萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

春と記憶

2019-03-14 11:13:20 | 雑談
忘れない、ことがなぜ大事なのか?

忘れられることは「記憶の死」ようするに「二度目の死」という言葉がある。
たしかにそうだろう、ただ誤解しちゃいけないのは「忘れないでいる=執着する」じゃないってコト。

よくある話だけど・恋人や配偶者を亡くした人に「他のヒトとつきあう・再婚は裏切りだ」っていうヤツ。
他のヒトに心向ける=忘れる=裏切りだって考えなワケなんだけど・それは執着じゃないかな?って思う。
違うイイカタするなら過去の囚人・過去に囚われて未来を否定しているってコトなんじゃないのだろうか?

大事なヒト・モノ・トコロ、それは物理的に消えても心から消えるワケじゃない。
ソレがあった→ソレを経験した→ソレに育まれ→今この心としてあるワケだから。

その「今この心」を否定していると思う、「他のヒト=裏切り」って考えは。

大事なヒトに出逢い別れ、その想い経験あるから新しい出逢いに廻りあったワケで。
その新しい出逢いを否定してしまうことは、過去を育んだ大事なヒトまで否定することになる。

そーゆーコト前提に・昨日の雑談「ネタ」にするヤツラは「否定」してるんじゃないかなあって思う。
過去あんなに大変な経験したんだから・その過去=震災に今も苦しめられていないといけないっていう「執着」の強要だなあと。

大変な経験は苦しい辛い、けれど泣いた分だけ強く優しくなれる。
苦しく辛い時ほど、誰かの優しさに・一杯の水に・青空に感謝できるようになるから。
そうして強く優しくなったヒトは必ず幸せになれる、そういうヒトの笑顔は洗い清められた洗練まぶしいから。
だから安易な同情は失礼だ、

そこらへんスットバシテ「被災者=不幸」みたいな図式はアマリにオソマツだなあと、笑
そーゆー「不幸であるべき」みたいなオソマツ同情ゴッコは、人の尊厳を無視している。

過去は執着するモノじゃない、心の種で肥やしで・明日を生きるテキストで・一瞬後に出会うモノを温める燈火。

ナンテコト考えたので休憩合間ツレヅレ書きしてみました、笑
どうか今春おちこち笑顔ほがらかな春うだとイイですね、
個人的には春山のんびり歩けることも願い、笑


撮影地:長野県阿智村2017.5

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コメント (2)
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