昨日は、「アマゾンの「Kindle Unlimited 読み放題」がオススメの理由・・・良書に巡り会える機会が増える」を書いた。
活用し始めて、今3ヶ月がたとうとしている。
たくさんの本に出会えるのだが、今のところ、一番心に残るのが、次の本である。
「青年の思索のために」下村湖人著
私が尊敬している鍵山秀三郎氏が、若いときに何回も繰り返して読み、心の支えになった本である。
鍵山氏は、次のように言っている。
上京して間がなく、社会の下層で生きていた私は、苦難が続く中で、ともすれば、希望を失いがちの時代におかれていました。
その時、この本に巡り合い、何回も読み返すことによって、その時の境遇に左右されない生き方があることを教えられました。
文科省のホームページより
私も読んだのだが、読み始めたら、線をたくさん引いてしまう。
例えば、次の部分
名優の境地
ある名優がこういっています。
「はじめて、舞台に立つと観客の顔が全体にぼうっと目にうつるだけで、一人ひとりの顔がちっとも見分けがつかない。
そのうちに舞台になれ、芸が上達し、肚ができるにつれて、誰がどこでどんな顔をして見ているかまで、はっきり見えるようになる。
こうなるとまずまず一人前の役者になったわけだが、大ていの役者はそこいらで安心するので、名人にはなかなかなれない。
名人といわれるほどになるには、もう一度観客の顔が見えなくならなければならないのだ」
これは非常に意味の深い言葉だと思います。
はじめての舞台で観客の顔が見えないというのは芸が未熟なためで、これはお話になりません。
しかし、もう一度見えなくなるというのは、観客の目を超越して、自分の芸に自分の魂を打ち込んでいる境地、つまり自分と芸とが一枚になった境地だと思います。
名人になるには、そこまで心境が深まらなければだめだ、というのがこの言葉の意味なのであります。
このことは、芸術以外のおたがいの仕事についても等しくいえることだと思います。
周囲の人々の目付きが気になるようでは、まだほんとうの仕事をしているとはいえません。
ハンマーを握ったらハンマーに、鍬を握ったら鍬に、そろばんを握ったらそろばんに、自分の魂が吸いこまれて、無二無三に働くところに、いわゆる名人の仕事ができるわけです。
こういう言葉がたくさん出てくる。
若き日の鍵山氏が、仕事をする上での指針としていたであろう言葉に満ちている。
活用し始めて、今3ヶ月がたとうとしている。
たくさんの本に出会えるのだが、今のところ、一番心に残るのが、次の本である。
「青年の思索のために」下村湖人著
私が尊敬している鍵山秀三郎氏が、若いときに何回も繰り返して読み、心の支えになった本である。
鍵山氏は、次のように言っている。
上京して間がなく、社会の下層で生きていた私は、苦難が続く中で、ともすれば、希望を失いがちの時代におかれていました。
その時、この本に巡り合い、何回も読み返すことによって、その時の境遇に左右されない生き方があることを教えられました。
文科省のホームページより
私も読んだのだが、読み始めたら、線をたくさん引いてしまう。
例えば、次の部分
名優の境地
ある名優がこういっています。
「はじめて、舞台に立つと観客の顔が全体にぼうっと目にうつるだけで、一人ひとりの顔がちっとも見分けがつかない。
そのうちに舞台になれ、芸が上達し、肚ができるにつれて、誰がどこでどんな顔をして見ているかまで、はっきり見えるようになる。
こうなるとまずまず一人前の役者になったわけだが、大ていの役者はそこいらで安心するので、名人にはなかなかなれない。
名人といわれるほどになるには、もう一度観客の顔が見えなくならなければならないのだ」
これは非常に意味の深い言葉だと思います。
はじめての舞台で観客の顔が見えないというのは芸が未熟なためで、これはお話になりません。
しかし、もう一度見えなくなるというのは、観客の目を超越して、自分の芸に自分の魂を打ち込んでいる境地、つまり自分と芸とが一枚になった境地だと思います。
名人になるには、そこまで心境が深まらなければだめだ、というのがこの言葉の意味なのであります。
このことは、芸術以外のおたがいの仕事についても等しくいえることだと思います。
周囲の人々の目付きが気になるようでは、まだほんとうの仕事をしているとはいえません。
ハンマーを握ったらハンマーに、鍬を握ったら鍬に、そろばんを握ったらそろばんに、自分の魂が吸いこまれて、無二無三に働くところに、いわゆる名人の仕事ができるわけです。
こういう言葉がたくさん出てくる。
若き日の鍵山氏が、仕事をする上での指針としていたであろう言葉に満ちている。