萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

文月十六、蓮―faraway

2022-07-16 22:11:07 | 創作短篇:日花物語
彼方へ、ふたり
7月16日誕生花ハス蓮


文月十六、蓮―faraway

朝まだき、それでも花ほころぶ。
露ひとつ零しても。

「…水の匂いする、」

ふっと声ひとつ、あわく甘く匂う。
甘い、かすか渋い涼やかな香に隣へ笑った。

「だな、夏の朝って匂いだよな、」
「うん、夏休みっぽい、」

隣すなおに肯いてくれる、その睫ゆるく陽が燈る。
まだ昏い庭木立、それでも隣の睫あわい光は、たぶん涙。

『かえりたいんだ…いいかな?』

昨夜の電話から君の声、その答えなんて決まっている。
何があったかなんて知らなくても。

「昨夜はごめん…迎えにきてくれて、」

まだ疲れているかな?そんな声が見上げてくれる。
再会と明けゆく縁側のほとり、水色やわらかな暁闇に微笑んだ。

「ごめんは要らねえって、俺が会いたくて迎えにいったダケ、」

ほら本音こぼれてしまう、夜の余韻まだ明けない。
こんなこと自分で意外なようで、そのくせ当りまえの静謐に座りこんでいる。

「ん…迎えにきてくれて、ありがとう、」

静謐ゆるく隣が微笑む、やっと笑ってくれた。
もう睫の涙ほどけるだろう、嬉しくて、けれど心配と笑いかけた。

「まだ眠いんじゃないか?無理しなくていいよ、」

まだ眠いだろう、きっと。
それだけ溜めこんだ目もと青くて、けれど睫ほころんだ。

「ん、無理しないよ?ここでは、」

長い睫やわらかに瞳ほころぶ。
まだ眠くて無理もない、それでも透る声に笑った。

「そーだよな、夏休みは早起きだもんな?ネボスケタロウのクセにさ、」

夏休み、だから無理なんかしなくていいよ?
祈る想い見つめる真中、懐かしい笑顔ほころんだ。

「こっちがネボスケタロウなら、そっちはネムリオウジだよね?」
「かつてはな、今はハヤオキオウジだろ?」

言い返しながら鼓動そっと掴まれる、懐かしいから?
それとも青にじんだ目もとのせいだろうか、痛みの底、けれど笑ってくれた。

「そうみたいだね、いつも4時起き?」
「夜明け前って感じだよ、だから冬はもすこし遅い、」

答えながら見あげる空、稜線あざやかに朱が奔る。
明けの星ふっと瞬いて、涼風ひとつ立ちあがった。

「まず山畑に行くか、」

立ちあがり仰いだ空、墨色あざやかに紫染める。
閃く暁に雲たち駆けてゆく、上空の風速に隣も立ちあがった。

「午後は雨かな?」
「山の夏だからな、」

観天望気と歩きだして、隣の襟元やわらかなストライプ映る。
服の柄も見えだした、明けてゆく庭木立に軽トラの扉ひらいた。

「わぁ…ひさしぶり、」

助手席に君が笑う、ほころんだ輪郭あわく夜が明ける。
昨夜あの昏さ溶けてゆく、明るんだ横顔にクラッチぽんとアクセル踏んだ。

「自分で窓開けろよ、手動だからな?」
「うん、」

走りだす車窓、冴えた風に肌覚める。
がたこと揺れる視界あざやかに稜線えがく、畦道まっすぐ山へゆく。
いつもの道かすかな水の匂い、けれど爽やかな甘さ唇に香った。

「あげる、口開けて?」
「お?」

ふれた温もり指のかたち、ぽん、放りこまれた香り甘い。
爽やかな酸味あまく涼ませる、ころり、転がす甘さ微笑んだ。

「オレンジの飴、あいかわらず好きなんだ?」

よく分けてくれていたな?
懐かしさ微笑んだ隣、君の声おだやかに笑った。

「好きだよ、ずっと、」

おだやかに君の声が澄む、やわらかな明るさ美しい。
きっと静かに笑っている、今。

「いいよな、ずっと好きってさ、」

応えた唇さわやかに甘い、懐かしいまま今が香る。
フロントガラスひろがる暁、馳せる雲ひらめく葡萄色、淡紫、紅あわく刷いて光りだす。
稜線おおらかに八葉えがく空、五彩まばゆく冴えて風なぶる、水あまい渋い澄明やすらかな匂い。

「うん、ずっと好き、」

ほら、君の朝だ。
蓮:ハス、花言葉「清らかな心、神聖、雄弁、離れゆく愛、救済、休養」


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