萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 辞世 act.20-another,side story「陽はまた昇る」

2015-10-12 22:50:04 | 陽はまた昇るanother,side story
断崖
周太24歳3月



第83話 辞世 act.20-another,side story「陽はまた昇る」

風の音、それから這うような幽かな音。

さらさら近づいては遠ざかる、また来る、この音は何だろう?
ヘッドランプ照らされる狭いツイェルトに音はくりかえす、そして鼓動が聴こえる。

…とくん、とくん、

ふたりどちらの鼓動だろう?
もう解からないほど近く抱き寄せられた距離、過ぎた時間はきっと短い。
標高2,000メートル超えた午前6時、深い低い声が周太に微笑んだ。

「日出は6時4分、山だと少し遅れるので10分後に明けると思います、」

もう夜が明ける、そう告げられて鼓動また響く。
この夜が果てればやるべきことがある、その緊張ゆるやかに縛りだす。

―もうじきだ、きっと無線が入る…伊達さんはどうしてるんだろう、

登山開始から無線連絡はない。
傍受されることを防ぐためだろう、だって犯人は無線技術を持っている。

―山岳ガイドなら無線なんて常識だもの、英二たちと同じで…七機でも当り前のこと、

いま抱きこみ寒さ庇ってくれる腕、この青い登山ウェアが隊服の男たちは「山」が日常でいる。
その日常と同じ場所にいる男を今、この夜が明けたら撃たなくてはいけない。

―仲間なんだ、七機のみんなには同じ山の…そのひとを犯人として僕は撃つんだ、ね、

自分たちの仲間が撃たれる、それをどんな想いで彼らは見るのだろう?

『辛いよ、同じ山ヤを撃つ手助けなんて…どうして、』

ほら、午前4時の声が記憶を叩く。
あれを言ったのは浦部、自分とも親しくしてくれた第七機動隊の山岳レンジャー。
いつも穏やかな笑顔で人望も厚い山の警察官、あの言葉に今よりそう男は何を想ったろう?

「夜明け前の今いちばん冷えこむ時です、かなり寒いと思いますが出てみますか?」

きれいな深い声また話しかけてくれる。
穏やかなトーンは前と変わらない、でも今ほんとうは何を想うのだろう?

―僕が仲間を撃つんだよ、英二…こんどこそおわかれできるかな、英二?

あなたの仲間を撃つ、その先は別離だろう。
だって許されるはずがない、赦されていいことじゃない。

『山ヤは自助と相互扶助が原則だよ、命を救けあうんだ、』

ほら記憶のあなたが誇らしく笑う、あの言葉きっと宝物なのでしょう?

―ごめんね英二、こんなこと…だからもう自由になって?

もう解放したい、あなたをここから。
そんな願いにヘッドランプの灯りも消えて、庇ってくれる腕から離れた。

―さよならだよ、英二?

心そっと呟いて覆うツェルトから外に出る。
ざぐり、踏みだした雪面に冷気かすめて水が匂う。

―水のにおいする、雪が降っていないのに…周りの雪の香かな?

雨や雪ふるとき、こんな香がよくする。
けれど仰いだ空は紺青ふかく星きらめく、その涯はるか西は菫色あわい。
もうじき夜が明けるのだろう、そんな黎明の風に息から凍える。

―寒い、想った以上に…息が、

吹きつける風は強くはない、それでも下方にぶい銀色から冷たく這いのぼる。
谷から吹く風なのだろう、その冷厳に初めて立つ世界は呼吸すら凍らせ苦しくて、そして美しい。

「…きれ、ぅこほっ…」

こんな時こんな体調、それなのに美しい。
紺青ふかい天穹はるかに菫色のぼらす、あの涯に暁まばゆく染めるだろう。
まだ銀いろ瞬く夜に月冴えて明るい、その光こぼれて山の銀いろ輝き陰翳あざやぐ。

―きれい、こんなに息が苦しくっても…すごくきれいだね、おとうさん、

こんな世界を父もきっと見ていた、山を愛した父なら何度も見たのだろう。
そのとき父の隣には明るい笑顔がきっと咲いていた。

『夏みたいな人だね…うんと明るくて、ちょっと暑苦しいくらい情熱的でね、木蔭の風みたいに優しくて清々しい、大らかな山の男、』

山を愛していた父、その幸福の隣には大切な存在がいた。
恋愛よりも深いと父が言った相手、それは命ごと夢すら繋いだザイルだ。

『友達よりも近くて大切だね、いろんな気持があるから、』

幼い夏の日そう教えてくれた、その「大切」が誰なのか今は知っている。
そして父がどんなに大切に想われていのか、もう知っているから雪嶺の黎明がまぶしい。

『馨さんは俺の最高のアンザイレンパートナーだ、』

そう笑ってくれた泣顔は、父が言ったとおり清々しくて大らかだった。
あの笑顔と登る山は幸せだったろう、共に学びあう時間はどんなに幸せだったか。
その記憶たちから紡がれた言葉に今この場所から見える。

『俺が4年になったら六千峰もアタックする約束だったんだよ、オックスフォードにいる馨さんと現地集合しようって約束してた…いつか馨さんはここに、文学に戻るって信じていた、それが馨さんの正しい運命だって俺は信じている。君のお父さんは学問に愛される人なんだ、』

信じている、そう現在進行形で言ってくれた。
あの泣顔も笑顔もすべて父のものだ、それがただ誇らしくてうれしい。

―夜明の雪山ってきれいだねお父さん、田嶋先生となんども登ったんでしょう?なのに…辛かった、ね、

文学を語り山に登る、そんな父の時間が黎明の雪嶺にまぶしい。
そんな父が銃を持たされ何をさせられたのか?その想いが今かけら散りばめて映る。

―お父さん、これで最後にしていいかな…僕は、

今ここが最後、これで後悔しない。
呼吸ひとつ雪壁に身をよせ片膝つき、狭間から標的を見た。

―思ったより近く見える、谷むこうだけど…灯のおかげだ、

雪面はるか墜ちた先、むきあう稜線に灯が点る。
銀色にじむ尾根は視認可能、そこにある小さな光の点に低い声が言った。

「小屋の窓はカーテンがありません、これなら射程圏内だと思いますがいかがですか?」

この問い、答えないわけにいかない。
願いたい言葉に喉そっと落着かせ、肚深く声押しだした。

「…下山してください、」

掠れた声低く告げて願う。
どうか逃げて、今すぐに。

―巻きこみたくない、これ以上もう、

今なら間に合う、まだ帰る道は残されている。
ただ願い押しだした言葉に青いヘルメットがふり向いた。

「はい?」

青いヘルメットの影から切長い瞳が見つめる。
こうして見つめられるのも最後かもしれない、その想い呑みこんで告げた。

「…帰ってください、独りのほうが集中できる、」

自分の唇から違う声が出る、こんな声は知らない。
それでも告げられた願いに目の前の男は言った。

「嫌だ、」


(to be continued)

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