萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

弥生二十日、鬱金香―seedling

2019-03-20 23:36:00 | 創作短篇:日花物語
萌芽、いく春も。
3月20日誕生花チューリップ


弥生二十日、鬱金香―seedling

儚げで、けれど強く終わらない。

「思いだすのよ、最近ね?」

すこし低くなった、けれど綺麗な声が見つめる。
その口もと皺また深くなった、けれど瑞々しい眼が僕を見る。

「思いだす、って?」

笑いかけて訊いて、湯呑そっと口つける。
唇ぴりり熱い備前、金属じみて、そのくせ柔らかな熱に伯母が微笑んだ。

「あのひとのことよ、アキちゃんは憶えてないわね?」

あのひと、

そう伯母が呼ぶ人は決まっている。
もう七十は過ぎて、そのくせ乙女みたいな瞳に笑った。

「憶えてるもなにもさ、俺まだ生まれてないよね?」
「あら?そうだったかしらね、」

さらり唇が微笑んで茶をすする。
湯呑やわらかな湯気のむこう、皺きれいな瞳が微笑んだ。

「あのひとはね、ひとまわり歳が違ったでしょう?お父さんみたいで、お兄さんみたいで、…そういうのアキちゃんならわかるわよね?」

あ、また「わかるわよね?」だ。
こんなふう伯母は無垢ぶつけてくる、この齢かなり離れた親族に口ひらいた。

「前のダンナサンのこと、夫だけじゃない愛情があるってコト?」

再婚、その事実を知ったのは何年前だったろう?
記憶たぐるダイニングテーブル、母よりずっと年上の瞳は微笑んだ。

「そういうコトよ…いまさらかしらね?」

いまさら、

そう微笑んだ瞳ふかく、時はるか遡る。
まだ自分が生まれる前の時間、そこに生きていた伯母の幸福。
けれど今ひと時ただ遠くて、それでも見つめる瞳ゆっくり瞬いた。

「あのひとに今、会いたいなと思うのよ…言えないけど、」

言えない、その相手は誰なのか?
たぶん一人だけじゃない、もの言いたげな瞳に笑いかけた。

「言えないのは伯父さんと、前のダンナサン?」
「そう、」

茶色い髪すなおに頷いて、その耳もと銀色ひとすじ光る。
隠しこんだ白髪ふる時のかたわら、彼女は微笑んだ。

「息子たちにはもっと言えないわね?彼にも言わないし言いたくないし、今がもちろん大事だもの。でも…会いたいなと思うのよ、」

伯母は愛している、息子たちを、今の夫を。
それは疑うべくもなくて、だからこそ口ひらいた。

「ユキ兄ちゃん達もホントは、会いたい思ってるんじゃない?」

従兄たちは本音、なに想う?
その深層たちの母親は微笑んだ。

「そうよね…ほんとの父親だものね?」
「だね、」

笑いかけて湯呑ふれて、かすかな熱あまく薫る。
澄んだ馥郁やわらかなテーブル、窓ゆれる陽に声ゆれた。

「だからこそかしらね、あのひとと過ごせなかった時間の分まで一緒にとも思うわ…春をいくつも、いくつも一緒にって、」

消えてしまった時間、それを今ここに手繰らせる。
そうして戻せる願いあるのなら?そんな言葉に笑いかけた。

「伯母さんは幸せだね、ふたりの男と幸せになれたなんてさ?」

ふたりと、

それを本当は、伯母が望んだことだろうか?
それが「ひとりと」なら本当は幸せだったかもしれない、でも現実は違う。
現実に伯母は夫を亡くして、それから過ごした孤独と哀しみが呼んだ「ふたりと」この今だ。

最初から望んだわけじゃない、それでも辿りついた幸福に誰が責められるだろう?

「幸せかしら、私?」

問いかけてくる瞳が自分を映す、どこか困ったような、求めるような視線ゆれる。
もう七十を過ぎゆく瞳、その透明な自責に笑いかけた。

「一人を幸せにするだけでも大変じゃん?二人の男を幸せにできたんならさ、すごい幸せなコトだろ?」

二夫にまみえず、なんて言葉も知っている。
けれど幸せそこにあるのなら選んでほしい、泣き続ける時間よりずっと。
もう消えてしまった時間、泣いても戻せない幸福、それでも戻せる願いあるのなら?

だから笑ってほしい現実の今、皺やわらかな目もと和んだ。

「そうね…幸せだわね、私?」

そして戻せる願いあるのなら、幸福ひとつ芽をひらく。


鬱金香:チューリップ、花言葉「思いやり、美しい瞳、優しさ、理想の恋人」ピンクのチューリップ「愛の芽生え、誠実な愛、幸福」

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コメント (2)
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