23:48:15 | 雑談
晴天だった水曜日、なんだかんだ充実あっという間だった。
そんな今日の一昨日は3月11日、メディアは八年前のこと。

八年前、東日本大震災があった。
あのとき東北へ行った知人にいる、元タカラヅカのヒトなんだけど、
慰問の歌で何度も行かれたそうなんだけど、彼女は宝塚=阪神淡路大震災の被災者でもある。
そういう彼女だからソウイウ活動も心ふかく燈されて、東北のヒトにも響くのだろうと思う。

で・言いたいのは何かって言うと「震災屋」みたいなヤツラってどうなんだ?ってこと。

去年、東日本大震災を「ネタ」にした小説があやうくナンタラ賞をとりそうになった・なんてコトがあった。
ソレは本人の自作というよりも・震災当事者の手記をカッテに盗用しまくったシロモノだったとか、
本人まったく東北に行ったコトもなく・当事者に話を聴いたワケでもなく、
よーするに「ネタ」にしたダケ。

そーゆーのある意味サイアクだ、
よーするに「部外者」が勝手にオモシロガッテ盗作×売名に利用したダケ、
そーゆーのに弁明している輩はよーするにヒトノフコウハミツノアジってゆーヒトデナシ兼ロクデナシだ。

で・そーゆーのはあちこちいるなって一昨日あらためて見たなあと。
テレビ筆頭にあちこちで「震災の犠牲者=不幸」って図式を売りもんにしている。
なんかそーゆーのって「震災の犠牲者=不幸じゃなくっちゃならない」みたいなオシウリ感が酷いなあ思う。

たしかに震災は不幸だ、でも不幸を超えた幸福は必ずある。
そーゆーのを否定するような空気がなんだか嫌だなあって一昨日は思った。

で、イチバンどうなだよ?思うのは・当事者でソレ=不幸継続やっちまうヒト。
なんていうか「不幸」を売り物にしている「不幸屋」になりさがってる。

哀しいことがあった時、忘れないコトは大事だ。
ソレは超えるためでもあり・大事な存在を忘れないことでもあり、
でもソレを売りもんにするのはダイジナモンをオトシメルコトでもあり。

そーゆーひとブログでも見かけるけど・いつも思うのは、
亡くしてしまった存在と再会した時、恥じない時間を生きてほしいってコト?


撮影地:出雲大社分祀@神奈川県2019.2

にほんブログ村 純文学小説
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする