ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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あらま、3月になってしまうま。

2019-03-01 14:56:00 | ノンジャンル
こんにちは。

前回ブログから、またあっという間に日は過ぎて、3月に入っています。

当地では、穏やかな日が続いていましたが、それでも三寒四温のこの頃のせいか?、次男が風邪を引いて、それが移ったように翌日あたしも風邪を引いてしまいました。

体力のある次男は、「大丈夫!」とものすごい鼻声で心強く言いまして、連日お勤めに精を出しました。(おまえは、えらい!)

そしてあたしは、ちょうど定休日に当たったところで、鼻は詰まるわ、のどは痛いわとなったので、完全休養を決め込んだりました。

28歳と61歳の、体力と精神力の違いでした。


さて、それでも、目の前のあれやこれやはやっつけていかないといけない。

そんなこの1週間の出来事をつらつら。


おかげ様で、愛犬ももちゃんは、穏やかに過ごしています。



ただ、後遺症と共に年のせいだと思われますが、ヨタヨタ感が、ハンパない。

なにげに歩いていて、突然スッテンとすっころぶ。

それが、おもしろかなしずむあたくしでございます。

人間で言えばどうだろう? 

90になりなんとしているのかな?

本能だけで生きておられますから(たぶん)、だからなんだという意味は、ご本人にはないと思いますが、ちょっとだけ知性とご縁を授かったあたくしですから、今後も彼女が穏やかで過ごせますようにと念じています。

今年もう一度くらい、温泉一緒に行けたらエエね?


あぁ、そうだ。

ももちゃんの初体験のお話。


ももちゃん、爪が伸びます。

で、かつて元気なころ、一度だけ切ってやったことがあります。

その時、切りすぎたのか?爪から血が止まらなくなって、家中血だらけになったことがありました。

(犬の爪を切りすぎて血が出ると、止まらなくて血が流れ続ける・・・なんで?)


で、動けなくなってから爪が伸びたから、綺麗にしてやろうと思った。

年寄りのダックスを買っている)に聞いたら、

「医者に行けば、100円で切ってくれる」

と聞いた。

が、予約とかめんどくさいんだ。


ちょうどそのころ、ももちゃんの介助パンツの漏れの話から、介助パンツの上にまた介助オーバーオールみたいなやつがあるですだ・・・と、この頃たびたびお世話になります稲村さんからの情報を得まして、地区内で唯一のペットショップにいったのでございますの。

その時、爪切りのことを尋ねたら、

「500円でっす。予約は要りませ~ん。」

と、ここに勤めて4年、あたしはできんけど、うちのスタッフの子たちがバッチリやるんだかんね! と自信満々のレジの小太りのおねいさん(43歳)が教えてくれた。

・・・

エエこと聞いた。


先週の定休日に、ちょうど休みの次男をつれて、行ったりました。

オムツをはいたももちゃんが、恐る恐るスタッフさんに連れて行かれまして、窓越しに爪を切られました。

そして・・・オォ!

見事、綺麗なおみ足となられたのでございました。

(画像なし・・・爪きり前は、1センチくらい、後ろ足の爪が伸びていたと思ふ)


それを本人(ももちゃん)がどう思っているのかがわかりませんが、この頃すっころぶももちゃんが、短くなった爪のせいだとはお父さんは思っていないからね。

まぁ、どうでもエエ話でした。


さて、次。


こちらも画像がありませんが、母方の父方の先祖(ややこしい)の墓がありまして、それを継ぐものがしかいないという状況で、あたしが継ぐという選択もありますが(もう継いでいるのだが)、あたしが継いだところでまた次の長男が継ぐのか?継げるのか?ということもあったりして、ここは一番、ご先祖様には申し訳ないのかもしれんが、あたしが全責任を持って、お墓の撤去をする・・・と決めた。


