こんにちは。
本日5日、2023・お仕事はじめです。
久しぶりに店のシャッターを開けて、「ハレ」から、あたしのなじんだ日常「ケ」へと戻ります。
お陰様で、年末年始、何ということもなく過ごしまして、一緒に暮らす次男は、松の内のお仕事をこなしながらも無事でお母ちゃんの所で過ごし、長女は孫を連れて新年の挨拶に顔を見せてくれて、長男はお嫁ちゃんのご実家でお世話になりながらも、無事に本日、広島に帰ってきたらしい。
それぞれの年末年始が、無事であったことが何よりありがたいのでした。
孫2号が、「4歳です」と教えてくれる。(聞きもせんのに・・・)
そして、2歳の3号は、「どあぇおん!」と言いながら、一緒にお菓子を買いに行ったスーパーの印刷されたドラえもんを見て、言った。
60歳違いのこの者たちが、長女を介して、見事に育っている。
そして長女は、「太ったんだわぁ~」と言いながら、はいているズボンの上ボタン二つがはまらないのを、ちょっとだけ恥ずかしそうに見せてくれた。
最悪、ストレス太りなら、まだ良い。(痩せるよりはまだ良いと思っています)
お母ちゃん業、大変とは思いますが、どうぞ体には気を付けてください。
ただ、本当に困ったら、あたしに限らず、兄ちゃんもコウヤも力になってくれるはずだから、言うのだよ。
みんなで、幸せになりますように。
そんなこの頃、NHKの録画を観た。
1964は、東京オリンピックの年です。
戦争で負けて、本当に何もない時代を生きてきた親たちがいた。
(この前段のエピソード1がありまして・ちなみにこれはエピソード2、それは戦後の1945,1946の番組でした。餓死・・・というのが真実味を帯びていた時代です。)
そこを何とか生き抜いた、親たちがいた。
あたしは1958年生まれなので、この頃がなんとなくながら記憶がある。
実感はないですが、売血、赤線、というのも、例えば五木寛之の小説などから、あたしは感じていました。
(駐日大使のライシャワーが、誰かに刺されて輸血したら、それが売血の血で肝臓の感染症になったというのも当時らしい記事でした。その後、ライシャワーさん、回復したようで良かったです。が、日本で輸血するなと広まったらしい。今でいうところの、どこぞの国みたいだね。)
そんな頃の幼い記憶が、面白いんだが、食べるものにまつわる記憶が多い。
それは、たぶん、生活の中での、子供心ながらに重要なパーツだったんだと思う。
「お母さんの思い出の料理は何ですか?」
と聞かれて、あたしは、答えに窮します。
それは例えば、湯豆腐。
豆腐と白菜だけが土鍋に入っていて、真ん中に、しょうゆと鰹節の入った湯飲みがある。
あたしは、白菜の緑色の部分をその湯飲みの醬油につけて、食べるのが好きでした。
なんで?
・・・それはね・・・豆腐と白菜の白い部分は、お醤油の付きが悪くて味が薄いから。
思い出の料理ではあるが、また食べたいというほどのものではない。
すき焼き。
これはごちそうでした。
でも、それをいつ食べたかとなると、記憶が怪しい。
分厚いすき焼き鍋がありまして、それに牛脂をグルグル回して油をひいて、うまそうな牛肉を母が並べたのは覚えています。
・・・
これはたぶん、ずいぶんと時が経ってからの記憶だと思います。
それ以外に、ふだん何を食べていましたか?
と聞かれて・・・う~む・・・記憶がない。
焼き魚・・・というのは覚えがある。
魚の煮つけ・・・という覚えはある。
・・・ばあちゃん・・・料理が下手でした。(つーか、そういう時代と我が家だったと思う)
家長の父が、毎晩帰宅後、一合の燗の酒を飲んでいたのは覚えている。(それでも、父は、下戸)
その左回りに、母が御ひつのそばに座り、以下、長姉、次姉、あたしと正座して、食卓をかこっていたのも覚えている。
会話があったのか?
・・・覚えがないな。
多分、とても静かにご飯を食べていたと思う。(なぜ?ふしぎ!そういう我が家)
今回のNHKの番組を観て、そんな記憶がよみがえりました。
そして、今を思う。
あたしの父と母・・・言葉通りに必死だったと思う。(戦中派=父・1919生まれ・戦争体験しています。母・1929生まれ・戦後ほどなく、ともに30代で両親死亡)
そんな親を、6年前に父を、昨年夏に母を看取りました。
そして今、あたしが65歳となる年の正月です。
新しい命の芽吹きが、まばゆいほどに輝かしいのよ。
それだけで、あたしは幸せであります。
そんな本日、FBで、こんなお知らせがあった。(過去の出来事を知らせてくれるのだね)
今から、8年前の画像が、お知らせとして出てきた。(FB・すげぇな)
ここに写っているのが、甥っ子の家族。(with じいちゃんとばあちゃん)
この甥っ子、かねてより性格的に合うのか?あたしと仲が良い。
あたしも彼の、男気が好きです。
そんな彼の家族が、多分、じいちゃんとばあちゃんに、男気で会いに来てくれた時の写真。
孫が曾孫を連れてきてくれたとなれば、この時のじいちゃんやばあちゃんは、さぞや嬉しかったことでしょう。
尚ちゃん、ありがとうね。
かつて長男が言ったことがある。
「ペイフォワードだろ?」
ペイフォワード・・・受けた恩を、次に受け渡す・・・という意味だと思う。
長男がどういう意味で言ったかは今定かではないですが、とりあえず、今生受けた恩は返したうえで、次に受けた恩を送るという意味だとあたしは解釈をしています。
返すべきものがあるなら、それが、返せるものなら、まずは今返す。
それでなお、余力があるのなら、次に返してあげたらよい。
親が子につなぐのは当たり前としても、そこに、それまでの思いも重ねていただけたらありがたい。
コロナで会えなかったですが、ばあちゃんに曾孫3号と4号、会わせてやりたかったです。
惜しい!
これからの世の中で、子供や孫たちに、そんなことが伝えられたらいいなと思うおじいちゃんです。
あまねく、穏やかでありますように。
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