おはよ。
良い天気で、ええ気持ち。
昨日は定休日で、まずは久しぶりに亀太郎にまたがって、名古屋でお仕事。
この時期の亀太郎とのランデブーは最高でありんした。
どこまでも行けそうに気がしましたね・・・と言いながら、お昼には帰宅。
前日来の懸案でありました、田んぼでのお遊びに向かいました。
アゼの上に立ち、とりあえず眺めてみる。
水の漏れは少々です・・・これくらいは、まぁ許せる範囲だ。
次に、前回隊長がクワを入れたアゼを見る。
随分とアゼが細くなったところを、土を盛ってみたいと思っていたのです・・・が・・・どうもスコップで土を持ち上げるのは腰によくない!とあたしの第6感が囁いたのだ。(マジで)
この頃よく腰を痛めておりましたので、危ない!とどこからか信号があったのです。
素直にその意識に従いまして、アゼの修理は中止。
もうちょっと腰が元気になったら、頑張ってみよう。
午後は田んぼで遊ぶつもりでしたが、予定を繰り上げて、買い物をして年寄り宅へ。
丁度下の姉が来てくれておりました。
いつもながら、あたし一人では心もとない年寄りの面倒を見に、わざわざ車で駆けつけてきてくれます。
ばあちゃんの世話を、いろいろとしてくれておりました。
本当に、ありがたいのです、ありがとう。
世間話もしながら、やがて彼女は帰宅。
そして残ったあたしは、じいちゃんとばあちゃんの、この頃作った俳句の話で、しばらくお話し相手となっておりました。
ばあちゃんが手慰みで作った高野山の時の俳句を、じいちゃんがすでに添削しておりました。
ばあちゃんはあたしと同じで、俳句を勉強したことがない。
だから、およそ我流の五七五になるんだな。
(それでもあたしよりよほど立派な句ですが)
元々のばあちゃんの俳句(30程も作ってありました)と、じいちゃんに手直しをされた俳句を見比べて、あたしは思わず言ったのよ。
「これはすっかり、じいちゃんの俳句だね」
それを聞いてばあちゃんは、エヘヘ・・・と笑っておりました。
するとじいちゃん、
「五七五では言い切れぬ想いはあるのです。それは込めなくてはいけない。そのために言葉を学ぶのです」
・・・
じいちゃんが50代の頃(なんと40年前!)、中国西安に行った時の句があります。
西安の清影 今日の別れかな
(せいあんのせいえい きょうのわかれかな)
清影という言葉自体はあるのだそうですが、よほど故事古典を知っていなければ出てこない言葉でしょう。
じいちゃんは、それを言うのでした・・・
じいちゃんの俳句がうまいかどうかはあたしは知らない。
ただ、20代の頃、俳句を極めたい!と覚悟を決めて、爾来94才の今日まで、それを続けているじいちゃんはすごいと思う。
じいちゃん、尊敬するぜっ!
(そんなあなたに、なんでこんな息子ができたのでせう?)
良い天気で、ええ気持ち。
昨日は定休日で、まずは久しぶりに亀太郎にまたがって、名古屋でお仕事。
この時期の亀太郎とのランデブーは最高でありんした。
どこまでも行けそうに気がしましたね・・・と言いながら、お昼には帰宅。
前日来の懸案でありました、田んぼでのお遊びに向かいました。
アゼの上に立ち、とりあえず眺めてみる。
水の漏れは少々です・・・これくらいは、まぁ許せる範囲だ。
次に、前回隊長がクワを入れたアゼを見る。
随分とアゼが細くなったところを、土を盛ってみたいと思っていたのです・・・が・・・どうもスコップで土を持ち上げるのは腰によくない!とあたしの第6感が囁いたのだ。(マジで)
この頃よく腰を痛めておりましたので、危ない!とどこからか信号があったのです。
素直にその意識に従いまして、アゼの修理は中止。
もうちょっと腰が元気になったら、頑張ってみよう。
午後は田んぼで遊ぶつもりでしたが、予定を繰り上げて、買い物をして年寄り宅へ。
丁度下の姉が来てくれておりました。
いつもながら、あたし一人では心もとない年寄りの面倒を見に、わざわざ車で駆けつけてきてくれます。
ばあちゃんの世話を、いろいろとしてくれておりました。
本当に、ありがたいのです、ありがとう。
世間話もしながら、やがて彼女は帰宅。
そして残ったあたしは、じいちゃんとばあちゃんの、この頃作った俳句の話で、しばらくお話し相手となっておりました。
ばあちゃんが手慰みで作った高野山の時の俳句を、じいちゃんがすでに添削しておりました。
ばあちゃんはあたしと同じで、俳句を勉強したことがない。
だから、およそ我流の五七五になるんだな。
(それでもあたしよりよほど立派な句ですが)
元々のばあちゃんの俳句(30程も作ってありました)と、じいちゃんに手直しをされた俳句を見比べて、あたしは思わず言ったのよ。
「これはすっかり、じいちゃんの俳句だね」
それを聞いてばあちゃんは、エヘヘ・・・と笑っておりました。
するとじいちゃん、
「五七五では言い切れぬ想いはあるのです。それは込めなくてはいけない。そのために言葉を学ぶのです」
・・・
じいちゃんが50代の頃(なんと40年前!)、中国西安に行った時の句があります。
西安の清影 今日の別れかな
(せいあんのせいえい きょうのわかれかな)
清影という言葉自体はあるのだそうですが、よほど故事古典を知っていなければ出てこない言葉でしょう。
じいちゃんは、それを言うのでした・・・
じいちゃんの俳句がうまいかどうかはあたしは知らない。
ただ、20代の頃、俳句を極めたい!と覚悟を決めて、爾来94才の今日まで、それを続けているじいちゃんはすごいと思う。
じいちゃん、尊敬するぜっ!
(そんなあなたに、なんでこんな息子ができたのでせう?)