戦時中、20歳そこそこで父を亡くした母には、直系の身寄りがしかいなかった。

で、姉妹二人そろっての終戦後、に見初められて結婚。

後日のこと(あたしが物分りが出来るようになってからの話)、「あんな、ギッチョンチョンみたいな人とは結婚したくなかった」と、母、独白。(父には生涯内緒)

ちなみに、ギッチョンチョンとは、やせこけて小さいことを言う。

・・・体長158cm、体重45kgだったと思われる。(当時・・・戦後すぐの食うものがない時期で、なおのことに小さかったのだろうとあたしは父をかばってやりたい。・・・おじいちゃん、これで許してください。

父の地元・阿久比というすごい田舎ながら、父の父は、当時の撚糸業で大もうけをしたらしい。

(その後、政治に手を出して大失敗したらしい)

で、その3男だった父が、戦後復員して、ちょうど阿久比に疎開していた母を見初めた。


片や、名古屋在住の母の父親は、地元郵便局の設計士として名をはせ、当時では珍しい、高等女学校を姉妹で卒業した母と妹。

それが、父の死も伴って、戦争で疎開。

そこが阿久比。


当時、名古屋大学の教授秘書をしていた母の通勤姿を見て、父が惚れた。

で、なんやかんや取り巻きが動いて、見合い・・・そして、結婚。

そこでの条件として、母方の先祖(実は、母の父方と母方、共に跡取りがいなくて、母は両親の先祖を背負っていた。)その上に、と、当時は母方のおばあちゃんも存命で、要は、母が来ると、妹とおばあちゃんがついてきます・・・よろしくね・・・という状況で結婚した。


逆に言えば、それだから結婚したというのが、母の「ギッチョンチョン談話」になるのだ。


縁尽奇妙・・・父と母、そんなご縁だったのでございました。


あぁ・・・話がずいぶんそれました。

ただ、これもたぶん、あたしの子どもたちが見ていると思えば、書いておきたいと思って書いています。


そんな父と母ですが、父が3年前に97歳で逝き、ただいま90歳になる母の背負ってきたお墓の話。

詳しいことは知りませんが、新しい仏様も、その後50年面倒を見れば、生きているもののお勤めは放免されるらしい。
(と、母が言っていた)

父も母も、ご先祖をギリギリまで面倒見ておりました。

それを、姉たちと共に、あたしは見てきました。

母の父母がなくなって70年・・・

だから、もうええかな?ご先祖様も、許してもらえるかな?とあたしは思う。


お墓。

そこに残った墓守のお仕事は、例えばあたしが今死んだとして、あたしのことも含めて、子どもたちに対して「しなければならんことは、ないのよ」という状態にしておきたいと思った。
(残念な面もあるが、子どもたちを見ていて、それは無理だろうという親のあたしの判断がある)

神さま仏さまのことを触るのは、実はとっても怖いあたしなんだ。

でも、もしね、ご先祖が「おまえ、なんちゅうことしたんや!」と怒られたとしてね、「あたしがやったんです、すみません」と、あたしで留め置いてもらえたら、それでエエような気がする。


今回、お墓を撤去するにあたり、義理の兄の知り合いにお世話になることといたします。

エエ人です。

良いご縁をいただきました。

だからね・・・

ご先祖様。

許してね。

ありがとうございます。


それが、風邪でゲホゲホだった2日前。

そして、一日過ぎて翌日も定休日の昨日。

・・・

ちょっと復調しましたが、大人しくしておりました。


そして本日!

3月だぁ~!

まだ鼻もズルズル、のどはガサガサですが、基本的に、病気は一週間が周期。

たぶんピークは過ぎた。

あとは、治るだけの感触は得ています。

61歳・・・まだ、死なん。

よろしくお願いします。


改めて読み返して、ヘンなブログ。

・・・まぁ、こんなもんだ。

あまねく、穏やかでありますように。

ありがとうございます。



この道や

父母も芭蕉も 

行きにけり

光あらまし

奥の細道



おじいちゃん、ゆるしてね。

合掌。