紡いで、今
弥生朔日、白木蓮―chastely
窓の花、あれは樹上の蓮。
「これが教授の蔵書です、」
かたん、
開かれた扉くゆる空気、ほの甘い渋い香。
家の書斎と同じ匂いで、確かに居た空間へ息ついた。
「こんなに…祖父のですか?」
零れた声そっと古書が香る。
積まれた書籍たち年代さまざま、けれど保存状態どれも美しい。
小山ひとつ佇むデスク、研究室の後継が笑った。
「こんなにです、どれも大事にしてあるでしょう?先生のお人柄ですよね、」
銀色まじりの髪かきあげて、祖父の愛弟子が微笑む。
どこまでも眼ざし穏やかで、すなおな礼に頭下げた。
「ありがとうございます…葬儀でも素晴らしい弔辞を、ありがとうございました、」
この学者は弔辞を「語って」くれた。
原稿など持たず、肚底から語ってくれたひとは微笑んだ。
「私のほうこそです、君がいてくれて本当に感謝しています、」
いてくれて。
その言葉ひとつ鼓動に響く、だって祖父はもういない。
「…ありがとうございます、」
頭下げて喉せりあげる、目元うっすら熱い。
滲みだす視界うつる床、この木目あのタイル、6ヵ月前はウィングチップが歩いていた。
『前期が終わったね、専攻は少し見えてきたかな?』
夏休みも一緒にここにいた、あの時間が慕わしい。
いつもネクタイ締めていた、ウィングチップ磨いた足元、銀髪やわらかな眼ざし。
『合格おめでとう、これからは教師と生徒にもなるのだね、』
春、たった一年前の笑顔が今はもう遠い。
もう戻ることがない瞬間、かすかな甘い渋い深い空気、祖父であり師であった瞳と声。
「…ぅ」
瞳こぼれて滲んでゆく、祖父が歩いた床きらめいて落ちる。
ずっと続くと思っていた、願っていた、その時間もう戻らない。
「泣いていいんです、今、君は…本を開くのはそれからでいい、」
涙の頭上、バリトンやわらかに温かい。
この声が今日から師になるのなら、芳跡たどれるのなら。
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3月1日誕生花ハクモクレン白木蓮
弥生朔日、白木蓮―chastely
窓の花、あれは樹上の蓮。
「これが教授の蔵書です、」
かたん、
開かれた扉くゆる空気、ほの甘い渋い香。
家の書斎と同じ匂いで、確かに居た空間へ息ついた。
「こんなに…祖父のですか?」
零れた声そっと古書が香る。
積まれた書籍たち年代さまざま、けれど保存状態どれも美しい。
小山ひとつ佇むデスク、研究室の後継が笑った。
「こんなにです、どれも大事にしてあるでしょう?先生のお人柄ですよね、」
銀色まじりの髪かきあげて、祖父の愛弟子が微笑む。
どこまでも眼ざし穏やかで、すなおな礼に頭下げた。
「ありがとうございます…葬儀でも素晴らしい弔辞を、ありがとうございました、」
この学者は弔辞を「語って」くれた。
原稿など持たず、肚底から語ってくれたひとは微笑んだ。
「私のほうこそです、君がいてくれて本当に感謝しています、」
いてくれて。
その言葉ひとつ鼓動に響く、だって祖父はもういない。
「…ありがとうございます、」
頭下げて喉せりあげる、目元うっすら熱い。
滲みだす視界うつる床、この木目あのタイル、6ヵ月前はウィングチップが歩いていた。
『前期が終わったね、専攻は少し見えてきたかな?』
夏休みも一緒にここにいた、あの時間が慕わしい。
いつもネクタイ締めていた、ウィングチップ磨いた足元、銀髪やわらかな眼ざし。
『合格おめでとう、これからは教師と生徒にもなるのだね、』
春、たった一年前の笑顔が今はもう遠い。
もう戻ることがない瞬間、かすかな甘い渋い深い空気、祖父であり師であった瞳と声。
「…ぅ」
瞳こぼれて滲んでゆく、祖父が歩いた床きらめいて落ちる。
ずっと続くと思っていた、願っていた、その時間もう戻らない。
「泣いていいんです、今、君は…本を開くのはそれからでいい、」
涙の頭上、バリトンやわらかに温かい。
この声が今日から師になるのなら、芳跡たどれるのなら。
白木蓮:ハクモクレン、花言葉「高潔な心、自然への愛、恩恵、威厳、崇敬、忍耐、持続性」
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